ア メ リ カ 東 海 岸 編  〜 そ の 1

グ ラ ン ド ・ セ ン ト ラ ル ・ オ イ ス タ ー バ ー

世界で最も牡蠣を食べるのはどこか。それはアメリカとのこと。そのことを牡蠣の名著M. F. K. フイッシャー「オイスターブック」(1997年平凡社)の巻末で解説の海野弘氏が次のように述べている。
「ところで、世界で一番、牡蠣を食べるのはどの国の人だろうか。フランス人か。とんでもない。フランス人は一年に一人当り26個しか食べないが、英国では120個食べる。そして一番はアメリカ人で、なんと一年に一人当り、660個も食べているそうである」
この真偽の確認は難しい。海野弘氏がどのような調査で行ったものなにか不明であるし、実際に何回かこの三国に訪問した実感では、アメリカ人が飛びぬけて食べているとは思えない。
だが、一般的にアメリカ人が牡蠣を好きなことは確認しているし、オイスターバーが多いことも事実である。
そのオイスターバー、ニューヨークが本場で、その本場の中でトップに位置しているのがグランド・セントラル・オイスターバーであること、これは知られた事実である。

グランド・セントラル・オイスターバー
(グランド・セントラル・オイスターバー)

グランド・セントラル駅は、かの有名な元パンナムのビルで、列車の発着駅として1913年にできた建物で、この中に完成時から世界一のオイスターバーとして君臨し続け、ニューヨークでオイスターバーといえば当然にここを指し、他にもオイスターバーは数多くあるが、オイスターバーの代名詞として世界のトップに位置している。

グランド・セントラル駅
(グランド・セントラル駅)

ゼ ネ ラ ル マ ネ ー ジ ャ ー か ら 聞 く

グランド・セントラル・オイスターバーに入る前に、まずこの店のメニューをチェックしてほしい。シーフード料理が、A3の大きさ用紙にビシッと並んでいる。メニューのタイトルはOYSTER MANUであるが、アペタイザーからスープ、メインデイッシュ、デザートまでよくこれだけ書けると思われるほど並んでいる。裏を見ると、これはアルファベットが小さくて老眼鏡をかけても難しいほど、数多くのワインがリストされている。大体300種類はあるだろう。
さて、テーブルに座ってメニューの表裏に圧倒され、ため息を漏らしていると、ここの支配人が黒服にネクタイで登場した。ゼネラルマネージャーMICHAEL J. GARVEY氏である。この道20年のプロであり、世界一のオイスターバーのゼネラルマネージャーであるから、この世界でも屈指のやり手なのだろう。さすがに立ち居振る舞いが決まっているし、話もポイントをついていて、無駄がない。日本のビジネスマンもこういう人物を見習うことだと思う。

牡 蠣 は 3 0 種 類

いよいよメニューから牡蠣をオーダーするタイミングになった。牡蠣はRAW BARのメニューに並んでいる。数えてみると32種類ある。数えるだけで眼が痛くなるし、ここから選ぶとなると再びため息がでる。初めて世界一のオイスターバーを訪れ、建物の重厚さに圧倒され、歴史に驚き、メニューにため息し、肝心の牡蠣選定ができない。毎日、入荷する牡蠣の種類が異なるのでメニューも異なる。

RAWBARのメニュー
(RAW BARのメニュー)

見かねたゼネラルマネージャーが「こちらで推奨しましょうか」といってくれる。「お願いします」「どのくらいのアイテムにしますか」「そうですね。12個お願いします」「すべて別の種類にしますか」「たくさんの種類を食べたいので選んでください」「では東海岸と西海岸を半分ずつ選んでまいります」言葉遣いは丁重である。「ワインはどういたしましょうか」「白でお願いします」「これも何種類かグラスでお持ちしましょうか」「そうしてください」こうやって世界一のオイスターバーでようやく牡蠣を食べることができた。

調 理 牡 蠣

生の牡蠣も豊富だが、調理された牡蠣も豊富に用意されている。タイミングよく料理長が向こうからやってきた。SANDY INGBER氏である。長身のコック帽がよく似合う。「調理した牡蠣も食べますか」「折角ですからいただきます」「何がお好みですか」「牡蠣フライはありますか」「勿論です」「有名なロックフェラーもありますか」「当然です」「では四種類お願いします」「こちらで選びましょうか」「お願いします」
大皿に四種類、アンチョビ入りオイスター、ロックフェラーオイスター、フライドオイスター、ブルーポイントオイスター椎茸添え。まだまだ多くあるが、これが世界一のオイスターバーシェフのお勧めの四品である。さすがにいずれも美味しい。

オイスターバーの牡蠣剥き職人
(オイスターバーの牡蠣剥き職人)

ビ ッ ク な 客 数

この店の席数は420席。客は一日1,000人から1,300人来る。牡蠣は一日2,000ダースから6,000ダース扱っている。聞いているとそのビックさに度肝を抜かれる。規模が違いすぎる。
これだけの量の牡蠣を集めるためには、当然に多くの養殖場と取引がなされている。アメリカだけでは対応できない。メキシコ・チリからも輸入する。そこに毎日発注する。取引養殖業者と仲買業者は40社を超す。牡蠣は養殖場を出てから二日以内で客のテーブルに着くシステムとなっていて、確かに食べてみても新鮮である。客は地元と観光客で半々で、ランチもディナーもあり、日曜だけが休みである。
最後に面白いことを聞いた。イベントとして25種類の牡蠣とワインの目隠しコンテストがある。どの牡蠣とどのワインが合うのか。そのお祭りである。参加する招待者はゼネラルマネージャー氏が決める。希望すれば招待してくれるような雰囲気。挑戦してみようかと気持ちが動くが、やはりニューヨークは遠いので参加は遠慮した。


ア メ リ カ 東 海 岸 編  ~ そ の 2

フ ル ト ン 市 場

ニューヨークの魚介類市場はフルトン市場である。グランド・セントラル・オイスターバーもここから牡蠣を仕入れている。ニューヨークの人々の胃袋を賄っている市場で、東京の築地と同じ位置づけであるが、2005年11月にヤンキー・スタジアムに近いブロンクスBRONXに移転した。

ヤンキー・スタジアム
(ヤンキー・スタジアム)

フルトン市場を見学するには、早朝に行かないといけない。したがって、ホテルの出発は3時半。一月のニューヨークの朝は特に寒い。その冷える道路を走って行くと、いくら「24時間寝ない街ニューヨーク」と威張っていても、中心から外れたところの道路はさすがに暗い。
カーナビのない車なので、交通標識を頼りに走るしかないが、この暗さで標識がよく見えない上に、始めていくところであるから、地図を見ながら走るしかない。
人通りは殆どない道を走っていくと、遠い向こうにトラックが数台止まっている。そこに行きドライバーに尋ねる。しばらく行ってまた尋ねる。何回か行ったりきたりしながら、ようやくフルトン市場の入り口に着いた。たどり着いたという表現が適切である。
時間は朝の4時半。一時間要した。ドアを開けた外は寒い。今年のNYは暖冬だということで、雪はないが早朝の三日月だけが、寒空に浮かんでいる。その暗いフルトン市場の駐車場はトラックで一杯である。

フルトン市場
(フルトン市場)

若 手 の 仲 買 人

フルトン市場を紹介してくれる人物は、まだ30代の若手社長である。仲買業を始めて9年。今やニューヨークタイムスで度々紹介されるほどの成功を収めている。
大学院で哲学を学んでいたときに、夏休みはアラスカで漁船に乗ってアルバイトしていた。そこで気づいたことがあった。それは市場の仲買業者が皆同じアイテムを扱っているという事実であった。ここに気づいたことが今日の成功を導いている。何事も気づきが大事である。気づきがない人は成功が訪れにくい。
二世代、三世代の人が多い中で新規参入であるから、普通のアイデイァでは大成功は難しい。気づきの第二段は情報の活用である。それもNYで最も権威のあるニューヨークタイムスの記者に売り込むということに挑戦したのである。ここが並みの人間と異なるところだ。
では、どうやってタイムスの記者に売り込んだか。それはこの若手社長のノウハウなので、ここでは公開しない約束なっているのでお伝えできない。
しかし、世の中がどのように進み、スピードアップした時代になっても、成功するためのセオリーは同じである。特別に変わったことをしたわけではないことを付言しておきたい。

ブ ロ ン ( ヒ ラ ガ キ ) 牡 蠣

ブロン牡蠣はヒラガキとも言い、フランスが原産地である。ところが、戸籍があるフランスでは今や少量生産しかできていない。フランスの牡蠣生産量は約14万トン。そのうちブロンはたったの2,000トンに過ぎない。だからバカ高い。
平べったい身も薄い牡蠣、それがブロンだがマガキとは一味違うと特徴を持っている。味に鋭さとフランスの小粋さが混じっていて、その微妙なセンスともいえる感覚が食べた人に思い出を残していく。まして、フランスではなかなかお目にかかれないので、一度食べたらその味は忘れがたい。
その思い出の味に、ここフルトン市場で再会できたのである。感動の一言。早速食べたいと若手社長に申し出てみた。返事は「どうぞ。味わってください」
気温零下に冷房してある魚置き場、そこの箱の上に並べられた幾つかの牡蠣から、ブロンをとり、巧みに殻を開けてこちらに差し出してくれる。口にいれ、噛み、しばらくするとあのブロンの小粋な感覚が口の中に広がっていく。幸せな一瞬である。その一瞬を過ぎると、あの思い出の舌の両側にしびれるような、言い方を変えると独特の苦味が鋭く刺激する。鋭くといっても嫌みのあるものでなく、自然のもつ身体に必要な栄養分という感覚のしびれである。気持ちに素直に入ってくる苦味であり、これが世界の牡蠣愛好家に絶賛される所以だと改めて確認する。
さすがに世界の牡蠣中心地のNY、そこへ牡蠣を提供するフルトン市場は違うと思う。

ア メ リ カ 東 海 岸 編 ~ そ の 3

牡 蠣 養 殖 場

牡蠣の取材に必要な条件は早起きということだ。寝坊の人は牡蠣には向かない。
牡蠣が早起きであるか分からないが、漁業関係者は皆早起きで、魚を相手に仕事しているのだから、多分、魚も早寝早起きなのだろうから牡蠣も同じはずだ。

そこで、今日もホテルを朝四時に出発する。行く先はニューヨークから44マイル・70km離れたコネチカット州 CONNECTICUT のノーウォーク NORWARK の町である。

ここで一番大きな牡蠣養殖業の社長に海の現場を案内してもらうためだ。

今年のNYは暖冬といっているが、早朝の風は身を切るような冷たさである。今回も始めて訪問するとこであり、薄暗い中で、カーナビが機能しない車であるから、この社長の会社 NORM BLOOM & SON を探すのに手間取った。

しかし、何とか6時前につく。約束の時間は6時でまだそこまで20分近くあるので待っていると、一人のひげ面のおじさんがコーヒー片手に歩いてきた。聞いてみるとこの会社の社員。会社の中に入れてもらって雑談していると、大柄の正に海の男という感じの人物が現れた。この人物もコーヒーを持っている。この人が案内してくれる社長である。

すぐに船にのせてくれるかと思ったら、自分が手造りで船を作っている作業場を案内し始めた。これが外であるから寒い。ここでよく分かったことは、日本からこのときのために大事に持参したホカロンが全く効果を発揮しないという事実である。寒すぎるのである。

海に面した波止場の設備についての案内はまだ続く。早く暖かい船の操縦席に行きたいのに、大男は自慢の工事中の建物に連れて行く。二階に上がるとゲストハウスを造っているところである。ここがバスルーム、こちらがリビング、いかにもそこに完成した後の楽しみを見出しているかのようなガイド振りである。

これがようやく終わって、船の方向に歩き出したので寒さから逃れられかと思い、自然に足は速くなる。

牡蠣養殖船

朝の六時半。とても寒い。冷え込んでいる。靴底が冷たい。19歳の息子は別の船で出航した。船には操縦者以外に4人乗っている。4人は顔つきが中南米人。聞くとホンジュラスから来ているという。正規もいるし不法もいるらしい。皆同じ村で親戚一族という。

牡蠣を採る船
(牡蠣を採る船)

社長と一緒に船に乗る。船は1924年製造。トン数を尋ねるとちょっと困った妙な顔をして、操縦室の後ろの扉から船の許可証を取り出して教えてくれる。31t。いままでトン数などを質問受けたことがないのだ。操縦免許はいらないらしい。
ここでの牡蠣の獲り方はイギリス植民地の時代から同じ方法で行われている。地蒔き式である。筏も棚も使わない。ただ海底に牡蠣を置いておくだけの方法。シンプル、昔からの方法だ。
牡蠣養殖は1970年に親から引き継いで始めている。毎年獲れる量が異なるという。72年73年は豊作だった。70年代の終わりは減少した。80年代後半に二回大豊作があった。豊作に当たったらラッキーだ。しかし、自然が相手のエコサイクル業であるからその年によって変化する。
この海は川から流れる水が多く、水温が低いのでよい牡蠣が獲れる。牡蠣とハマグリの両方獲る。ハマグリで日常費用は賄い、牡蠣は余分だとウインクする。
ようやく船のエンジンが温まったので出航する。操縦席に入る。パソコンを肩のバックから取り出してハンドル先に設定する。画面が出始めるが遅い。光ファイバーでないので時間がかかる。GPSから受信し現在地を表示する。海には竹の先に赤印をつけた棒が一直線に並んでいる。これがグリッド区画の境を示している。海図をみると、その区画ごとに名前が書いてある。権利所有者の名前である。
ようやくパソコンが作動し7時に出航。とにかく寒い。足裏が痛い。30分行くと、今日の目的区画番号地の170に到着する。
到着したところの海底は砂地だが、区画ごとに海底はすべて異なる。岩があったり変化している。石と砂のミックス。理想的な海底はある程度の深さがある砂地のところ。底が硬くてある程度の厚みがある砂地だ。少し離れた区画79の海底は大きな岩が両サイドにあって、その間に大きな牡蠣が育つよい海底だと説明受ける。

牡 蠣 を 海 か ら 掬 う

区画170の水深は操縦席で表示される。見ると20.6フィート(6.2m)から19フィート(5.7m)。いよいよ牡蠣すくいの機械を船の両側から海に入れる。船は止まっているかと思うほどの動きで旋回している。

牡蠣を海底から引き揚げる
(牡蠣を海底から引き揚げる)

機械を引き揚げると、その中に牡蠣が一杯詰まっている。それを四人が待つテーブルの上に開いて落とす。牡蠣がテーブルの上に広がる。すると四人かの手が独楽鼠のように動き出す。大きさを瞬間に測ってかごに入れる。 かごは三つ。ひとつは売れるもの。ひとつは小さいもので海に戻す牡蠣。もうひとつは殻だけのもの。これは足元に置く。この三つに分ける作業を続ける。ある程度牡蠣の山がなくなると操縦席で操作する機械が牡蠣を運んで、それをテーブルの上に開いて落とす。これが何回も続く。

船上で牡蠣の選別作業
(船上で牡蠣の選別作業)

9時過ぎまで作業が続き、そこに息子ジミーの船が来る。息子の船から牡蠣を移す。殻のものも移す。その作業が終わると息子は次の区画に移動する。次はハマグリを獲るらしい。スピード豊かなリズム感ある連続作業である。船の上は寒いだろう。水仕事だ。だが、作業を始めると上のコートを一枚脱いでいる。暑いのだろう。
5月以降の牡蠣はぶよぶよしてうまくない、今が一番うまいという。食べたいというと作業員が牡蠣を洗って操縦席の社長に手渡し、社長はペンチで蝶番のところを砕き、ナイフで貝柱を切って牡蠣を開け、こちらによこす。食べてみる。冷たい。味は素直。シンプル。口の中にいやみがない。自然の感触。やはり海から直接の牡蠣はすばらしい。満足する。

自 然 を 大 事 に

息子ジミーから受けた小さい牡蠣と、この船で引き揚げた小さい牡蠣、まだ市場に出せない牡蠣を79区画に持っていき海に落とす。こうやって大きくなってから獲るのだ。
筏も棚も必要なしの自然養殖。すごい。理想的と思う。昔からの方法。79区画に戻したのは多分9,000個だろうという。一袋にいくらはいるかで分かるのだ。
船の上では大きい牡蠣を水で洗って、といっても水は汚れていて、その中にちょっとつけるだけだが、その牡蠣を市場に出す紫色の袋に入れる。これで牡蠣の出荷準備は完了する。簡単といえば簡単。シンプル。きれいには磨かない。だからレストランで一度洗うのだろう。この出荷する相手は市場で、フルトン、ボストン、マサチューセッツ州などに送るが、直接レストランに送る先も数軒あるという。
社長がつぶやく。「牡蠣はつくるもでない。自然という母親が育ててくれるものだ」なるほどと感じ入る。
アメリカの海の自然の豊かさに感動した。