メキシコ・バハ・カリフォルニア州JOLLYオイスター養殖場 ~ そ の 1

世界牡蠣研究家 山本紀久雄 

1.メキシコ訪問への経緯

 2003年に「フランスを救った日本の牡蠣」を出版した。この本はフランスの主要六カ所海域で行われている牡蠣養殖の実態を調査し、加えて、フランス文化全般についても論究したもので、お陰さまで多くの方から好評をいただいている。2010年には、2003年以降7年間に渡って世界14カ国の牡蠣養殖場の実態調査を実施し、それを「世界の牡蠣事情」として出版した。

このような世界の牡蠣養殖場を網羅した出版物は、世界でも始めてで、牡蠣にかかわる人々から参考になったという声をいただいている。そこで、その後も各国の牡蠣養殖実態を調べるため、クロアチア、ノルウェー、インドネシア・バリ島を訪問し、今回のメキシコ調査なったわけであるが、メキシコについては大阪の国立民族学博物館の八杉佳穂(やすぎ よしほ)教授が関与している。

上記はバリ島海洋養殖研究所が作成し、Apri Supii氏が2011年のタスマニアとアで開催された国際牡蠣学会で発表した資料であり、ここにNobuyoshi Nishikawaと日本人ではないかと思う名前がある。そこで、この日本人にもお会いしたく、その後いろいろ調べ札幌在住の西川信良氏と判明し、後日、札幌でお会いしたが、その内容については後段で述べるが、その前にインドネシアという国について概要をお伝えしたい。

2.メキシコの歴史

 メキシコに入る前に、メキシコの歴史を見てみたい。
メキシコは合衆国で、北アメリカ南部に位置するラテンアメリカの連邦共和制国家である。北にアメリカ合衆国と、南東にグアテマラ、ベリーズと国境を接し、西は太平洋、東は大西洋とカリブ海のメキシコ湾に面する。首都はメキシコシティである。ラテンアメリカ最北に位置する。およそ一億人の総人口は、ラテンアメリカでは2番目に多く、スペイン語圏全体では最多を誇っている。

歴史を辿ると、この地域は、紀元前2万年頃の人間が居住した形跡があるといわれ、先古典期中期の紀元前1300年頃、メキシコ湾岸を中心にオルメカ文明が興った。オルメカ文明は、彼らの支配者の容貌を刻んだとされているネグロイド的風貌の巨石人頭像で知られる。

先古典期の終わりごろ、メキシコ中央高原のテスココ湖の南方に、円形の大ピラミッドで知られるクィクィルコ、東方にテオティワカンの巨大都市が築かれたその後も後期マヤおよびアステカのような複数の高度な先住民文明の拠点として繁栄を極めた。

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(テオティワカンの巨大都市)

14世紀後半、テスココ湖の西岸にあるアスカポツァルコを首都とするテパネカ王国にテソソモクという英傑があらわれ、その傭兵部隊だったアステカ族は、テソソモク没後、15世紀前半、テスココ、トラコパンとともに三都市同盟を築き、テスココの名君ネサワルコヨトルの死後は、完全にリーダーシップを握って周辺諸国を征服し、テノチティトランを中心にアステカ帝国を形成した。アステカ帝国は比類なき軍事国家であり、現コスタ・リカにまで隆盛を轟かせていた。

1492年のクリストファー・コロンブスのアメリカ大陸到達後、16世紀初頭の1519年にスペイン人エルナン・コルテスがメキシコに上陸した。コルテスら征服者達は、アステカの内紛や、神話の伝承を有利に利用して戦闘を行った末に、テノチティトランを征服し、1521年に皇帝クアウテモックを処刑してアステカ帝国を滅ぼした。そののちスペイン人達は、この地にヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)副王領を創設。ペルー副王領と並ぶインディアス植民地の中心として、滅ぼされたテノチティトランの上にメキシコシティが築かれた。

その後の経緯、メキシコが独立するまでと、独立後の国際紛争関係、政治関係を書きだすときりがない程の内容がつながるので省略するが、現在の最大問題は麻薬である。特に米国との北部国境地帯の治安悪化はマフィアなどの抗争も相まって顕著だが、首都として人の集まるメキシコシティや、それ以外の地域においても失業者の増加と社会的・経済的不安定要因が治安情勢の一層の悪化を招いており、強盗、窃盗、レイプ、薬物などの犯罪は昼夜を問わず発生している。

観光客が注意するべき事項として、交通機関においては、夜間のバス利用、地下鉄やメトロブスにおける窃盗やスリ、大都市における流しのタクシー(無認可タクシー)利用がある。さらに、両替所やATMにおける強盗被害も報告されており、メキシコシティ市内の国際空港「メキシコ・シティ国際空港(ベニート・フアレス国際空港)」においてはその被害が多発している。

また、反政府ゲリラやその名を冠した集団が存在している地域には観光ツアーを利用せずに、行くことは危険である。女性をレイプしたあとに四肢切断、被害者の頭部切断という事件や、カルト教団において生贄を捧げるため少年らを殺害するという事件も発生したという状況であるから、メキシコにはツアー以外では、行かない方がよいというのが常識化している。


3.世界牡蠣面白物語

ここで牡蠣の話題に戻るが、世界の牡蠣実態を調べていくうちに、牡蠣業界でよく知られていることながら、それが深く究明されずに、単なる「そういうことなのか」というレベルで止まっているいくつかの話題があることが分かってきた。例えば、次項の表で示すようにポルトガル牡蠣はCrassostrea Angulataとして、卵生型Oviparous Typeに位置するが、これが台湾で食べられている牡蠣と同じDNAであることがフランスの研究者によって解明されている。

しかし、現在でもポルトガル・リスボンの海域一部で生息しているポルトガル牡蠣と、遠く離れたアジアの台湾牡蠣とが、何故に同じ種類なのかの説明がなされていない。これらを含め世界の牡蠣については、多くの「謎解き」すべき話題があり、これらについて誰かが解明、又は解明できないまでも、そのことに挑戦する必要があると思うが、未だそれらについて研究している者はいない。

そこで、世界の牡蠣についていささか詳しいと自負している当方が、お金と時間を投入し「世界牡蠣面白物語」として出版すべく、各地を訪れているのであるが、ここで前述の国立民族学博物館の八杉佳穂が関与してくる。台湾の状況を調べるため国立民族学博物館を訪問した際、マルト水産の卜部悟会長と八杉教授は同じ出身高校であるということで、教授の研究室を訪れてみた。

教授といろいろお話していると、様々な分野の研究をされているが、専門はメキシコ人類学とのことである。そこでメキシコにも牡蠣は自生しているかと尋ねると、勿論という一言。そこでメキシコの牡蠣についてインターネットで検索してみたところ、メキシコ湾で牡蠣養殖がおこなわれていることがわかったが、同湾での牡蠣養殖業者のホームページはすべてスペイン語である。英語のホームページがないか更に検索すると、バハ・カリフォルニア州太平洋岸にJOLLYオイスター養殖場あることがわかり、早速連絡を採ったところ牡蠣養殖場の視察を心よく了解していただき、今回の訪問となったわけである。


4. メキシコ:米国との国境沿いにおける治安悪化に伴う注意喚起・・・外務省

だが、事前に外務省のホームページで、メキシコの海外安全について見てみると、次のように掲載されている。

① メキシコの北部地域では、麻薬組織間の抗争や治安当局による麻薬組織 等犯罪組織の取り締まり及びそれに対する報復等が発生しており、治安が悪化しています。2月8日には、米国との国境沿いにあるチワワ州フアレス市において車両を運転中の邦人が銃撃される事件が発生しました。同邦人は出張先のフアレス市からレンタカーで米国エル・パソに向かう途中、メキシコ側の国境付近の交差点で信号待ちのため停車していたところ、横付けした車から降りてきた男に拳銃で撃たれたものです。

② メキシコ政府の発表によれば2010年の1年間における麻薬組織関連の殺人被害者は15,273人であり,2009年の9,614人を大幅に超えています。特に、チワワ州フアレス市、タマウリパス州マタモロス市、レイノサ市及びヌエボ・ラレド市並びにヌエボ・レオン州モンテレイ市においては2010年に入り、麻薬組織による道路封鎖や有名ホテルにおける襲撃・拉致事件が発生するなど急激に治安が悪化しており、この5都市だけで3,263人の殺人被害者数が報告されています。

③ つきましては、メキシコ北部の米国との国境沿いにあるチワワ州フアレス市、タマウリパス州マタモロス市、レイノサ市及びヌエボ・ラレド市並びにヌエボ・レオン州モンテレイ市とそれらの周辺地域へ渡航・滞在を予定されている方、又はすでに滞在中の方は、銃撃戦に巻き込まれたり、犯罪の被害者とならないよう、その時々の治安状況に関する最新情報を入手し、危険な場所に立ち入らない等心掛けるとともに、夜間の外出は控える等細心の注意を払ってください。また、銃声等を聞いたときは、姿勢を低くするとともに、直ちに現場から避難してください。

このように書かれているのを見ると、とてもメキシコには行きたくなくなる。そこで、この件についてJOLLYオイスター養殖場に問い合わせすると、この企業のマーク社長が、アメリカのサンディゴまで自分の車で迎えに来てくれ、帰りもメキシコの国境を越えて、サンディゴまで送ってくれるので、途中の治安についての不安は問題なしとの申し出である。イギリス人のマーク社長が送り迎えしてくれるなら、メキシコ国内の交通機関を使用しないのであるから、安全は確保されるだろうと、ようやく決心してメキシコに向かったのである。


5.メキシコ国境通過

しかしながら、このような危険区域といわれている地域に行くのは初めてで不安であるとともに、新たなる疑問が浮かんだ。それは、国境を簡単に行き帰りできるのかということである。アメリカのサンディゴからメキシコに車で入り、二三日で再びアメリカに戻る。入国審査はどうなのか。メキシコからの出国、アメリカへの再入国審査はどういう手続きなのか。

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(国境線・左がアメリカ、右がメキシコ・ティファナ)

だが、この心配は杞憂に終わった。実際に国境へマーク社長の車で行ってみると、何もなくあっという間にメキシコに入れる。簡単だ。毎日、アメリカとメキシコの国境を行き来する、つまり、日帰り通勤している人が大勢いるのだ。アメリカのサンディゴ、メキシコのティファナ、この向かいあう二都市はツイン・ツイン、即ち双子の都市と呼ばれている。街並みと住む人が大きく異なる。サンディゴは、軍港と商工業都市として発展した清潔な街。気候も温暖で住みやすい。他方、ティファナは人ごみと強烈なタコスの匂い、喧騒ぶりと猥雑さに圧倒される街である。だが、この清潔なサンディゴと、如何にもメキシコ的野卑なティファナとは、毎日の通勤という実態が示すように相互補完関係にある。したがって、アメリカからの国境越えは簡単である。

但し、返りは厳しい。それも半端でない。カリフォルニア州とメキシコ・バハ・カリフォルニア州の国境越えルートは四区域ある。ティファナに二か所、テカテに一か所、メキシカリに二か所、それとロス・アルゴドネズという四区域である。メキシコへ入ったのはティファナルート、これは何も検問なく簡単。帰りのアメリカ入りティファナルートは、メキシコに入るとき眼にしたが、国境を越える道路に長蛇の車の列。アメリカへの入国には時間がかかることが予測されるので、もっと入国人数が少ないと予想されるテカテルートに向かった。

到着したテカテ、山の頂上というイメージのところ。検問所には二台しか車がいない。マーク氏の運転する我々と、前の一台に乗車する太ったメキシコ人女性二人である。見ていると車から女性を降ろし、遠く離れたベンチに座らせてから、車の上から下まで、タイヤの間からエンジン部分まで、細部に渡って時間をかけて数人で検査している。これが麻薬のためであることは明白だ。ようやく終わって、今度はこちらである。パスポートを提出するよう指示され渡すと、入国カードまたは入国スタンプはないのかと質問受ける。こちらからの答えはESTAだというが、それが係官には分からないらしい。ESTAを知らないらしい。

ESTAとは 電子渡航認証システム(Electronic System for Travel Authorization: ESTA)のことで、米国国土安全保障省(DHS)により2009年1月12日から義務化されている。米国に短期商用・観光等の90日以内の滞在目的で旅行する場合(米国において乗り継ぎするケースも含まれます。)は、査証(ビザ)は免除されていますが、米国行きの航空機や船に搭乗する前にオンラインで渡航認証を受けなければならないと決められた。それを手続きしてきたので、再びESTAだというと、あちこちへ電話して、かなり時間がかかったが、ようやく「今分かった」とパスポートを返してくれ、アメリカへの入国ゲートを開く。メキシコ人女性よりは時間が少なかったが、随分とかかり、ようやくサンディゴに戻れたのであり、正直ホッとした。

これがアメリカとメキシコの国境事情である。いずれにしても、このような山間部の国境ルートを通る日本人はいないのであろう。現地の状況に詳しいマーク氏が、ティファナでは時間がかかり、とてもサンディゴからロスアンゼルスに移動するエアー時間に間に合わないとみて、このテカテルートを選んだのであるが、ESTAで時間がかかるとは予想していなかった。その二に続く。

メキシコ・バハ・カリフォルニア州JOLLYオイスター養殖場 ~ そ の 2

メキシコの牡蠣養殖事情について、その一から続く。

6.世界の牡蠣について

さて、このマーク社長から事前に問い合わせが届いた。世界の牡蠣について全体像を教えてほしいという要望である。
マーク社長は勉強家と感じるし、メールでのやり取りからわかるのは、論理性がある人物だということである。そこで、以前に作成した牡蠣の資料から以下の内容をマーク社長に連絡したが、それが下記の内容である。

① 世界の牡蠣分類
牡蠣類は世界中で約200種あまりが知られている。分布域は、南北両極地方を除く、北緯64度から南緯44度までの海の潮間帯から水深50M以上までで、高塩分の外洋域から、極めて低塩分の河口や内域までの、非常に広い範囲にわたって生息している。牡蠣の種類をまとめると以下の表のように分類できる。

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② 世界で食されている主流の牡蠣
上表の中で、世界で主に養殖され食されている牡蠣は大別して二種類ある。ひとつは、フランスをオリジンとする一般的にヨーロッパヒラガキと呼ばれるOstrea Edulisであり、もうひとつは日本をオリジンとする一般的にマガキといわれるCrassostrea Gigasである。
現在では、ヨーロッパヒラガキの生産量は少なく、世界的に見てマガキの別名パシフィクオイスターと称されているが、この生産の方が圧倒的に多くなって、多くの国で食べられている。

③ クマモトオイスター
この二種を基本として、世界各地域では特色ある牡蠣養殖がおこなわれているが、アメリカ西海岸の特徴としてはマガキの一種である小粒のクマモトオイスター、上図のCrassostrea  AriakensisまたはCrassostrea  sikamea と称するが、これが養殖生産されており、アメリカ東海岸にも運ばれアメリカで大変な人気となっている。だが、このクマモトオイスターは日本市場では主要な牡蠣として食されていない。日本の熊本県有明湾で実際に今でも生息しているが、日本人はあまり食べないので、養殖もごく僅かな量しか生産されていない。

その理由としては、日本では牡蠣の市場はむき身が殆どで、むき身牡蠣は調理して食べる関係上、大きめのマガキ・パシフィック牡蠣を好むからである。ところが、アメリカでは異なる。日本の熊本県有明海から1947年に始めてクマモトオイスターがアメリカに輸入されて以降、当初は養殖が難しいため食されていなかったが、多くの関係者の努力によって、今やアメリカで一番人気の牡蠣となっている。その理由は殻付き牡蠣として食べるに手頃な大きさ、つまり、小粒であることからアメリカ市場で成功していることと、その味わいのよさである。


7. San Quintinサン・クェンティで食べたクマモトオイスター

いよいよJOLLYオイスター社の養殖場を訪問した。ここはメキシコのバハ・カリフォルニア州に位置する。国境線の都市ティファナがある地区。

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上図のエンセナダにJOLLYオイスター社がある。また、この会社の養殖場は二か所。その一つSan Quintinサン・クェンティに行き、早速に海辺でクマモトオイスターを食べてみた。世界中の養殖場で海から採ったばかりの牡蠣を食べているが、その中でもJOLLYオイスター社のクマモトオイスターは素晴らしいと感じた。同社の社長マーク氏が殻を剥いてくれ、匂いを嗅ぎ、口に入れた瞬間「美味い」という言葉が自然にでた。

美味さを上手に説明するのは難しいが、この海は塩分が若干強いので、最初は塩味が強いと感じるが、噛んでいるとジワーと旨みが出てきて、最後は円やかな上品な味わいに変化する。このような品の良い味の変化はなかなか見られないものであり、この地のクマモトオイスターは一流といえるだろう。だから、ニューヨークのグランドセントラルオイスターバーに出しても人気となるだろうと思う。


8.オイスターバーの牡蠣との違い

牡蠣は一般的にオイスターバーで食べ、生牡蠣には白ワインが通り相場である。また、牡蠣にはシャブリというのが通説である。このシャブリが通説となった謂れについては、学問的にもシャブリ地区の現場を訪ねて調べたので、次の出版「世界牡蠣面白物語」でジックリ論じたいと思っているが、牡蠣には白ワインが適していることは間違いない。

そこでオイスターバーで白ワインとともに牡蠣を食べるが、いつも何か違うような感じが残る。これは問題という意味でない。牡蠣の味もよく、各地の特性が微妙に異なり、絶妙のシャブリであったとしても何か気になるのである。それは何か。どうしてかと思いつつ考え気づいたことがある。それは、オイスターバーの生牡蠣が並んでいるコーナーでは、牡蠣が氷の中に置かれ、同じ温度で管理されているので、牡蠣の味わいはそれぞれ違うが、共通しているのが冷たさが程良くなっているということである。つまり、全部の牡蠣が同じ温度に保たれているという、一つの基準値で牡蠣が提供されているということである。だから、牡蠣それぞれの味は異なるが、食べ終わった後の感覚は一定のティストとなる。

ところが、養殖場で食べ続けている牡蠣は、その海そのもので、海水も温度も牡蠣の種類も、その時の天候もすべて異なる。だから、それぞれの味がはっきりと明確に感じられる。そこの土地と海の味わいが濃く表現されている。オイスターバーは海の中にあるのでないから仕方ないし、氷の上におくのは鮮度管理から必要なことだが、養殖場で海の上で食べる牡蠣とは味わいが全く異なる。そのことをSan Quintinサン・クェンティで食べたクマモトオイスターで、再び確認した次第である。


9. JOLLYオイスターのスタッフ

さて、San Quintinサン・クェンティの海にボートで出た。実際の牡蠣養殖方法を視察するためである。養殖海域は30haと広い。まだ若いメキシコ人の責任者が案内してくれる。
今回気づいたのは、イギリス人のマーク氏が社長をして、孵化場にもう一人イギリス人のマーク氏がいるが、実際の業務はすべて地元のメキシコ人が行っていることである。これは当然の当たり前のことであるが、課題はその人達の意欲である。業務に対するモチベーションというか協力姿勢の強弱である。

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San Quintinサン・クェンティには、メキシコ人従業員が十数名いるが、マーク氏は一人ひとりと話し、抱き合い、笑いあう。お互いの親密さがわかる。JOLLYオイスターには全体で30数名のスタッフがいるという。二人のマーク氏を除いて、すべて現地のメキシコ人で養殖場二か所、孵化場一か所を動かしている。その代表もいえる若い26歳の責任者、そのガイドぶりから、自分は任されているというプライドが感じられる。ボートから体を乗り出して、今にも海に落ちそうとなって、真っ赤な顔して、力いっぱいで牡蠣の詰まったボックスを引き上げてくれ、縄をほどいて牡蠣を見せてくれる。

そういう時に本人の気持ちが正直に表にでる。この企業の人々は意欲的で、協力的であると感じるのだ。これは同様の体験を世界各地の養殖場でしていることから分かることである。地元の人々の協力を得るのは、当然の当たり前のことであるが、その中でもJOLLYオイスターのスタッフは頑張っていると方だと思う。

10.牡蠣養殖方法

二階建てのゲストハウスで、長靴を借りて履きかえ、ボートまで海の中を歩く。ひざ下まで海水が来る。干満差は2mという。鷹・オスプレイがいる。そういえば沖縄に配置されるアメリカ軍の新型ヘリコプターはオスプレイという名前だ。

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沖合の養殖ラインにおかれた牡蠣袋の上にはペリカンがたくさん止まっている。
さて、JOLLYオイスター社の牡蠣養殖方法は四段階である。
数量は目安であるが、以下の手順で実施されている。

① 稚貝を入れる。これは六週間。5000個ほど。
② 箱へ移す。ここで二カ月。3000個ほど。
③ 次の箱に移す。ここで三カ月。500個ほど。
④ 出荷前の調整としての箱に移す。120個ほど。

合計養殖期間は18カ月から24カ月程度だという。約二年以内で四段階養殖は早いと感じる。早い養殖期間なので、その分手間がかかるので大変だと思うが、四段階にわたって牡蠣の状況を明確に把握できるので、牡蠣の安全性については十分チェック出来ると感じる。

では、世界で一般的に行われているのは何段階であろうか。大体、三段階が多い。
例えば、フランスで著名なブルターニュ地方の網式の場合、三段階の養殖方法が採られている。養殖する数量は目安であるが、

① 稚貝を網に入れ一年間おく。約1,000個
② 次に500個にして別の網に入れて一年間。
③ 最後の一年間は200個にする。

つまり、三年間で育て出荷するのである。これが多くの海で採用されている養殖方法である。ところが、JOLLYオイスター社の牡蠣養殖方法は四段階と、一段階多いので、当然に養殖管理状態は万全といえるだろう。


11.海域の自然環境

次にボート上で感じた海域の自然環境である。広々として海域の向こうに見える山によって囲まれた湾景観が素晴らしく、海の色はみどり色でもなく、土色でもなく、澄んでいるが海底は見えないという微妙な海、そこにアラスカから冷たい風が来るので、海水は冷たいが、クリーンで栄養が豊富だと感じる。バハ・カリフォルニア州からサンディゴ経由でロスアンゼルスに入ったが、メキシコとは気温が異なる。かなり暖かく青空が多い。

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メキシコの太平洋岸がこのように冷たいとは思わなかった。その冷たさが海水に及ぼし、牡蠣にも影響を与えているのだろう。それと、この海では二年以内で牡蠣を市場に出せる大きさに生育するのだから、明らかに海の栄養が豊かなことを示している。加えて、干満の差が波を適度に発生させ、その波が牡蠣のBOXをうまく動かしてくれることも影響していると推測する。しかし、この海の素晴らしさに負けないすごさがマーク氏である。ボートの淵に腰掛けて当方に向かって語る姿、そこには情熱がほとばしっている。これがマーク氏の真骨頂なのだと感銘を受ける。


12. エンセネダの孵化場

San Quintinサン・クェンティの海を終えて孵化場へ向かう。エンセネダである。時間がかかり、到着したのは17時過ぎ。もう大分暗い。

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ここでは別のイギリス人であるマーク氏に案内してもらう。
孵化場のシステムはイギリス方式だという。六か月間イギリスの孵化場で研修を受けて来て、このメキシコに家族とともに住み、現在の孵化場にするまでに三カ所もトライしてようやく成功したと語るが、その厳しかった過去を感じさせない語り口は、静かでゆっくりで論理的でよくわかる。ここでのシードつくりは、パシフィックオイスターとクマモトとクラムとグイダック。パシフィックとクマモトの生産比率は50対50である。小規模だというが聞くと結構な生産量である。システムは、向こうに見える海から水を取り込み、スルーフローシステムという常に水が動いているもので浄化して、それに栄養分をつくり取り入れ、親牡蠣から産ませた卵からシードに育てるのである。このような孵化場は世界各地で視察したが、それとの比較でいえることは、ここは手づくり感覚だということ。
マーク氏の創意工夫がシステムをつくりあげたのだと判断する。

そうでなければ、たった六ヶ月の研修経験だけで、これだけの孵化場は出来ないと思う。随分苦労したと思うが、それを感じさせずに淡々と語るマーク氏にも感銘を受けた。

最後に、ここメキシコ・バハ・カリフォルニア州の湾海域は牡蠣養殖に適していると感じる。世界的に見て今後さらに伸びる海であり、新しい可能性を秘めたところだろう。なお、JOLLYオイスター社については、販売方法の現場を視察していないので、改めて機会をつくり訪問し、全体像を世界に紹介したいと思っている。

                             以上