ア イ ル ラ ン ド 編 〜 そ の 1

ア イ ル ラ ン ド は 急 成 長 国 だ っ た

アイルランド共和国は人口400万人。首都ダブリンは110万人。国の面積は7万平方キロ。北海道とほぼ同じくらい。
この国のリーマンショック前までの10年間の経済成長は著しかった。年間平均で10%程度の成長。政府財政は大幅な黒字。税金も安い。不動産は高騰した。
アイルランドは800年前にイギリスの植民地となり、120年間の併合も重なり、イギリスに侵され略奪され続けた歴史がある。当時主産業は農業であったが、収穫された農作物はイギリス人不在地主によって徹底的に搾取され、残り物ではとても生きていけず、選択肢は餓死するか、逃げ出すかであって、多くのアイルランド人は後者を選び、アメリカへの大量移民が始まった。
その結果、19世紀前半に人口は800万人であったが、減り続け、一時は260万人まで激減した。国家として破たんし、ヨーロッパの最貧国と言われ続けてきた。
しかし、1973年へEU加盟を機に、開放経済政策、優遇税制による外資導入、高付加価値産業への転換、教育投資による人材育成、英語力(ヨーロッパでは英国とアイルランドだけが英語言語)の利点活用など、国が主導して一定の方向に経済・社会を政策誘導することによって、輸出依存型の経済発展に成功させ、とうとう2004年には、英誌エコノミストが「低い税率、高い経済成長率、質の高い教育と自然の美しさが、あらゆる面でも比類のない生活の質をアイルランドに与えている」と評するほどになった。
さらに、同誌で「低い失業率という新しい魅力的な要素に加え、健全な家庭生活と地域社会といった旧(ふる)くからの要素を維持したまま、両者を融合した」とも書かれるまでに至った結果は、アイルランドの歴史上初めて、出国者よりも入国者の方が多くなって、海外からの労働者人口は、総人口の1%から12%まで上昇した。つまり、所得、保健、気候、政治的安定等の指数比較で世界トップになったのだ。
このように、ヨーロッパ最貧国からはいずり上がったサクセスストーリーから、アイルランドは「ケルトの虎」と呼ばれるようになった。勿論、一人当り名目GDPで、英国、日本を抜き去っている。
だが、今回の金融危機でアイルランドは破綻した。ここ10年ほどイギリス、スペインと並んで欧州バブル三兄弟の一角を占めていたが崩壊し、長いパーティーの後の二日酔い状態となって、2009年GDPは前年比マイナスで「景気後退」から「不況」へと一気に突入した。
住宅価格も大幅下落し、不動産セクターは国民所得の10分の1、労働力の13%がここに属しているので、不動産ブームが去って、失業者増と外国人の帰国ラッシュで、今では逆に、ポーランドがアイルランド人失業者をワルシャワへ呼び込もうと、就職フェアを開催するくらいである。

第 一 公 用 語 は ゲ ー ル 語

牡蠣養殖場を訪問するために、国道一号線を車で北へ向かう。目指すのはカーリング入江 CARLINGFORD LOUGHである。国道一号線をこのまま走っていくと、北アイルランドに入る。北は英国領だが国境線に検問所はない。自由に行き来できる。定期バスが北へ行き、再び共和国側に戻ってくる。アイルランドには公用語が二つある。一つは英語。もう一つはゲール語。ゲール語の方が第一公用語である。ゲール語はケルト人の使った言葉。道路標識も二つの言葉が書いてある。空港内の表示も同じ。

警 官 の チ ェ ッ ク を 受 け る

自然は山並みと高原と牧場と畑が続いている。山はあまり高くない。高くても1000m程度。なかなかよい景観だなぁと、のんびりと窓の外の風景に見とれていると、突然目の前にポリスの車が入ってきて、止まれと合図する。何事か。何か事件か事故か。わけが分からないが止まれというので停車する。ポリスが窓外からパスポートを見せろという。渡すとしげしげと見た後で返してくれる。どうやら日ごろ見かけない人種が、北方向に走っているので不振がられたようだ。ここにもまだ北アイルランドの独立闘争の戦いの後が残っている。無事ポリスから解放されて、再びカーリング入江を目指す。
牡蠣養殖場のあるカーリング入江 CARLINGFORD LOUGHは、ダブリンから約100km北方向に位置し、車で一時間半かかる。

牡 蠣 養 殖 場 に 向 う

アイルランド人は海に囲まれた島国なのに、魚は余り食べない。肉類が好み。牛、羊、豚、鶏肉をよく食べる。野菜はジャガイモが主食。寿命は男女とも日本より五歳程度引いたくらいだから、それほど短命ではない。アメリカよりはデブは少ないように感じる。
その魚をあまり食べないアイルランドの中で、牡蠣を商売にしているのだからいろいろ難しい問題もあるだろうと思う。そんなことを考えていると、ようやくオイスターファーム(養殖場)に着いた。
カーリング入江の海沿いの狭い道を入っていくと、小屋を少し大きくしたような事務所があり、そこから若い女性が出てくる。これがとても愛想よい。長身。見方によれば美人。人をそらさない対応だ。
ここは1974年に父が牡蠣の養殖を始め、今は長男が継いでいて、その妹がこの愛想の良い女性だ。父はオランダから来た。

ト ラ ク タ ー で 牡 蠣 養 殖

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(トラクターで海へ)

この女性が説明してくれる。牡蠣のグレードはサイズで決まる。スモール、ミディアム、ラージ、エクストララージの四種類。牡蠣の種類はマガキとブロンの二種。マガキは日本から来たもの。ブロンはネイティブOSTREA EDULISである。この湾では三つの牡蠣会社が養殖している。潮位は3.5mから5mある。
という説明を、貸してくれた超特大のブカブカ長靴を履いて歩く、というより引きずって浜辺にたどり着きながら聞いていると、急に止まって指を指し、遠く向こうに見えるのが社長だから、ここから潮の引いた海の中を自分で歩いていってくれとウィンクする。自分の担当はここまでなのだ。
潮が引いた海底を500メートルくらい歩くと、向こうから長身の若い男性、これが社長だが現れる。今日は三日月だから大潮であって、朝六時半から九時半まで仕事するのだという。時間はちょうど九時半。十時以後は海水が満ちてくるので、これから陸に上がる。トラクターで移動するので後ろに乗れという。今来たばかりだから少し説明をして欲しいと要望する。


ア イ ル ラ ン ド 編 〜 そ の 2

作 業 は 大 陰 暦 だ

カーリング入江の長身の若い社長が説明してくれる。仕事をするには、前提として月の動きで潮位をまず計算する必要がある。日本で言う昔の大陰暦だ。実際の牡蠣養殖棚は浜辺から二キロ先。もうそこは海水が満ちてきているので、今は棚のところにいけない。その棚で3年間牡蠣を置き大きくしてから、浜辺から一キロ以内の棚に移す。一キロのところは8時間潮が引く。棚のところは2時間。6時間の差が牡蠣を大きく育てる。

稚貝はフランスのアルカッションから買う。この海は冷たいのでマガキは産卵しない。養殖の網の取替えは一年ごとに行う。4センチのとき、9センチのとき、12センチのときである。売り物するかどうかの判断は重さで90g以下・以上で決める。

養 殖 場 は 2 0 ヘ ク タ ー ル

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(養殖場は20ヘクタール)

海の権利はライセンス制。国の水産庁の許可制。この会社は20ヘクタール許可受けている。牡蠣生産量は150万個から200万個。今年は生産順調だ。販売先はイギリスが50%、アイルランドが25%、香港が10%、フランス他が15%。アイルランド国内の販売先は近くの町のレストランやホテルに出している。
牡蠣の味の特徴はお客さんが決めるものだが、あえて言えばここの牡蠣はビューティフルでハッピーだ。牡蠣は人手と時間がかかり、面倒見ることが大事だ。手間によって牡蠣は変わる。最高の条件でつくっているつもり。心がけ次第だと言う。
マガキに対して、ブロンの価格は二倍だが、手間が二倍かかることと、病気になりやすいということでリスクが大きい。他の養殖場でも病気が発生している。だからブロンは少なく生産している。

浄 水 施 設 の 水

そのようなことを聞きながらトラクターに乗って浜辺に戻る。いつも思うことだが、ファームという表現。海の農夫。海の中をトラクターで仕事する。日本では考えられない作業方法だと思う。
事務所のある小屋の中は作業場も兼ねていて、そこに浄水施設もある。出荷前に牡蠣を作業場内の水槽に入れるのだ。水槽の海水は満潮のときに、作業場の前にある元石切り場の後の穴に海水が溜まるので、それを利用している。海水が汚れているのではないかと、身を乗り出して覗き込むと、社長が「大丈夫。この海はきれいだ。海水が緑色になっているのは栄養がある証拠だし、水産庁が毎週水質検査している」と質問しないのに答える。
ここからパイプで運んできて、その水に紫外線を当ててから水槽の中に流す。これに二日間入れると牡蠣は泥を吐く。隣の水槽は水を流してあったが、下に泥が少したまっている。これが牡蠣の吐き出した泥だと説明受ける。

販 売 方 法

販売先はほぼ決まっているので、事務所にいる妹が電話で注文取るだけだ。チラシも会社案内もHPもつくらない。電話だけで商売する。アドレスを書いた名刺もないので、紙にアドレスと名前をアウトプットしてもらう。それを見ると住所と電話とFAXだけ。メールアドレスは勿論記載無し。
牡蠣養殖業を始めるのに免許はいらない。従業員は男四人、女三人、それと社長の奥さんが経理している。
最後に浄化槽の中から取り出して、マガキとブロンを食べさせてくれる。とても冷えていて味が締まっている。噛み締めているとジワーとカーリング入江の味がしてくる。アイルランドの牡蠣も美味いと思う。


ア イ ル ラ ン ド 編 〜 そ の 3

魚 市 場

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(魚市場)

ダブリン魚市場 DUBLIN FISH MARKETのオーナーのジョージ・ノーマン氏 GEORGE NOLANに会う。ダブリンから8㎞の港にある魚市場だ。

9:30に来いというので、随分遅いとは思ったが出かけ、着いてみたら競りは終わっていて、残った魚しか並んでいない。当然だろう。NYでもパリでも早朝3時にホテルを出発したのだから。何か連絡が悪かったのだろう。仕方ない。終わった競りは戻せない。
競りはあきらめてジョージ・ノーマン氏から話を聞くことにする。まずノーマン氏から尋ねられる。日本のシーフードショウで「URAウラ」さんという日本人と友達になったが、その人を知らないかと聞かれる。当然知らない。

ここの市場の年間扱い高を聞くと結構大きい。大したものだ。こんなに小さな魚市場でよくやっている。とにかく建物一つだけの市場だから。今まで見たパリとNYとは比較ができないくらいローカル規模なのに立派だ。

ここから魚を出荷するのはメインがスコットランド、フランス、スペインで次にアイルランドである。

ところで牡蠣がないので、どこにおいてあるのかと聞くと、扱っていないと言う。驚いた。理由を尋ねるとマーケットが小さすぎるからだと言う。牡蠣がない魚市場であった。完全に当てが外れた。

市場は毎朝6:30から競りを行う。ただし明日は6時。魚の入荷量で時間は変わる。魚は前日に市場に入って、冷蔵倉庫に入れておき朝に出す。扱いの種類は海魚が三分の一、スモークサーモンが三分の一、その他として冷凍のカニ、エビなどが三分の一である。

競りには50~60社が参加する。直接この市場に来る会社と、メールと電話でやり取りするところになる。このほかにレストラン・魚屋が20軒ほどある。これも電話で取引する。
アイルランド人の魚好きは1人で年間7~8kg食べるが、自分は80kg食べると言う。

ここの経営は12年前から始まった。昔ボストンで魚を扱っていた。その後ファミリー企業で仕事していたが、漁師がこのような市場を作ってくれという要望があったので、引き受けた。こういう市場はアイルランドに12ヶ所ある。規模はそれぞれの港の大小で決まる。

アイルランドで獲れる魚類は海老が多く全体の50%で、後はニシン、サバ、白身の魚だ。魚の種類は少ない。これでは日本食の刺身は日常提供するのが難しいだろう。だからダブリンに日本食レストランは少ない。二軒あるらしいが、どこも日本食というより「日本食もどき」という感じらしい。行かない方がよいと地元の日本人は言い合っている。


ア イ ル ラ ン ド 編 〜 そ の 4

魚 屋

ジョージ・ノーマン氏がオーナーのダブリン魚市場の、道路を挟んだ真向かいに魚屋が五軒並んでいる。その一軒を市場の社長に紹介され訪問する。行ってみると思いがけなく立派な店。案内してもらう。氷の上に魚がきれいに並んでいる。
左からレイザークラム(マテガイ)、牡蠣、ザリガニ、サーモン、タラ、タイガーエビ、タブリン湾のエビ、ツナ、マス、カレー、アンコウ、エイ、ステークタラ、ニシンの燻製が切り身で並んでいる。

その隣の台には魚が本来の姿のままで並んでいる。スズキ、タイ、タルボット(カレーの一種)、サバ、タコ、イワシである。魚が生きているように並べている。客も結構入ってくる。地元の客だけでなくタブリンから来るらしい。このあたりは移民が多いのでその人たちも来る。インド人、中国人など。客は一日中入ってくると言う。生粋のアイルランド人は肉が好きで魚はあまり食べないが、ここはその中でも魚好き人種が来るらしい。
魚屋の仕入れは前の市場からしている。訪問した魚屋のマネージャーが分厚い胸をそらして自慢げに教えてくれたが、ここ数年売り上げは伸び続けているらしい。アイルランド人は肉が好きではあるが、健康には魚がよいと知り始めたからだと言う。

アイルランド人は魚を生では食べない。蒸すか焼くかフライパンだ。魚を食べることはこれからが期待できる。というのもアイルランド人も景気がよいので外国に行き始め、そこで魚料理を味わってくる人が増えたから、徐々に魚を食べ始めたと言う。特に最近の客傾向として魚一尾をそのまま買う人が増えてきた。それは魚を怖がらなくなっているという証明だと強調する。だからこの商売は魅力的で将来性があると一段と胸を張る。その通りと思う。是非アイルランド人が自分達の国が海に囲まれているのだから、その地理的条件を活かして魚を食べて長生きして欲しいと思う。

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(魚屋の店内)

さて、牡蠣の話に戻るが、牡蠣の殻を一般人は開けられない。だからといって、この魚屋で開けて出すのは手間がかかるのでしない。そこでレストランに卸したほうがよいと思っていて、それで商売している。自分で牡蠣を開けて、家で食べるのは本当に少ないらしい。

今年は新しい企画としてバレンタインデーに、牡蠣が売れると思ってスーパーに提案し施策を組んだが、失敗だったと言う。牡蠣は売れなかったのだ。しかし、今後も挑戦していきたいと強調する。今までは魚屋とレストランと取引していたが、今後はスーパーに力を入れていくことで、一般の人たちに魚を食べることを広げたいのだ。とマネージャーは明るく前向きの姿勢である。期待しているとエールを送ってお別れした。


ア イ ル ラ ン ド 編 〜 そ の 5

養 殖 組 合

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今日はダブリンから82キロメートル、北方向のダンドークDUNDALKに行く。ここの養殖組合AQUA CULTURE INITIATIVEを訪ねるためだ。ここは事前のアポイントが快く受けて頂いて、準備万端という感じで迎えてくれた。会ってくれたのは資源開発オフィサーのディミアン・トーナー氏 DAMIEN YOUNERとフランス出身の女性。この養殖組合でアイルランドに来てから、始めてビジネス的な会話ができた。通常の打ち合わせ会話であり、ちゃんとしたミーティングルームでコーヒーも出た。今までは立ち話か小屋みたいな環境だった。牡蠣養殖業者や市場の中は仕方ないが、改めてこの養殖組合の対応に感謝したい。

この養殖組合は国の機関である。北との平和解決の中から生まれた対策の一つでアイルランド島の全体を担当している。水産庁BIMに属し、3年前にINCO(IRISH NORTH COAST OYSTER)、これは共同販売組織であるが組織化した。
INCOが扱うアイテムと順位は①大西洋サーモン②ムール貝③オイスター④マスの順である。養殖社数は103社。

アイルランドの養殖業者の規模は1トンの生産業者から600トンまで幅があるが、平均すると50トンから100トンだろうと言う。マガキの稚貝はフランスとイギリスから買う。この海ではマガキは産卵しない。水温が4℃から24℃であるので冷たすぎるのだ。

稚貝は親指の爪の大きさで、一つの網に600個から1000個入れる。二ヵ月後に二つの網にわけ、一年後に300個から400個の網にし、二回グレードアップする。勿論海によってこの間隔は異なる。大体18ヶ月から24ヶ月で育つ。

海の水質基準はAとBとがある。Aの海は20か所で後はBであるが一年中Bというわけでない。夏の2~3ヶ月がBであって、これは別荘・ホリディホームが多い期間のため、その期間がBとされる。水質の検査は北アイルランドでは12ヵ月ごと、共和国は6ヵ月ごとに行っている。

今後の方針は、アイルランドは観光立国を目指していて、観光としての海を利用しているので、これ以上養殖場は増やせない事情があるので品質を高めるしかない。そのためにはブランド化が必要だと感じている。ブランド化し単価アップを図りたい方針である。

牡 蠣 の 国 境 越 え

ところで、養殖組合のフランス出身の担当官が「フランスは14万トン生産していると言っているが、実際は半分の7万トンに過ぎない。半分は外国から輸入している。アイルランド、イタリア、スペイン、ドイツ、オランダからだ」と発言した。

これにはビックリした。フランスの主要養殖場や、フランス国立貝養殖委員会で生産量を尋ねると、一様に揃って14万トンと答えるし、FAO(国連食糧農業機関)データでも発表されている数字は14万トンになっている、と反論したところ、「間違いない。ここからフランスに輸出しているし、私はフランス人だから事情は熟知している」と明確に言い切る。
真偽の程は分からないが、アイルランドの養殖組合の言うことが正しいとすれば、フランスの牡蠣の半分は国境越えしてきていることになる。

しかし、この国境越えには検問所もなく、警察官のパトロールもないのであるから確認しようがない。だが、フランスで食べる牡蠣はフランス文化の小粋な味がするし、アイルランドで食べる牡蠣には北の海の鋭さがあり、イタリア、スペイン、ドイツ、オランダ、それぞれその国でも味が違う。

牡蠣は国境越えしても、すぐにその国の海に馴染んでしまうのだろう。牡蠣は人間より適応力があるからだろうと、妙に納得しているところだ。

牡 蠣 の 価 格

牡蠣の市場価格は、養殖業者出荷でキロ当たり2.05ユーロ、日本円で297円(2006年3月時点レート1ユーロ145円)。卸元はキロ当たり2.8ユーロ、406円。スーパーではキロ当たり5.6ユーロ、812円。一キロは約15個。従って養殖業者は一個約20円。卸は27円。スーパーは54円となる。

翌日にダブリンの街中の魚屋によってみた。牡蠣価格を確認すると、一ダース6.95ユーロ×145円=1007円÷12個=84円となる。魚屋が一番高い。しかし、この魚屋は牡蠣が20個しかなかった。月火は入荷が少ないのだ。いつもはもっとあるらしい。魚も種類も少ないし鮮度が悪い。いずれにしても島国なのに魚は食べない国民だということとが魚屋の店頭実態から分かる。

牡 蠣 養 殖 の 歴 史

養殖組合から聞いたアイルランドの牡蠣の歴史を紹介したい。17から18世紀に天然の牡蠣のネイティヴを採るようになり、場所としてはCARLINGFORDカーリングフォード、WATERFORDウォーターフォード、GALWAYゴールウェイ、CORKコーク、DONEGOLドネゴールの海で行っていた。因みにアイルランドが誇る歌姫エンヤは、このドネゴールが所属するアルスター地方(北アイルランド)のCROLLYクローリー生まれ。そこに今でも子どもの頃父親や兄弟と一緒にステージ立ったパブがあって、世界からエンヤのファンが集まってくるらしい。

さて、牡蠣養殖だが1960年代に衰退していった。1975年からゴールウェイのCARNAカーナでマガキの導入研究を行って、カーリングフォードの養殖場、これは見学したところだが、ここで養殖を再開し始め、1980年代の初期(1984年まで)には現存の養殖場の殆どが確立した。1990年代に年間生産量5~6000トンに達し今になっている。

ア イ ル ラ ン ド 編 〜 そ の 6

世 界 牡 蠣 剥 き チ ャ ン ピ オ ン 大 会

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(会場入り口、スポンサーはギネス)

2009年9月24日、パリからアイルランドのシャノンSHANNON空港に行き、そこから路線バスでゴールウェイGALWAYへ向った。窓の外は途中荒涼たる景色が続くが、道路の傍らの住宅、結構大きくて瀟洒な感じ。しかし、いたるところに「FOR SALL」の看板が出ている。

ゴールウェイはアイルランド・コナート州の主要都市で、アイルランドで最もやせた土地といわれ、ピューリタン(清教徒)革命を行ったイギリスの最高指揮官オリバー・クロムウエルのアイルランド侵略時に、土地を追われたアイルランド人が強制的に移住させられたところで、今でもゲール語が日常生活で使われているような地域である。
また、この街はゴールウェイ大学が有名で、人口6万人の五分の一が学生であり、多くの国際的フェスティバルが開催されている。

その一つが世界牡蠣祭りGALWAY INTERNAYIONAL OYSTER FESTIVAL、今年で55回を迎えている。この地で牡蠣祭りが行われるようになったのは、毎年9月が観光客の少ない時期なので、その対策として企画され、1954年から始められたが、この祭の中心イベントは世界牡蠣剥きチャンピォン大会である。この大会に来る観光客で最も多いのは地元アイルランド人、次にイギリス人、ドイツ人。

この地の天候はいつも曇っていて、晴れる日は少ない。厳しい、さびしい風景を見飽きたので、到着した2009年9月24日の夕食、繁華街キース・ストリートに行ってみると、若者が通りに溢れ、ハブもレストランも人でいっぱいである。
アイルランドは金融危機以後経済悪化であるから、街中のさびしいと思っていたが、予想と大違いである。
さらに、9月27日の世界牡蠣剥きチャンピォン大会会場のホテル宴会場、ここも満杯で1500人ぎっしりの大入り、大盛況である。

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(選手の奮闘を見つめる人々)

さて、世界牡蠣剥きチャンピォン大会の参加費は55ユーロ、事前に購入した入場券を渡すと、手首に参加章バンドをつけてくれ、ギネスビールとワインとの交換券が三枚、それとサラダ・サーモンの食事券が二枚を渡してくれる。

ギネスを飲みながら牡蠣とサラダを食べ、開催時間を待つ。舞台では男性歌手が歌い続ける。途中で女性歌手、この頃から盛り上がってきて、多分、アルコールが入ったのだろう、フロアで踊りだす人が増えてきた。

日本人もいる。女性は語学勉強でダブリン滞在中の二人組と、ワーキングホリディの一人。若い男もいる。聞いて見るとロンドンからダブリンを経てきた一人旅である。全員、情報は「地球の歩き方」を見て来たという。

14時になる。司会がいよいよ選手の入場と告げる。15人参加者というが、14名に変更と告げられる。

舞台にテーブルが出され、最初の組が読み上げられる。エストニア、スペイン、シンガポール、フランス、ノルウェー。牡蠣剥きスタートまでがカウントされる。9から1まで司会と会場内か声合わせると、1でスタートする。0ではない。

剥く牡蠣は、世界で最も多く流通し生産されている日本原種のマガキでなく、通称フランス牡蠣ともブロンともいわれる平牡蠣であるから、ゴールウェイでは平牡蠣がたくさん採れるが、アイルランド以外の国では珍しく、当然に日本では全く食べられない牡蠣であるが、それをいかに早く剥くか、その勝負が競われるのである。

したがって、平牡蠣が普通に多く養殖されている地元アイルランド以外の国は、普段はマガキを剥くだけなので、大変だと思うが、それはそれいずれも腕自慢の牡蠣剥き職人だから挑戦したのだろう。

次の組が入場。デンマーク、イギリス、アイルランド、フィンランド、ベルギー。アイルランドの選手が一番嬌声と拍手で盛り上がる。ケルトのタイガーと司会者が声上げる。

最後の組。スェーデン、カナダ、アメリカ、チェコ。アメリカに一番拍手が多いのは、ゴールウェイにアメリカの薬品会社が多く、そこの関係者がいるからであろう。

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(牡蠣を剥く選手たち)

三組の牡蠣剥き挑戦があっという間に終わり、選手は剥いた牡蠣に手を触れないで控室に戻っていく。これから別室で厳正な審査が行われ、順位が決まるが、その間、またもや、舞台で音楽が演奏され、歌手が歌いだす。フロアは音楽と歌手と踊りで盛り上がる。この頃はかなりビールとワインが入っているので、会場内は暑い。

タップダンスの若い女性四人と少年二人の舞台が終わるころから、盛り上がりが急上昇し、両手をあげ、手を組み、拍手し、大勢の人が踊り合い、知らない同士で肩組み写真撮って、会場内が一体化する。だが、一定の暗黙のルールがあるかのように、熱狂化した中で秩序が保たれている中、最後にアイルランド音楽が演奏され、いよいよチャンピオンの発表に入った。

ア イ ル ラ ン ド 編 〜 そ の 7

審 査 結 果

審査結果は、優勝はベルギー、二位はアメリカ、三位アイルランド、以下カナダ、ノルウェー、エストニア、スエーデン、フランス、スペイン、イギリス、デンマーク、シンガポール、フィンランド、チェコであった。

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(表彰を受ける選手達)

その審査項目の第一は30個を開けたタイムの速さである。優勝したベルギー人のカイユ氏は2分29秒、一個剥くのに5秒要していない。早い。最も遅いチェコ人で3分38秒、一個当たり7.2秒である。カイユ氏の方が約1.5倍早い。
このスピードに以下の6項目ポイントのチェックを受ける。
① 30個全部完全に開けたか。不十分な開け方では減点される。
② 開ける際に自分の手に傷がつかなかったか。
③ 貝柱を正確に切っているか。
④ 牡蠣殻が身に混じったりしていないか。
⑤ 牡蠣の身を傷つけ切ったりしていないか。
⑥ 剥いた牡蠣を並べる際、殻の方を上にしたりしていないか。

この評価ポイントにしたがって、各人が剥いた30個を詳細に審査員がチェックし、それぞれ減点を行い、最後にボーナスポイントとして、ショーイング・剥いた牡蠣の並べ方美しさでポイントが加算される。
これら14名の点数評価、コンテストの終わり時点で会場に張り出されが、メモするのが大変なので、事務局に依頼したらメールで送ってくれたものが下記のデータである。
このように各人の評価がオープンされるので明確である。これは素晴らしいと思う。

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ところで、牡蠣剥き方法であるが三種類ある。①蝶番から、②サイドから、③蝶番で開け、貝柱を切るのはサイドから。
使用するナイフ、普通はナイフ一本に刃は一つであるが、今回初めて両側に刃がついている、つまり、手を握る両サイドにナイフをつけて活用する両刀使いを見た。14名のうち3名が両刀使いで③の方法である。チャンピオンはこの両刀使い。蝶番から開け、同じナイフでサイドから貝柱を切る方法が10名。トラディショナルなサイドから開ける方法は一名。10年くらい前から蝶番から開けるのが出てきたという。時代の変化とともに牡蠣の開け方も変わっていくのだ。剣道も柔道も同じだが、すべて工夫の時代である。

優勝した長身のベルギー人のカイユ氏、翌日の飛行場で偶然出会ったので、名刺交換しいろいろ聞いて見ると、普段はエカイエ、これはフランスの牡蠣剥き職人の通称であるが、パリに在住し、大統領・首相官邸や各国のパーティーに呼ばれ牡蠣剥きしているとのこと。以前に取材したことがあるパリ・エカイエ協会会長で、この大会5回連続優勝したゴンチェ氏の弟子だという。欧米では牡蠣剥き職人の地位は高いのである。
空港では立ち話だったので、次回訪仏時に詳しく牡蠣剥きトレーニングや秘訣を聞いてみようと思っている。

今回の世界牡蠣剥き祭り期間中に訪れた人数は約12000人、約10万の牡蠣が使われ、ロンドンのサンデータイムスに、世界12品評会の1つだと紹介され、今回も大盛況であり、これはやはり55回もの歴史があるからだと、一瞬思った。
ところが、後でいろいろ調べてみると、チャンピォン大会会場は例年だと、公園に大テントを張って行っていたらしい。ということは今年より参加者が多かったと推測できる。
さらに、訪れた2009年9月24日はギネス創業250年記念日であって、ビールが特別価格で提供されていたとのこと、だから、この日の繁華街キース・ストリートは大学生が溢れ、パブ・レストランも大繁盛という背景が分かった。
世界牡蠣剥きチャンピオン大会も経済悪化の影響を受けていたのである。

天 皇 ・ 皇 后 陛 下 が 寄 ら れ た レ ス ト ラ ン

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(天皇・皇后陛下)

ゴールウェイには、1985年(昭和60年)に天皇・皇后陛下が皇太子時代スペインとアイルランドを訪問された際、立ち寄られたレストランがあるというので昼食に行ってみた。壁に両陛下の写真が飾ってあるすぐ下のテーブルで、平牡蠣を食べ、えびのサラダを食べ、白ワイン・シャブリを飲んだがなかなか美味い。
ウエイターに聞くと、両陛下はアイランドの伝統的なスポーツ、Hurling Gaelic Footballを見られたという。

ハーリング(Hurling)はケルト族に起源をもち、スティックとボールを使用して行う屋外スポーツである。アイルランドを中心に行われ、ゲーリック・ゲームスの1つである。類似する競技に、主にスコットランドで行われるシンティ(shinty)、イングランドやウェールズで行われたバンディ(bandy)がある。また、女性選手が行うハーリング相当の競技はカモギー(camogie)と呼ばれる。

世界のあちこちにハーリングチームは点在するが、アイルランドのみがナショナルチームを有する。このナショナルチームはスコットランドのシンティのチームとともにルールを一部改変して長年にわたって対戦を行っている。この対戦が唯一の国際試合といえる。
ハーリングは大抵はアマチュア・スポーツとして位置づけられており、選手や監督にプロはおらず、勝利の栄冠のみを目指してプレイする。

このレストランには、他に有名人が大勢来ている。Roger Moore、Woody Allen、Nami Campbell他あげたら限りない。
長い間の希望していた、アイルランドの世界牡蠣剥きチャンピオン大会に参加できたことを幸せに思う。

(アイルランド編 おわり)