世界牡蠣事情 タイ編・・・その一

マルト水産・顧問
山本紀久雄



タイの牡蠣事情を書くためバンコクを訪問したのは2013年11月。バンコク中心街に宿泊したが、ホテルの近くで政治デモが発生していた。デモはタイ人同士の争いで、外国人には関係ないわけで、それを承知していれば、デモ隊の近くに行かない限り問題は発生しないと考える。だが、毎日マスコミ報道されるタイ政局の動きとデモ状況を読み見ていると、ちょっとタイには行く気がしなくなって、結果としてGDPの1割弱を担う主要産業の観光への影響は大きく、回りまわって牡蠣養殖業に影響するのではないかと思う。

ということで、折角、デモに遭遇したので、今回の政治デモの背景について分析したみたい。何故なら、今回のデモはタイの国内事情を鮮明に表しているからで、タイという国を理解するためには、このデモ対立について一応の理解をしたおいた方がよいと思うからである。

タイの政治対立

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タイの政治が混迷のきっかけは、2013年10月31日にインラック首相(タクシン元首相の妹)率いる与党のタイ貢献党が、恩赦法の対象に急遽政治指導者を追加し、翌日11月1日に下院で強行採決したことからであった。

この法律の対象に国外追放されたタクシン元首相が含まれていたことから、反タクシン派はデモや大規模集会を開催した。結局、法案は上院で否決されて廃案となったがデモは収まらなかった。反政府のデモ隊はタクシン体制を打倒するまでデモを継続する姿勢を示し、財務省や外務省などの政府機関や国営タイ放送などの放送局を占拠した。

そして反タクシン派のリーダーであるステープ前副首相が最終決戦とした12月9日、インラック首相は下院を解散することを表明し、総選挙は2014年2月2日に実施されたが、反政府派の妨害で投票が中止になる選挙区が相次ぎ、結果が確定できなかった。

民主主義は選挙で決まるのではないのか?

多数派であるタクシン派は選挙を通じた民主主義を重要視している。タクシン派の主な支持層は長年政治からほとんど無視されてきた農民である。タクシン元首相は2001年の選挙の時に農村支援を掲げて勝利し、首相に就任した後は農民債務モラトリアム、30バーツ健康保険制度などの積極的な農村振興策を次々に実施した。これらの政策の結果、農民の生活環境は劇的に改善した。こうして、農民は自らが政治に大きな影響を与え、それが自らの生活水準の向上に繋がることを自覚するようになった。

一方、都市部の中間層が多くを占め、少数派である反タクシン派は選挙をあまり重視していない。彼らに言わせれば、選挙をいくら行ってもタクシン派が貧しい農村部の住民を買収することで勝利するため、汚職と腐敗にまみれた政治家が誕生するだけであるという。そのため彼らは議席の多くを医者、教員、弁護士、労働者等の協会の代表者から選出すべきであると主張している。

総選挙ではタクシン派が勝利するだろう

予定通り総選挙が実施されたならば、人口の半数以上を占める農村を支持基盤としているタクシン派が勝利する公算が大きく、タイ貢献党は総選挙の比例代表名簿第一位をインラック首相としていることから、インラック体制は継続する可能性が高い。

一方、反タクシン派は選挙ではタクシン派に勝てないと認識しており、選挙自体をボイコットした。また、ステープ前副首相は軍主催のフォーラムに出席するなど、選挙以外の手段で政権に揺さぶりをかけようとしている。このように、両派の民主主義に対する考え方の溝は極めて深い。これまでも片方が政権を奪取すればもう片方がデモを行い、時には軍が出動して流血沙汰となることもあった。

今後も民主主義のあり方に対して両派が同じ認識を共有できなければ、タイの政治的混乱は終わらないのでないか、という指摘が多くタイの未来を悲観視する見方も多い。だが、タイ人を分析していくと、今回の政治対立も何らかの解決策を、タイ人は自ら見出すと推察する。その推察根拠も含め、タイ人をいろいろな角度から検討してみたい。

タイの概要

 最初は全般的なタイ概要である。①国土面積 51.4万平方㎞、日本の1.4倍、フランスとほぼ同じ。②人口6600万人(2009年)。③タイ王国、現国王ラーマ9世(プミポン国王)王は圧倒的信頼あり。④民族はタイ族が最大多数、中国系等で民族間の争いはない。⑤9割が仏教徒・上部座仏教・・・輪廻の思想で前世からの業カルマによって今ここに生きていて、今の境遇を受け入れ、善く生きることで来世にはよく生まれ変わりたい。⑥タイ人が日本と聞いて浮かべるもの・・・ 富士山がトップ

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タイのしたたかな外交力

日本とタイは長い外交関係があり、アジア諸国が欧米国の植民地化した地域の中で、お互い独立国としての地位を築いている。日本は第二次世界大戦で無条件降伏、連合国の占領体制下に一時陥ったが、タイは日本の同盟国として、日本と同様に英米に宣戦布告したのに、敗戦国とはならなかった。日本が開戦した1941年12月8日、日本軍はマレーへの侵攻を目指して、タイ・ビブン首相から駐留の承認を得てタイに上陸、この結果タイも、日タイ同盟から米英に宣戦布告した。

ところが、日本軍の旗色が悪くなったころには、対米公使を通じ米英とひそかに通じ合う関係を築きはじめ、終戦になるとタイは、米英に宣戦布告したのは、国民の意志に反して行われたもので、手続き的にも瑕疵があり、あの宣戦布告は無効だと主張し、これを連合国側が受け入れ、日本と道ずれの敗戦国にならずに済んだという経緯がある。また、現在も親米であるのに、北朝鮮とも外交関係を保持している、というしたたかな外交力を持っている。

頑張るという言葉はないが頑張れる

タイ人は日本人よりも明確な意志を持たないし、明確な意志を持って仕事や勉学に励まない。例えば、日本の来ているタイ人に来た目的を聞くと、留学生なら「たまたま奨学金がもらえたから」「日本語ができると仕事が探しやすいから」、働きに来ている人なら「お金が稼げるならどこの国でもよかった」「バンコクは暑いから日本の方がよい」「親戚がいたから」つまり、具体的な目標や明確に意志をもって、日本に来ている人はめったにいない。

したがって、インタビューしても相手が具体的でないので、引き出しができないから内容がそろわないということになる。例えば、ムエタイ選手にどうして選手になったのかと聞くと「楽しいから」「友達がたくさんいるから」「バンコクに住めるから」「親から離れて暮らせるから」というもの。目標とはという問いには「お金を稼ぎたい」「有名になりたい」がほとんどで「チャンピオンになりたい」という選手は一人もいない。

しかし、明確な意志や目標がないのに、頑張るのがタイ人。ムエタイの選手は毎日厳しいトレーニングを自ら進んで積むし、試合では信じがたいほどの闘志で相手に立ち向かう。パンチやキックを受けても苦しそうな表情を見せないでファイトする。タイ人は意志なぞわざわざ立てなくても、成りゆきまかせで、やるときはやるのである。これがタイ人の真骨頂で、タイ語に「頑張る」に相当する言葉はないが「頑張れる」のである。(参照「極楽タイ暮らし」高野秀行著)

微笑みが武器

タイは「微笑みの国」といわれる。顔の造作からいえば、さして美人でない女性でも、笑顔は素晴らしく、日本ではお目にかかれない笑顔がタイ女性の魅力であるが、その笑顔にもいくつかのパターンが隠されている。
つまり、ニュートラルな微笑みなのだが、そこに「タイの微笑み」の真実があって、微笑みはタイ人の表情の基本となっている。どういう反応をしたらいいのかわからない時、日本人はとりあえずシリアスな顔をするが、タイ人はその場合、とりあえず「にっこり」とする。
別におかしなことがなくても、笑みを浮かべるのが、タイ人の常態であり、処世術でもある。これが外国人への武器となる。

バンコクはクルンテープと称する

ところで、タイ人は首都をバンコクとは言わず「クルンテープ」と呼ぶ。
正式な首都名は以下の通り超長く、タイ人でも全部言える人は少ないから、日本人がスラスラいうと尊敬されること間違いないので挑戦してみる価値はある。
「クルンテープマハナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラアユッタヤー・マハーディロッカポップ・ノッパラッタナラーチャニーブリーロム・ウドンラーチャニウエットマハーサターン・アモーンラピーンサティット・サッカタットタィヤウィサヌカムプラシット」

JJマーケットはデモと関係ない

11月にバンコクで訪問したのは市内中心地区から、BTSまたは地下鉄で30分弱、北へ行ったところに位置しているJJマーケット。ここは地元タイ人のみならず世界中から観光客やバイヤーたちが押し寄せるウィークエンドマーケットで、タイ語で「チャトゥチャックJatujak」というが、これを省略して「J.J Market」とも呼ばれているところ。

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ところで、タイの政治デモ報道は、バンコク中心街で行われているので、中心街に位置する大型商業施設の客が減ったことを伝えるが、一方、今回訪れた「J.J Market」にはデモが関係なく、1万以上もの店が軒を連ねるバンコク最大級ゾーンとして賑わっている。また、政治混乱の影響を受けにくいリゾート地では、バンコクに代わって観光客が殺到し、ホテルの稼働率が大幅に上昇しているのが実態である。

さて、「J.J Market」での買い物の魅力は、ほかでは売られていないオリジナルアイテムが多いので、そのセンスがバイヤーたちの目に留まり、お店が繁盛してくるとバンコクの中心部に品物へ卸をしたり、支店を構えるようになるという。もちろんオリジナル以外にも、定番のお土産(象の置物やエスニック小物やバッグなど)を扱うお店もたくさんあり、バンコク市内のお土産屋やデパートよりも2~3割は安く買うことができる。つまり、タイ最大級マーケットであり、一大アミューズメントパーク並みに楽しい地区で、ここの銀行は土日営業です。

しかし、このマーケットは陽射しが熱い。日本の寒さが懐かしいが、そんな事を言っていられないなぁと思っていると、一人の若い男性が迎えに来てくれた。迎えがないと込み入ったJ.J Market内は歩けないのです。彼は少し日本語ができる。彼の案内で屋台が密集している細道の奥に入っていくと、突然、可愛い犬の売り場があるではないか。

犬からわかる階級社会

その犬売場に行くと、昨年春に死んだ我が家の愛犬ビーグルが可愛い女性に抱かれているので、思わず写真に撮ってしまいましたが、実は、この犬売場がタイの階級社会を示唆している。

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タイの犬は三種類に分類される。①家の犬、②お寺の犬、③道ばたの犬。いずれも放し飼いである。ということは勝手に交尾しどんどん子供を産むことになって、飼い主は面倒が見きれなくなると、日本のように市役所には連絡しない。どこへ持ち込むのか。それはお寺であって、お寺に犬を置いてくる。その寺の犬は、お坊さんが托鉢で貰ってきたおこぼれを頂戴することになる以外は、暑いので一日中ごろごろ寝転んでいる。

ところが、お寺でも犬が増えすぎると厄介なので、時々、どこに捨てることもあるらしい。それらの相互作用で、③の道ばたの犬が多くなるが、大の愛犬家としても知られるプミポン国王の指示により、道ばたの犬も手厚く保護され、ワクチン接種や避妊手術などが行われているので、タイの犬は他国に比べると幸せ度が高いといえる。ところで、J.J Marketの犬売場はこの三種類とは別世界に所属する。写真で分かるように日本のペットショップと同じく、世界の名犬純血種が並んでいる。本物かどうかは不明だが・・・。これらの犬を買うのは大金持ちや特権階級の人たちであって、外へ散歩に行く場合はちゃんとリードで繋がれていくが、それは飼い主ではなくお手伝いさんの仕事になるという生活だ。

これがタイの社会を示している。タイは典型的な階級社会であって、頂点に大金持ちや特権階級がいて、次に経済発展に伴う中産階級がいて、それと長年政治から無視されてきた農民たちがいるわけで、犬もその階級社会通りの種類分けとなっているのだ。

東南アジアでビジネスを成功させるために必要なこと

この階級社会を認識していないとマーケット参入しようとしても失敗する。日本企業で成功しているのは味の素である。日経新聞記事(2013/12/3)を紹介したい。タイトルは「東南アジア、足で売る 味の素、自社社員5000人」で、この記事で分かるのは東南アジア地区における小売市場の全体網であって、この実態を日本人はあまり理解していないように思う。

近代的な大型店が急増する東南アジアだが、食品などでは零細店の比重は依然高く“足で売る”よう味の素の販売戦略は徹底しているが、これが実に参考になる。味の素は、東南アジアに約5000人の自社営業マンを抱え、庶民的な市場や零細店で1個十数円の調味料をコツコツと販売し、売り上げは年1500億円に伸びたという。

●野菜や肉がずらりと並ぶ熱気あふれる売り場の一角、木材で手作りした店で味の素の現地法人社員、ナノ・スハルノさん(37)の営業が始まった。

●マサコの方がおいしいし、きれいだろ。ほら売ってみせるから。英蘭ユニリーバなどの競合商品をひょいとつまんで、目立たぬ場所に押しやった。

●店先に並べ始めたのはスハルノさんの営業の三種の神器。「マサコ(粉末)」「サオリ(液体)」「マユミ(マヨネーズ風)の調味料3姉妹だ。マサコは現地語で「料理する」の語感に、好感度の高い日本人女性のイメージを重ねたヒット商品。

●「さっさと売るのがコツだよ」と言う通り、スハルノさんは10分ほどの間に4人のお客をさばく。商店主も満足げで、次の発注を決めた。1日の注文件数で評価が上下するが、スハルノさんの給与は同年代の一般的な大卒ホワイトカラーを上回る。

インドネシアだけで、スハルノさんのような味の素社員の営業マンは1800人もいて、人が集まる市場で8万店を取り込み、郊外に散らばる零細店もローラー方式で取り込む。「ちりも積もれば」の作戦といえる。食品などの業界では、こうしたルートセールスは卸業者や販売代理店に任せるのが一般的だが、味の素は違う。フィリピンで800人、タイで1200人といった規模の営業員が動く。同社は東南アジア地域で「新興国に最適の営業スタイルを武器に」2020年に4500億円の達成を狙うという。こういう売り方をしないと東南アジアでは成功しないと思う。味の素の事例は参考になる。

タイの牡蠣事情・・・その二



タイの牡蠣養殖は アンダマン海とタイランド湾のいくつかの海域で行われていて、最も盛んなのは下図の矢印で示したスラート・ターニーとチョンブリー地区である。

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2013年11月、9時にホテルを出発し、バンコクから南東方向へ高速をチョンブリーの手前約5㎞の牡蠣養殖地であるアンシラに向かった。今日は土曜日なので空いている。いつもは渋滞がひどい。アンシラに入ると「海洋科学研究所The Institute of Marine Science Thailand」の看板が目に入った。早速入ってみる。

入館料は120バーツ(1バーツ=3.62円)なので434円。なお、入館券には「Bangsaen  Institute of Marine Science  Burapha University」とある。看板と違う名前だが、この研究所の成り立ちを調べてみて分かった。この海洋科学研究所は、元々ブラパ大学動物学博物館と旧シーナカリンウィロート大学バンセンキャンパスの海洋水族館であったが、1980年に新しい施設を建設しようと、日本政府に共同プロジェクトを提案し230百万バーツ(約8300万円)を受けて建てられたのである。

海洋科学研究所の主な施設は、
1. 海洋科学研究ユニットとして①海洋環境、②海洋生物多様性、③マリン養殖、④海洋バイオテクノロジーの研究。
2. アカデミックサービス。
3. 管理部門
の三つに分かれている。

1の海洋科学研究ユニットは、海洋科学のすべての分野の研究を遂行するために、独自の研究室を持ち、他の機関や地域社会と標本・水質分析等を提供し、論文研究及び特別テーマ研究を実施する大学院生や学部学生を支援する業務である。 2のアカデミックサービスは、海洋水族館と海洋科学博物館を運営している。海洋水族館では、毎日8.30から17.00まで開館し、子どもたちや地域のための学習センター業務と研究者に実際の生態情報を提供する。 海洋科学博物館は、海洋生物の標本を展示している。プランクトンなどの微小なものからジンベイザメなどの大きなものまである。 また、海洋天然資源の乱獲に対する意識付けの展示もし、海洋天然資源と環境、ワークショップやセミナーに役立つよう機能している。

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(海洋科学研究所)

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(海洋水族館)

なかなか充実した研究所であり、子どもたちが水族館で楽しんでいるのを見て、日本の援助も役立っていると感じた。

次にアンシラの海に向かったが、その途中の道路上で牡蠣を売っている一人の男性がいる。早速、いろいろ聞いてみる。聞いた内容に入る前に、アンシラについて説明したい。アンシラは花崗岩の製品でよく知られている。 漁師は魚を捕るだけでなく、花崗岩から乳鉢と乳棒を作る。乳鉢は固体を粉砕または混和するために使用するすり鉢で、乳棒と共に使用されるが、タイの家庭では今でも広く使われていて、その生産地としてアンシラが有名で、加えて、工芸品や土産品としてライオン・ゾウ・馬など置物も一緒につくられ、海岸道路わきの土産店にたくさん並んでいる。さて、牡蠣売りの男性。露店販売台には山盛りにおかれた牡蠣、これには養殖時に使った紐・ロープがついたままである。養殖は4月から翌年3月まで、つまり、一年間沖合の養殖海域でしているといいながら、向こうだと指さす。指さした方向に海から黒い棒林の一画が見える。

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海底に棒を立て、そこに長さ4mの紐・ロープで牡蠣をつるす方式、簡易垂下式養殖法で、養殖海域はずっと同じ場所だという。海の深さはいろいろで、台風は来るがそれほど強くないので、移動させる手間は必要なしという。養殖海域は国に権利料を払い借りている。同業者は大勢いると言いながら、牡蠣剥き始めて、剥いた牡蠣を水が入ったポーチに入れるが、その水は黒く汚れている。とても日本人には食べられない状態だ。牡蠣の形は大小不定形様々だが、むき身にするので形は問題なしという。中国・台湾のむき身牡蠣販売と同じである。

この仕事は親から引き継いで12年目で、牡蠣とともに野菜も売っている。この野菜は別の業者から買うのだと話しているところに、野菜売りのオートバイ女性が来た。犬と子供を連れている。牡蠣は野菜(グラティン)と揚げタマネギ、生ニンニク、唐辛子、ライムをかけてタレにつけて食べるのだと言いつつ、野菜売りの女性が牡蠣剥きをして見せてくれる。バンコクから運転してくれたドライバーが、100バーツと50バーツのビニール袋入りの牡蠣を買った。買うと氷を入れて渡す。

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(グラティン)

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(牡蠣剥きの実演)

道路露店牡蠣売りと話していると、そろそろ昼食の時間なったので、少し走って、海に張り出した桟橋に向かう。
桟橋の両側には魚類を売る店が多く並び、その一画がシーフードレストランになっている。

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その中の一軒、海に面した広いテラス方式の店。ここでオースワン、上の写真の真ん中の皿だがタイ風牡蠣と卵の鉄板焼きを食べる。タイの中華系海鮮レストランでおなじみのメニュー。小粒の牡蠣ともやし、卵を炒めてでんぷん(片栗粉やタピオカ粉)を絡めたもの。日本の食べ物で例えるともんじゃ焼きが近い。オースワンについてきたもやしは、しゃきしゃき感を保ちながらも火はちゃんと通してある。牡蠣、でんぷん、卵のとろとろ感にもやしの歯ごたえがさっぱりと小気味よく、日本人は好まれる味で、そのままかチリソースを付けて食べる。思いがけなく美味く満足した。

タイの牡蠣養殖については、東邦大学理学部の大越健嗣教授が「タイのカキ養殖の現状と今後の展望」論文を発表されているので、それを以下紹介したい。「タイ湾を囲む地域を中心に年間2万トン以上の生産がある。生産される種は主にCrassostrea belcheri、Crassostrea iredalei、Saccostrea cucullata、Saccostrea forskaliの4種とされており、マレー半島沿岸南部のSuratthaniではC. belcheriが、バンコクに近いタイ湾奥部のChonburiではSaccostrea属とC. iredaleiが主に生産されている。

このように養殖対象種が4種以上もあり、しかも同一海域で属の異なる複数種が生産されているのは非常に珍しい。中国、韓国そしてタイにおける養殖ガキの生産動向は、今後のわが国のカキ養殖にさまざまな影響を及ぼすことが考えられる。しかし、それに関する情報は乏しいのが現状である。そこで、2003年3月にタイ湾奥部最大のカキ養殖地であるChonburiにおいて、カキの生産方式について現地調査を行った。

Chonburiはバンコクから南東に約100kmのタイ湾に面した町である。遠浅の海岸を利用してカキやミドリイガイの養殖が行われている。カキ養殖は海に竹の支柱をたてて棚をつくり、そこにカキをつけたロープを吊るすという簡易垂下式で行われていた。この時見た種苗(種ガキ)はChonburiからさらに100kmほど南下したRayongで採苗したものであるという。採苗にはセメントを小さく固めたものを細いロープに数㎝間隔で貼り付けたものを用いていた。このセメントの表面に固着した種ガキを本垂下して生産するが、本垂下後1年以内に収穫するという説明であった。1つのセメントには多くとも数個体のカキしかついていないものが多かった。

しかし、収穫時期の垂下連には1つの塊に10個体以上のカキがついているものが比較的多く見られた。また、固着したカキの右殻の上にひとまわり小さな個体が固着し、その上にさらに小さな個体がついているという場合もあり、加入が長期間にわたっていることが推定されるとともに、本垂下後も新たな個体の固着が起こり、それらの一部も収穫の対象になっているものと思われる。このようなことは年1回夏に発生する温帯域のカキではほとんど起こりえない現象である。

また、これらのカキは1種なのかそれとも複数種が混じっているのかという疑問が起きる。固着直後の種ガキは形態から種を判別することが困難で、ある程度成長しないと上記4種の区別がつかない。そのため、これまではどの種の種ガキをとって養殖しているのか、また、養殖途中で新たにどの種が固着してきたのか、そして、1つの原盤についているカキは何種で何個体になったのかということは収穫時にならないとはっきりわからないということになっていた。

マガキ等の養殖ではホタテガイの貝殻の原盤に固着した種ガキが本垂下開始時に100個以上あっても収穫時には1/10以下になることも珍しくない。つまり、収穫時まで死亡や脱落により個体数はどんどん減少する。しかし、タイの場合は短期間の本垂下期間中にも加入が起こり、しかも成長が速いことから、それらの一部も収穫対象になってくるということが起こりうる。収穫されたカキはSaccostrea属とCrassostreaのカキが同じ原盤に固着している場合がしばしばあり、それらがむき身にされて道端の露店などで販売されている」

このように大越教授が見事に整理してくれているが、もう少し補足事項をお伺いしようと大越教授に連絡してお話を聞いてみたところ、これ以上はタイの専門家に聞く方がよろしいということで、論文の中で紹介されているカセサート大学のUthairat NA-Nakhom教授に連絡したところ、ラジャマンガラ工科大学のDr. Suwat Tanyarosを紹介受けた。そこでTanyaros氏に連絡したところ、専門的な論文を7つも送っていただいたが、これは専門学術的であるので、ここでは紹介しないことにしたい。

なお、Crassostrea belcheri牡蠣はインド洋で主に生息する種であり、タイでは天然シードを用いているとのこと。

次に、タイでは牡蠣の食べ方はどのようなものが主流なのかをタニヤロスTanyaros氏にお聞きすると、何と「生で食べる人も結構いますよ」という回答である。

これに驚く。というのもアンシラの道端露店で牡蠣剥きし販売していた男性がむき身牡蠣をポーチに入れ保管していたが、その水は黒く汚れているのを見て、とても生で食べるには適さないと思っていたからである。

したがって、シーフードレストランでもオースワンなど調理して食べるものと思い込んでいたのである。しかし、タニヤロス氏は「生で食べる人も結構いますよ」という。タイの学者が言うのであるから事実なのだろう。

そこで、改めて、タイで牡蠣を食べた経験のある何人かに尋ねてみると、生で食べる人も結構いることが分かった。

では、その生をどのようにして食べるのか。

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タイで生牡蠣をオーダーすると、以下のものがついてく
 る。

  • 1.ライム
  • 2.生ニンニク
  • 3.唐辛子
  • 4.揚げタマネギ
  • 5.グラティン(毒消し草)
  • 6.タレ

ここでのポイントは5.グラティン(毒消し草)であって、これを食べると当たらないという。因みに、グラティンはカルシウム、カリウム、高タンパク、ミネラル類も豊富に含まれ、生活習慣病などの予防に効果的で、特に高血圧予防、体内酵素を活発に、免疫力強化、精神安定作用、健康維持、骨格形成などの効用があるらしい。万能野菜かと思うほどだ。

この6種類をどういうステップで食べるのか。

  • 1. まず、生牡蠣をスプーンにとる
  • 2. それにライムをかける
  • 3. 生ニンニクと唐辛子をかける
  • 4. 揚げタマネギをのせる
  • 5. タレをかける
  • 6. 生牡蠣をツルッと食べる
  • 7. 最後にグラティンを必ず食べる

アンシラの道端露店牡蠣売り実態、あの黒く汚れた水でむき身牡蠣を洗っているのを見ている当方としては、ちょっと生牡蠣を食べる気がしないが、実際に食べた人の感想は「いやー、これがマジでうまいんですよ。病み付きになりますよ。軽く5個くらいはいけるし、10個は食べても平気なんじゃないかと思います」と言う。
ということで、生で食べる人も結構いると思った次第。 

これでタイの牡蠣事情を終わりたい。