ス ペ イ ン ~ そ の 1

ス ペ イ ン で 日 本 を 知 る

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(ガリシア州ビゴ湾)  

2009年ころからPIGS又はPIIGSという造語が新聞紙上を賑わすことが多くなった。PIGSとはポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペインの南欧四カ国の頭文字をつないだもの。これにアイルランドを加えたものがPIIGS。金融市場が混乱した2007年以降、不動産バブルが崩壊し失業率も上昇して、08年ころから欧米メディアに登場しだして、日本にも伝わってきた。英語で「When pigs fly(ブタが空を飛んだら)」という言い方があるが、その意味は「ありえない」という意味で使われる。 当該国からは差別的名称だと反発もあるが、これらの国は、財政支出対GDP比率と失業率が「同時に悪化」しているのが実態だ。 一般論で言えば、一国の経常収支が赤字になれば、自国通貨が下落して輸出が増えるという外国為替の自動調整メカニズムが働くのだが、PIGSはユーロという統一通貨の下にあり、為替による調整が勝手に出来ないので、後は、景気が減速するに任せ、結果的に輸入が減少することによる経常収支均衡化を目指すしかないわけである。ユーロ圏経済もなかなか難しいと感じる。

そのタイミングの2010年1月にイタリア・ローマ空港から、スペイン・マドリードへ向かった。ローマ空港でイベリア航空に乗るためゲートD7に行き、一番に搭乗手続きをし、機内に向かう通路を歩いて行くと、途中に通行禁止のロープが張ってある。おかしい。エアーに向かう通路が通行禁止とは。しかし、向こうを見るとエアー入口に客室乗務員が出迎えの姿勢で立っている。そうか、通行禁止のロープは準備完了するまでのもので、搭乗時間になったのに、係員がロープを外すのを忘れたのだろうと推測し、ロープを外して機内入口に向かったが、出迎える客室乗務員は何事なかったような顔で、座席の方向を指示し、後ろに続く乗客にも同様である。これは、大したことではなく、細かい出来事かもしれないが、こういうところにその国のシステムが表れていると思う。イタリアがPIGSと差別的別称で言われる要因がなんとなく分かる気がする。

さて、イベリア航空の機内では、すぐに寝て、目を覚ましたらワゴンサービスが、既に通り過ぎてしまっている。後で来ると思ったが来ない。マドリードへ着陸近くになって客室乗務員を呼び、水を希望するとコップに入れた一杯だけ持ってくる。この時、はっと気づいた。イベリア航空は無料機内サービスがないのだということを。水でも何でも有料制になっているのだ。そうすると、あの水は特別サービスだったのか、と思いつつ、国をまたがって飛ぶエアーでも無料サービスが「全くない」というイベリア航空、ここにPIGSスペインの経済事情が表れていると感じる。

話は突然中国になるが、2010年3月に上海から福建省・厦門アモイまで国内便の吉祥航空に乗ったが、僅か一時間半のフライトなのに、すぐに食事と飲みもが提供された。帰りは中国東方航空であったが、これでも同様のサービスである。また、客室乗務員は若くて美人揃いであった。スペインとは大きく違うのでビックリした次第。しかし、マドリード・バラハス空港についてみて驚いた。到着したターミナル4はガラス張りで明るく、巨大な空間を持っている。とにかく広く爽やかだ。これはスペインの気候を表現しているのではないかと感じるほど素晴らしい。設計はイギリス人で、リチャード・ロジャー氏Richard Rogers、年齢は 73歳というが、こういう若々しいダイナミックな設計ができるとは!!。人は年齢でないと再確認する。また、彼はこの空港の設計で、2006年10月にイギリス最高の建築学会賞を受賞している。

プラド美術館前のホテルに落ち着き、ロビーで地元の方から一枚の新聞記事を見せていただく。それはスペインのクオリティーペーパー、エル・パイス新聞、 1996年10月27日付けで、タイトルに「日系スペイン人(?)いや、セビリア人だ!17世紀の支倉常長遣欧使節団一行の子孫」とある。セビリア万国博覧会は、コロンブスのアメリカ大陸到達500年を記念し、テーマは「発見の時代」として1992年開催であったから、どうして1996年の新聞にこのような記事が掲載されたかは、以下の新聞記事の訳を読んでいただければ分かるが、新聞には次の写真が載ってる。

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男の子は、宮城県が贈った支倉の銅像写真の下で、日本人の面影があると思われるセビリアの男の子の写真と、もう一人の男性の顔写真はサッカー審判員のホセ・ハポン氏である。以下が全文。

「東洋の日の出る国、日本の大名伊達政宗の親書を持った支倉常長一行30数名が大西洋のサンルーカルからグアダルキビール川を遡って、当時西欧最大都市の一つだったセビージャ市近郊のコリア・デル・リオ(現在の人口24,000人)内港の町に上陸したのが、今から約400年前の1614年10月24日のことだった。その遣欧使節団の目的は、スペイン国王フェリペ3世やローマ法王と謁見して伊達政宗の親書を渡し、徳川幕府とは別に独自で仙台とメキシコ・スペインなどとのの通商条約やキリスト教文化交流などに協力要請することだった。支倉はフェリペ3世国王とセビージャやマドリッドで謁見できたが、ローマ法王とは会うことが出来ず、3年後の1617年に帰国することを決めた。ところが使節団一行の中の十数名がコリア・デル・リオに残留することにしたのである。彼らは身分が低く名字がなかったので、通称“ハポン(日本)、ハポネス(日本人)”と呼ばれ、スペイン女性との間に出来た子供に“ハポン”の名字が付けられてきた。それから“ハポン”姓は400年の間、スペインで受け継がれてきた。現在コリア・デル・リオ町に400人、近くにあるコリア町に270人、セビージャ市に30人、合計700人のハポンさんが住んでいる。1992年コロンブス新大陸発見500周年を記念してセビージャ市で万博が開催されたが、その時宮城県がコリア・デル・リオ町に支倉常長の銅像を贈った。1996年10月下旬、当時の坂本日本全権大使が支倉使節団の栄誉を称え、日西親善のために“ハポン”姓を持つ市民を招待して、セビージャ市で祝賀パーティーを開催した。子孫達の多くは当時、自分達の先祖が日本の侍で遣欧使節団としてスペインに来たとは知らなかったが(昔からの伝聞で日本からの漁船が難破して、日本人漁師達が漂流して流れ着いたということを信じていた)、自分自身がハポン姓を持っていることに対して、「ただ珍しい名字だ」くらいで、特別な感情やこだわりなどは持っていない。ハポン姓を持っている有名人は、1990年にミス・スペインに選ばれたマリア・ホセ嬢、セビージャ万博当時のアンダルシア州文化長官のホセ・マヌエル・スアレス氏そしてスペインサッカープリメールリーグの名審判ホセ・ハポン氏などである。ホセ・ハポン氏は既に現役を引退しているが、その祝賀パーティーの日にFCバルセロナとバレンシアの試合があったため、坂本大使に鄭重な欠席届けの手紙を差し上げたと言う。ホセ・ハポン氏は「自分の体の中に極わずかでも日本侍の血が流れていることに誇りを感じている」と胸を張って言った」

スペインと日本の関係は今から約400年前からであるが、その歴史的事実の証明が氏名という個人の姓から明確化されていること、これはスペインの姓名制度のおかげである。

スペインでの姓は「父方の祖父の姓、母方の祖父の姓」や「名、父方の祖父の姓、父方の祖母の姓、母方の祖父の姓」、「名、父方の祖父の姓、父方の祖母の姓、母方の祖父の姓、母方の祖母の姓」という名乗り方をする。女性は結婚すると「名、父方の祖父の姓、de+夫の父方の祖父の姓」で名乗るのが一般的。つまり、一度名についた姓は、結婚しても一生ついて回り、それは子供を通じ以後も同様ということである。ですから、この記事にあるように「日本」という名がついた人々は伊達政宗の親書を持った支倉常長一行30数名の後裔であると判断可能となる。この新聞記事によって、一気にこちらのスペインに対する好感度は増してきた。

ス ペ イ ン ~ そ の 2

街 中 の 牡 蠣

好感度が増してきたタイミングに、街中にウオッチングに行く。外は寒いがPIGSといいわれる国の実態を見ようと歩いてみた。

マドリードの緯度は盛岡と同じで、海抜600m、夏暑く冬寒い。湿気は殆どない。スペイン全体面積は、植民地の島も含めて、日本の1.35倍の広さである。フランスとの境はピレネー山脈、ビスケー湾に向かってはカンタブリア山脈、ガリシア地方は縦にレオン山脈、地中海側に中央山脈の四つがあるように、スペインは山が多くヨーロッパ一の山脈国家といえる。また、イベリア半島の五分の四がスペインで、残りがポルトガルである。スペイン人は長生きで、女性は世界第二位という。人口は5500万人で、そのうち約500万人が移民といわれている。特にバルセロナでオリンピックが開催されたあたりから多くなったが、元々は出生率が下がったので、かつて植民地で言語が同じ南米から移民を受け入れたのである。その他の国としてはロシアと東欧からも移民が多い。なお、スペインへの観光客は年間5600万人で、2008年度世界第三位。一位はフランスである。スペインの世界遺産は41か所で世界第二位。

最初に向かったのは市北部のCuatro Czmino地区にある魚専門店のPescaderiafペスカデーラ魚屋である。この店名はガルシア州コルーナ出身の女性名とのこと。1911年の創業。平日8時から15時まで。金土は11:30から20:00まで。牡蠣はヒラカキだけがおかれていて、一個1.2ユーロであった。産地は分からない。写真を撮りたいが店内撮影は禁止である。この店は、店頭・店内共風格ある立派な専門店で広いし、ショーイングが優れている。隣にレストランも経営している。店内には国王夫妻が訪れた写真がある。

次に下町地区のCOATRO CAMINOS 四つの道が交差しているという意味であるが、その角のカルフールに入る。地下の魚売り場に行くと、冷凍ホタテが袋に入っておかれ、130gで3.5ユーロ、マドリード郊外で生産とある。料理方法として「冷凍庫から出して冷蔵庫に入れ24時間以内に調理」と書かれている。大きなホタテが一個冷凍されている。「110g。マイナス18度保存。調理済みで2.9ユーロ。グラタン風。玉ねぎと牛乳、小麦粉、バター、塩をつけ」と表示されている。生牡蠣は残念ながらない。

カルフールを出ると、すぐ近くに市場の看板が見えた。MERCADO MARAVILLAS メルカド マラビージャと書かれていて、意味は素晴らしい市場。市場内には100店くらいの店があって、魚、肉、野菜と洋服から装飾品雑貨まで。魚屋を数えると16軒ある。そのうち牡蠣がおいてあるのは二軒のみ。スペイン人はあまり牡蠣を食べないのかと思う。おかれているのはヒラカキで、一個2.4ユーロ。先ほどの高級店ペスカデーラ魚屋より随分高い。そこでどこからこのヒラカキは来たのかと店員に尋ねると、オランダとの回答に、ふーん、知らなかったオランダでも牡蠣が養殖されているのかと思いつつも、残念ながら、日程の関係でオランダまでは行けないのであきらめる。店員は月と木に100個入荷して、今日はもう7個しかない、売れたのだという。また、レストランに行けば一個5から6ユーロだろうという。ここで30年経営しているが、スペイン人は貝類より魚をたくさん食べるという。やはり、そうなのか。

牡蠣はレストランが業務用に買いに来る。そういえば日本食のミカドもよく来るという。ミカドという日本食店には行く暇がない、これも残念である。マドリードでは残念なことが多い。牡蠣を買いに来るのはレストランだけでなく、個人客も勿論多い。この店の隣も魚屋である。ガリシア産のビックヒラカキ一個が1.8ユーロとあり、ひと箱に25個入って産地から入荷する。ここでようやくスペイン産という牡蠣に出合えた。ここはなかなか立派な市場だと思う。こういうところが街中各所にあるのがマドリードである。

昼食は日本・中華料理店大吉に行った。イタリアからスペインに来たが、イタリアでは日本食を食べなかったので、ここで焼き魚定食を食べる。魚はアジ。結構うまい。定食は飲み物とサラダとデザートが付いてくるので、寒いがビールを飲む。支払いにJALカードを提示したら、急に女将さんの目が輝き、JALのことを熱心に質問してくる。その延長から「沈まぬ太陽」の映画から、山崎豊子小説作品の評価まで話が展開し始めた。これは話好きな女将だと思いつつ、ここで時間を潰しては街中ウオッチングができないので、適当なところで切り上げて、次に向かったのがスペイン最大のデパートEL Corle Ingles。スペインの最大流通グループである。
このデパートの地下は食料品売り場で、冷凍ホタテがあった。ガルシア産でホタテ貝の本場ものと書かれている。また、高級レストランで食べると同じ味とある。一個4.6ユーロ。賞味期限も明示されている。平牡蠣もあり、一個1.65ユーロ。これにはスペイン産との表示。

次に向かったのは、2009年7オープンされた古い市場を再開発したところ。MERCAD DE SAN MIGUELサン・ミゲル店である。入ってみると客が多い。大繁盛していて、金土曜日は足の踏み場がないくらい入るという。入り口を入ってすぐにすし屋がある。スペイン人のおっさんが握っている。見ていると話しかけてくる。新橋と西日暮里の味千で修業したという。握り方を見ているとうまいし日本語も結構できる。隣は牡蠣専門店である。ここはフランス産のマガキ。店名はSORLUT DANIELで、マレンヌオレロンから持ってきている。DANIELという名はどこかで接したことがあると思うが、正確に思い出せない。マネージャーはフランス人である。どうしてスペイン産でないのかと聞くと、フランス人だからフランス産の牡蠣を扱っていると言う。なるほどもっともな理由である。バカみたいな質問をしたわけである。

ここのマガキは料金表ができている。大きさと味で価格が違う。
1. FINE CLAIRE 味わいあり深い味。NO2の大きさが1.00ユーロ
2. ESDECIAL DE CLAIRS 中間の味。NO3が1.2ユーロ
3. ESDECIAL DANIEL SORLOT NO1が2.5ユーロ、NO2が2.00ユーロ、NO3が1.50ユーロ、NO4が1.20ユーロ。
店長は忙しく動き回り、さすがにフランス産牡蠣はきれいに磨かれていると改めて感心する。
そのほかにもう一店の魚屋もあり、ここにはガリシア産のヒラカキが一個2.5ユーロとある。

次に、ハイパーマーケットに行く。ALCAMPOアルカンポである。冷凍ほたて800g7.99ユーロ。貝殻付きのほたてで、五分間で料理でき、解凍してオリーブ油で炒めてくださいと書いてある。かにのすり身がある。SURIMIという表現でスペインに定着している。小さなヒラカキがある。一個0.69ユーロ。18個置いてある。珍しくマガキがある。それも生で。12個入り4.99ユーロ。北大西洋産と書いてあって、数えると10箱あるが、疑問はガリシア産と明示していないことである。スペインの牡蠣養殖産地はガルシア地方である。ですから、北大西洋産と書いてあるのはどこの産地なのか。どうしてガルシア産と明示しないのか。これがマドリード市内のウオッチングで最大の疑問だ。この疑問は現地のガルシアで確認するしかないであろう。

ガ リ シ ア 州 ビ ゴ 漁 港 

いよいよこの疑問を解決するためガリシア州のVIGOビゴへ向かった。マドリードから約50分のフライトである。ガリシア州は、スペイン17の自治州の一つで、スペイン北西部にあり、大西洋に向かってひとり張り出した地方で、ア・コルーニャ県、ポンテベドラ県、ルーゴ県、オレンセ県の4つの行政県に分かれている。州都はコルーニャ県内にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラ。

この地は極めて古い花崗岩の浸食地盤に、アルプス褶曲(しゅうきょく)(堆積が当時水平であった地層が、地殻変動のため、波状に曲がる現象や、それが曲がっている状態)の余波で断層が生じ若返ったもの。数か所で標高は2000mを超えるが、平均海抜は500mで断崖がいくつも海にせり出して幅の狭い美しい景観が見られ、リアス式海岸の発祥地というのも頷ける。ガリシア州はスペイン随一の漁業地帯(タラ、鯖、イワシ、ニシン、カツオ、イカ、タコ、貝類など)の宝庫。

主な産業は漁業、食品加工業、製材業、造船業、内陸部での農業(とうもろこし、ジャガイモ、ライ麦、ブドウ、ワイン、食肉業など)。気候は海洋性で温暖(年間平均13度C)、寒暖の差が少なく雨が多い。昔は海外、特に中南米に移民するガリシア人が多く、有名人ではキューバのカストロ首相の両親がガリシア出身。このようにガリシア人の名字にはカストロ姓が多い。余談だがカストロとはスペイン語で、巨岩、断崖、古城跡などを意味する。

このガリシア州ポンテベドラ県にビゴ市が位置する。人口30万人であり、ガリシア州最大の都市で、スペイン第一の漁港があり、大西洋航路の主要な港町、つまり南北アメリカとヨーロッパ大陸との海の架け橋の役目を果たしているのがビゴ港である。

国際クルーズ船は年間100隻も入港し、2007年度は前年度比15%増の15万人のクルーズ観光客を迎えている。また、2007年のビゴ港の船の総入港量は5,500万トンで、前年度比で5%増加している。ビゴ港内に設置された冷凍用倉庫は65万㎡に達し、国内はもとより、世界的にもトップクラスといわれているように、14,000haの広さを持つリアス式ビゴ湾内にある同港は、シエス諸島とモラソ半島に守られた天然の良港で、古く歴史的にはケルト民族時代から港町として記録に残っている。つまり、ビゴはケルト人によって造られた町なのだ。

余談だがビゴ市のサッカー球団名はCeltasセルタス、スペイン語でケルト民族の意味となる。かつては名門バルサやレアルマドリードを倒す力があったが、残念ながら4年前から2軍に落ち、強かった昔の面影はない。ビゴ港は中世のバイキング時代にコルーニャ港と共に栄え、コロンブスの新大陸発見後、中南米との交流が活発になり、16世紀後半にはスペインが誇った無敵艦隊の主要なベース基地にもなった。民間伝承によると、ビゴ湾の入江の奥底には18世紀初頭のフェリペ5世時代の商船の財宝が数多く眠っているとか・・・。

このビゴ港に魚市場がある。ビゴ港湾内部にあるので国が所有しているが、ビゴ市が委託されて運営管理している。現在74社が加盟していて、2007年度の水揚げ高は80万トン。前年度比でやや下回ったが、総売上高は2億1600万ユーロで2006年よりも7%増加した。魚介類では、鱈、鯖、鰯、鰊、鰹、烏賊、蛸、貝類が多い。
ここビゴを含むスペイン北西部の海岸は、深いリアRia(入江)が多く、リアス地方と呼ばれているように、土地が沈降してできた「沈降海岸」の典型である。元祖リアス式海岸で、ビゴの魅力は何と行ってもこの海岸線にある。

ア・コルーニャ周辺の海岸線がRiasAltas(高い入江)と呼ばれるのに対し、リアス・バハスRias Bajas(低い入江)と呼ばれるこのあたりの海岸線は、緑の山々に映えて、美しい景観を織りなしている。ビゴ湾には無数の黒い小さな船が浮かんでいる。これはバテアスBateas(箱船)と呼ばれ、ムール貝の養殖に使われている。牡蠣の筏も多くみられるとガイドブックにあるが、実は、ビゴ湾では牡蠣養殖よりは、ムール貝養殖の方が多いらしい。これも疑問である。これだけの良港とリアス式海岸に恵まれているのだから、牡蠣はかなりできると思われるが、少ないとは。これも究明しないといけないと思う。なお、ビゴ市の旧市街にベルベス地区という今でも漁師達や船員たちの住む家並みがあり、その隣にペドラ(岩)市場があって、そこでは漁師のおかみさん達が屋台などで生牡蠣を売っている。これはビゴならではの光景と思う。

魚市場は、旧市街のヘルベス地区にある。BERBES PORTO DE VIGO LONXA DE ALTURAと看板にある。BERBESは市場がある場所名。LONXA DE ALTURAとは競り市場という意味。ビゴ市場は大きい。長さ300m、幅50mくらい。既に述べたように74社が入っている。ふと見ると、市場にカモメが入ってきて、セメントの床に散乱した魚を食べている。外の車の上にも俺の車だと言わんばかりにカモメが一羽ずつ止まっている。壁を見ると、それぞれの魚価格が表示されているが、これとは関係なく競りで価格が決まる。魚は月から金まで早朝2時から運び込まれ、6時過ぎから競りが始まり、8時ころに終わる。

さて、競りが始った。10人以上が各場所でそれぞれ「ここはこういう魚があるぞー」と叫び、集まった仲買人や専門店・スーパー・地方へ売りに行く行商の人たちに売り出す。価格は高いところから始め、0.05ユーロずつ下げていく。スペインは高速料金も2.95ユーロであるように、競りも1.05ユーロから始まり、0.05ユーロごとに叫ばれていく価格に妙な感じを持つが、それはこちらの勝手な感覚にすぎない。市場の競りに参加している人たちに何ら違和感はない。さて競りだが、スズキが25ユーロから始まり、どんどん下げていくが値がつかず、13.90で一人のジャンバー姿の男が競り落とし、そこに自分の名前を箱に入れる。印刷されているから店名だろう。係りがそれを見て紙に記録していく。これが各所で行われるのであるから、それはうるさい。マイクの声が高い天井の市場内に反響して耳に騒々しい。大きい魚のところは男が多く、小魚部類は女が多いようである。それがどうしてかは分からないし、目の前におかれている魚の名前を聞くと、ルビオと教えてくれるが日本名は分からない。赤いのは金めだいか。

市場内にいる人数は500人は超えると思う。とにかく大勢で活気がある。体が急に寒くなったので、どうしたのかと思って見回すと、競り落とした魚を運ぶため、外に通じる扉を開いたままになって外気が入り込むからだ。体も冷えたし、市場内はうるさいし、そろそろホテルに帰ろうとドア外に出ると、まだ暗い中、トラックではない普通車を改造したと思われる中型車、その後部扉を開けたまま、魚を積み込んでいる女性に出会った。何種類も積み込んでいる。しばらく見ていたが、どうも魚の数量が少ないのに、種類が多いので、この積み込みは何のためですかと聞いてみると「山の方に売りに行くのですよ」とニコッと答えてくれる。そうか魚の外商か。山国のスペインだからの商売かと納得する。

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(魚行商の車の中)

ス ペ イ ン ~ そ の 3

牡 蠣 養 殖 場

8時半ごろになってようやく明るくなった。そこでホテルを出発した。行先はカンバドスCambadosの国営ホテルである。ここでアントニオ・セルビーニョ氏、サルバドール・ゲレロ氏のお二人に会うのである。お二人はガリシア州政府海洋水産庁管轄のコロン海洋研究センター(CIMA)勤務で、アントニオ氏は生物学者で、甲殻類(主として牡蠣、アサリなど)の稚貝を育てる研究に従事している。現在サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学の研究室チームと合同で卵から育てる牡蠣養殖の研究をしている。

サルバドール氏も生物学者でCIMAセンターの研究員で、ガリシアにおける平牡蠣養殖のパイオニアの一人である。ホテルのロビーでお会いしたお二人、とてもフランクで好感度高い。早速にお話を伺う。ガリシアでは99%がヒラカキということに少し驚く。マガキは少ないという。理由としてスペイン人はヒラカキが好きだからという。ここまでは理解できる。しかし、次の発言に驚愕する。「ヒラカキ全体の80%は、外国から成長した牡蠣を仕入れて、それをガルシアの海に入れ、早いもので一週間から数カ月でスペイン国内へ出荷する。この表示は北大西洋としている。数量は1200tから1400tである」との内容。つまり、稚貝から養殖していないということになる。それと生産量が少ないことに驚いたのだ。

また、その輸入先はデンマーク68ot、イギリス140t、イタリア200t、アイルランド90t、フランス90tというところ。デンマークが多いがイタリアが年々増えているという。これで養殖といえるのか。ガルシア産としてブランド化しているといえるのか。ここに来るまで、当然ながら稚貝から育てていると確信していた。何故なら、スペインのガルシアの海は素晴らしいリアス式であり、風光明媚であり、そこで牡蠣が養殖されて、味わいのよい牡蠣ができていると信じていてからである。ところが、全体の八割が外国から育った牡蠣を仕入れし、短期間ガルシアの海に入れて、それを出荷している事実に驚愕したわけである。

あまりにもこちらが驚いたので、お二人は慌てて発言する。勿論、稚貝からも養殖している。フランスから仕入れた6カ月の稚貝をセメント、これは黒セメントメグロというが特別な薬剤が入っているものにつけて、24時間たつと着くので海に入れて以後養殖している。これをガリシア産と表示している。また、全体の5%程度は人口的に稚貝を育てる三倍体も養殖している。これは70年代後半から研究してきたものである。このような実態になっているのは、養殖が各企業によって営利中心で行っているからという説明に、ブランド化をすべきでないかと反論すると、企業数は大きいところが5社、小さいところも5社計10社あるので、そこでいろいろ聞いてみてくれと、これからそこへ行こうという。

養 殖 企 業

国営ホテルから10分で、海辺の養殖会社に着く。MARISCOS DAPORTAマリスコス・ダポルタ社。1955年の設立。1999年から兄弟で経営している。社長が説明してくれる。ガルシアの海では、1950年から60年代は自然の牡蠣が多くあり、それを獲って販売しているうちに、当然ながら自然牡蠣は少なくなって、今は輸入して販売しているのだと、当時に生まれればよかったなぁと、社長が溜息的な見解を冗談ぽく愚痴る。また、元々昔のスペイン人は生牡蠣を食べなかったので需要は少なかったので、自然牡蠣での対応で過ごしてきたが、ここ30年食べるようになって商売になってきた。それと配送手段が冷凍とかが進んできて需要が増えたのだという。

このような説明に複雑な思いをもつが、とにかく海の養殖場を見てくれというので、船に乗って沖合に向かった。養殖場がある海は、水深8m、干満差4mである。この海に太い鉄管で頑丈に組み立てられた筏が浮かんでいて、この筏に牡蠣をつめた箱をロープでつないでいく。海底に箱はつけずに浮かべたままにする。これが成貝の育て方で、到って簡単である。

次に、稚貝0.5cmくらいになったものを2000年1月に買ってきて、一年過ぎた今の2010年1月になったものを見る。3cmから4cmになっている。これも筏の中においた箱中で育てている。この3cmから4cmになったものを、セメントにつけて海につるすと三カ月経過して出荷できるというものを見る。本当かと疑問視するとできるという。指を広げて大きくなるという。これがスペイン・ガルシアの海での養殖方法である。

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(ガルシアの海での養殖)

船から浜に戻って、アサリの競り場を見学する。競りは終わっているが、ガルシアアサリと、日本アサリ、ホタテがおかれている。見学後、レストランに入り、コーヒー飲みながら話し合いする。スペイン人の二人は赤ワインを飲む。話は、再び、昔は牡蠣の宝庫だったという述懐になる。それを獲りすぎて無くなったのと、スペイン人が生牡蠣を食べだしたので輸入して出荷することにしたといい、指摘を受けたガリシアの海をテーマにした牡蠣のブランド化、その重要性は分かっているが、進んでいないという。

そこで、再び当方から、そこが問題点だと指摘し、他の国ではどこの海でも「俺の海の牡蠣が一番だ」と競っているのが実態だ。ガリシアの海で育った牡蠣が一番だと自慢するようにしてほしいというと、黙ってうなずく。かなり意外の感が強いスペイン・ガルシアの海での牡蠣養殖であったが、考え方を変えれば、素晴らしい自然をもっているわけであるから、これからの展開如何で、ガルシアの牡蠣は世界ブランドとして飛び出す可能性がある。それを期待して、ガルシア州で最も著名というより、世界的な聖地に向った。その概要を少し報告してスペイン牡蠣事情を終えたい。というのも今年は記念すべき年だからである。

2010年は「シャコベオXACOBEO(聖ヤコブ)大祭」の年キリスト教12使徒の一人である聖ヤコブ(スペイン語名サンティアゴ)の墓が9世紀初頭、スペイン北西部サンティアゴ・デ・コンポステーラで発見され、それ以来、ローマ、エルサレムと並び、このサンティアゴがヨーロッパ三大巡礼地の一つとして崇められ、キリスト教信者の心の拠り所となっている。

中世には年間50万もの人が徒歩又は馬車でピレネー山脈を越え、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指したと言われている。その道程は約 800kmにも及び、巡礼者は巡礼のシンボル(通行証でもあった)であった帆立貝の貝殻を提げ、水筒、杖を手に長い道程を旅した。 巡礼ルートは2つあり「サンティアゴの道」といわれる本ルートは北部内陸を、もう一つの沿岸ルートはカンタブリア海沿いを通る海岸ルート。これら街道沿いには巡礼者の為の宿泊施設としても使われた修道院、教会、病院などが多数点在し、その時代の文化、芸術、歴史の足跡が色濃く残り、現在では歴史街道となっている。この巡礼街道はユネスコの世界遺産に指定され、又日本の熊野街道(和歌山)と姉妹街道にもなっている。

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(聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂)

この聖人の祝日7月25日が日曜日にあたる年は「聖ヤコブ年」といわれ、2010年がこの年で、「シャコベオXACOBEO(聖ヤコブ)大祭」が行われ、この年1年間、最低150kmのサンティアゴ巡礼道を歩くと(自転車では200km)罪が許され、大変なご利益があるといわれている。さらに、この1年間は、サンティアゴ大聖堂の巡礼者の門が、年中無休で開門されていて巡礼者がいつでも聖ヤコブにお祈りすることができる。これに因んでガリシア地方を中心に以下の各種イベントが企画され、スペイン・ガリシア州としては2010年を通して一千万人以上の巡礼観光客を見込んでいる。

「ボタフメイロ(大香炉) Botafumeiro」の儀式サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を目指し、巡礼者のために用意されている指定の宿泊所でスタンプを押してもらい、徒歩又は自転車で歩き歩きつづける。全行程800kmにも及ぶ長くて厳しい道のりを、歩き通す苦労は並大抵のものではない。無事にサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂に辿り着くと、めでたくも有難い「巡礼証明」がいただけ、毎日12時のミサに臨むことができる。ミサでは、運が良ければ世界最大の香炉ボタフメイロBotafumeiroが振り子の様に往復する光景を見ることが出来るだろう。

このボタフメイロBotafumeiroとはガリシア語で「煙を撒き散らす」という意味。その起こりは聖なるミサ儀式のときに用いられる、神に捧げるための香炉であるが、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂の場合は、膨大な数の巡礼者たちが連日礼拝に来る為、巨大な大香炉が必要とされ、1554年フランスのルイ11世によって、銀製の巨大な香炉を寄進されたが、1809年にナポレオン戦争によって略奪されたので、現在は銀メッキされた真鍮製で重さ 54Kg、高さ154cmという巨大なものを使用している。

大聖堂内で香炉を使う意味は、元々神に捧げる為であるが、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂の場合はもう一つの意味もあった。それは中世時代大聖堂では巡礼者達を堂内に寝かせていたが、彼らの汗まみれの身体から発する臭気が堪らず、その臭いを消す為に巨大な香炉が必要だったといわれている。

今では、正式なミサ以外でも、巡礼者が300ユーロの寄付をすれば大香炉を、正午から8人の司祭が滑車つきの太いロープを引っ張って大香炉を吊り上げ、大祭壇前の高くて広い空間を天井すれすれに左右に大きく揺らしてくれる。その姿はまるで煙を吐く空中ブランコの大サーカスのように、大香炉はプロペラ飛行機のようにブーン、ブーンと鈍い音を出し、風を切ってダイナミックに揺れ、高さ45mもある天井に届きそうなり、一瞬ヒヤッとさせられるほどだ。

最大スピードは時速80キロにもなるというから、真下で見上げていると恐怖感を感じるかもしれないが、この儀式は数分間で終了するが圧倒されるボタフメイロBotafumeiroである。

さすがに世界遺産が世界第二位の41か所のスペイン、その代表ともいえるのが、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂である。牡蠣養殖では少しがっかりしたが、ここではその素晴らしさに息を飲むことになった。

これでスペイン編を終わりたい。