イ タ リ ア ~ そ の 1

ロ ー マ に 着 く

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(アドリア海マンフレドニア牡蠣養殖船)

成田空港からイタリアに出かけたのは2010年1月。到着したのはローマ・フィウミチーノ空港。エアーはアリタリア航空。イタリアの友人からアリタリアだけは乗るなと言われていた。友人は以前、ローマから成田に行く際、12時間のフライトなのに、アリタリアは機内食を携帯しないで出発し、機内で水ものばかり提供されたことを、今でも激怒しているからである。しかし、日程の関係でJALとの共同運航便という名の下に、アリタリアに搭乗した。

さて、JAL会社更生法で改めて問題指摘されたのは、JALの機体は古いというもの。だが、アリタリアに乗ってみればJALは最新型機体となる。それほどアリタリアは骨董品的機体である。当然、いろいろ不便があるが、とにかくローマに着けばよいという思いで乗ったわけである。また、JALと比較すると確かにサービスは落ちる。JALの客席乗務員は世界的にレベルが高いといわれている。それに比べてアリタリアは態度もレベルも低い。このように、あらを探せばいくらでもあるが、これをしていると自分がみじめになるので、今度はよい点を探してみた。そうすると結構ある。

サービスが悪いということは、あまり干渉がないので、自由にできる時間があるということ。機内案内マイク回数も少ない。当然、NHKTVニュースの提供はないわけで、それだけ雑音から逃れられる。まだ、いくつかあるが最もよかったのはワインがうまいということ。これはそうだろう。フランスに次ぐワイン大国、それとパスタが本場ものでうまい。というようなことをしているうちにローマに着いた。

ローマのフィウミチーノ空港は全般的に照明が暗い。大型バックを持って外に出て、さて、タクシー乗り場はどこかと探していると、素早く一人のおっさんが現れ、左手を見ろという。見ると「タクシードライバーライセンス」と英語で大きく書かれたカードがある。続けて、ここは空港近くのところに行く乗り場だ、ローマ市内に行くには向こうの道路側になる、と片言の英語で話してくる。こういうのは闇タクシーである。相手にしないが、とにかくしつこい。NOと言って、もう一度暗い照明の石畳みの向こうに目を凝らせば、すぐ先がTAXIと書かれた正式な乗り場である。ようやく変なおっさんから解放されることができた。

タクシーと言えば、鉄道テルミネ駅からホテルまで乗ったが、走り出して気がつくとメーターを倒していない。そこでメーターを指差し表示するように指示するが、何やら大声でわめいて表示しない。顔を見ると眉を剃っていて、いかにも移民系だという目つきが厳しいまだ若い男。ホテルについて支払う時、再度、メーターが表示されていないので払わないと言うと、キットこちらを振り返り「駅から一定距離は15ユーロという料金規則となっている」と譲らない。大した額でもないし、ここで喧嘩となって殴られて怪我してもバカバカしいから払ったが、こういうことが続くと、PIGSのイタリアの首都ローマでは気をつけないといけないと再確認することになるし、世界を代表する都市で、このようなことが続くと観光に来る人が次第に減っていくだろう。

そういえば、観光客が訪れる国のトップは2008年実績でフランスが7930万人と断トツで、二位は米国、三位はスペイン、四位は中国、イタリアは第五位の4273万人となっている。このイタリアの実績を多いとみるか、少ないと考えるかだが、世界遺産の数は世界一の42か所であるから、もっと観光客はあってもよいと思うが、観光客に対するちょっとしたことの積み重ねは恐ろしい。小さなことをバカにしてはいけないと思う。そんなことを考えていると、昨年夏に大騒ぎになった「ローマぼったくり事件」を思い出した。

日経新聞(09.7.31)報道によると「ローマの有名レストランで日本人観光客二人が法外な値段を請求されるというトラブルがあり、イタリア政府は30日までに、おわびのため政府の費用負担で再び同国を訪問してほしいと呼び掛けたが、二人は『イタリア国民の税金を使うことになる』として招待を辞退していたことが分かった。二人は6月に有名レストランの昼食でサービス料115ユーロを含む計694ユーロ(約9万3千円)を請求され、支払い後に警察に届け出た。警察が詐欺容疑で捜査するとともに、ローマ市が同店を『衛生管理違反』を理由に閉店させた。ニュースはイタリアで大きく報じられた・・・」というもの。そこで、早速にこの有名レストランに行ってみた。ここはナボーナ広場近くで、界隈には最高裁判所、上院議員会館もあるところで長く営業している「PASETTO パセット」である。ここで支払った領収書がイタリアのTVで放映されたので、内容は公開されている。それによるとカキ12個とロブスター2キロ、スズキ1.5キロ、ワイン、パスタとジェラートを注文している。

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(件のレストラン)
こんなに高級な代物をオーダーしたら確かに高いだろうと思ったが、さらに、地元の人に聞いてみると驚くことが分かった。それは、この二人に誰もメニューを持ってこなく、英語を話すやさしげなウェイターが来て、「私を信用してください。私がメニュー選びをやりますから」と言ったという。つまり、メニューは客が選んだのではなかったのだ。客のほうは、一皿がいくらするのか、わからないまま食べたということだ。しかし、料理は美味しかったらしい。それはそうだろうが、請求書を見て楽しい気分は吹っ飛んだ。トータルの請求金額694ユーロ、二人は間違いではないかと思ったのだが、クレジットカードで一応支払ったわけである。

しかし、払いはしたが、チップが20%という法外の要求が問題だった。チップとは、サービスに感謝して支払う性質で、請求書に事前に印字し書くものでなく、それも20%とは相場よりバカ高い。二人はさすがに抗議したが、ここの店の相場だと言って取り合わなかったという。それで二人はレストランを出て、警察へ駆け込んだという次第。同レストランは、チャーリー・チャップリンやグレース・ケリーも訪れたことがあり、149年の歴史を誇っていて、ガイドブックに掲載されていて「日本語のメニューがあり、良心的な値段!!」と書いてある店。

だが、今回の代償は大きかった。保健所の検査を受けることになり、結果は衛生基準を満たしておらず、「不潔な環境、機能していない冷蔵庫」などで二カ月の閉店なった。魚介類を売りにものにしているのに、冷蔵庫が機能していなかったということになる。問題多い店が「有名店で老舗」としてローマで認識されていたのだ。ローマでなくともレストランで食事する際には気をつけたい。まず値段の書いてないものは食べないことだし、飲まないことだろう。また、レシートはくまなく見て、おかしいと思ったら聞くべきで、それでも対応してもらえなければ、周りのお客さんでも、道を歩いている人でもつかまえて騒ぐことが必要だ。その場合、イタリア語も英語が話せなくても、日本語でもいいので騒ぐことだ。さらに、レシートを要求し、証拠の為に持って帰るために、支払いは現金ではなくクレジットカードで払うと物的証拠が強い。

日本人は「まあ、いいや」と簡単に諦めて、訴えない人が多いと思うが、今回の二人は警察に掛け合ったことによって、チップ分相当額が戻ってきて、最低の被害が防げた。
世界を代表する観光地に来て、食事の支払いにハラハラするのは本来おかしいと思うが、こういう事例は氷山の一角だろう。

今回、ローマで宿泊したホテル前はヴェネト通り。有名なブテックや高級レストランが立ち並んでいる。今回お会いしたローマ在住の人に聞くと、このヴェネト通りのガラスで囲まれたテラスがお洒落なカフェについ入ってしまい、あまりの高さにビックリした上に、請求書を見るとイタリアでは税金は内税なのにTAXなどと書き、合計金額を高くさせた上に、さらにチップを客に書き込ませるようにしていたという。

そこでこの人はTAXがサービス料だと、TAXの部分にマルをして、チップは「0」と思い切り書き込んで、愛想笑いが不気味なウエイトレスにわたしたら、「Brava!(えらい!)」などと、あたかも、こっちがチップをはずんで書き入れてくれたかのように、おそらくは周囲のアメリカ人とおぼしきカモ客に対するカモフラージュ行為かにように、わざとらしく叫んだという。こういう話を聞いていたので、ヴェネト通りのガラスで飾られたレストランには入らず、見栄えが悪いが、表にメニューが表示されているあまり奇麗でないレストランに入ってみた。中には結構客がいる。ウェイターがどこから来たのかと客に聞いている。デンマークとかシシリー島とか言っているし、客の服装も当方と変わらない普段着程度だ。ホッとして出てきたピザを食べると、これが意外においしい。さすがにローマの本場物は違うと満足したわけで、このように真面目に経営している店がほとんどだろうが、ぼったくり事件のようにマスコミで評判になり、つまらない細かいお金をぼるタクシーが続発する国だと、世界にイタリア事情として知られて行くようなことが続くと、観光客に影響するだろうと確信するので、首都ローマ市に忠告を発したいと思う。

イ タ リ ア ~ そ の 2

ロ ー マ の 魚 市 場

このローマに対する忠告、一般のイタリア人は着実に生活していると確認できたからである。というのも、ローマから列車で移動したアドリア海側のマンフレドニアManfredoniaで、地元出身の若い人たちが新しい牡蠣養殖システムに挑戦している実態を見たためで、ローマの事件は特別に残念だと思っている。このマンフレドニアについては、後段でお伝えするとして、まずはローマの魚市場を紹介したい。

土曜日の朝5時にホテルを出発し、ローマ市郊外の市場CENTRO AGROALIMENTAREへ向かう。直訳すると農産物食材市場となる。ローマの中心から東側、外郭環状線14号を降りていく。中心から約18㎞。行ってみると開いてはいるが事前に許可を受けないと入れないシステムという。ただし、土曜日は8時から一般客対象にオープン化されるとのこと。そこで他へ回って後で訪れようと車を引き返す。日の出は6:30頃になるので、まだ真っ暗だ。

6時に到着したのはMERCATO LAURENTINOラウンティーノ市場、この名前は通りを冠したもので、一般客向けの市場。30店くらいが入っていて、肉、野菜、魚が中心でワインの量り売りもある。営業時間は月、水、木、土が7時から14時まで。火と金が7時から19時までとなっているように、曜日によって異なるオープン時間である。当然、まだ開店前の準備中であるが、恐る恐る入ってみたると、店頭に今朝4時に絞った牛乳で作ったモッツァレッラ Mozzarellaチーズがある。モッツァレッラという名前は、その製法にちなみ、「引きちぎる」を意味するイタリア語「mozzare」に由来するとされるらしいが、今日中に食べないといけないもの。保存剤は一切入っていない。新鮮である。

ところで、金曜日はキリスト教の関係で肉食を食べず、魚を食べる人が多くなるので、魚市場の閉店時間が遅くするのは分かるが、火曜日がどうして金曜日と同じなのかはわからず、ローマ滞在中にいろいろな人に聞いても答えが得られない。習慣化しているのだろう。市場内の魚屋店頭に行く。というのもここの店主・社長が、この市場の経営者らしいからである。店頭に新鮮な魚がいっぱい並んでいる。ショーイングが素晴らしいので、さらに新鮮に見える。マガキがある。

社長に牡蠣はどこから仕入れしているのか尋ねると、フランスからだという。これは以後、ローマで視察したところ全部で、すべてフランス産との答えであった。ということはイタリアでは牡蠣養殖が行われていないのかということになる。だが、今回イタリアを訪問したのは、実際に牡蠣養殖が展開されているからである。イタリアの牡蠣はイタリア国内で流通していないのか。流通していないとすれば、どこにイタリア産は行っているのか。まだ暗い日の出前に疑問が大きく膨らんでいく。

フランス産の牡蠣の仕入れ先はCam s.r.lと箱に印刷されている。これはフランスのどの地方かと聞くが分からないという。いちいち仕入れ先まで検討していないだろう。タグを見たが地方名は書いてない。価格は1kgが8ユーロ。1kgで7から8個くらい。しかし、とにかく寒い。気温はマイナス一度。ようやく少し明るくなり、お客が入ってきた。イタリア人は早起きだ。それはこの後行ったスーパーが8時から開いていることでもわかる。

明るくなったので、再びCENTRO AGROALIMENTAREに向かう。環状線で行く途中、マクドナルドでコーヒーを立ち飲みする。椅子に座ると価格は倍になるので。飲み終えて外に出るには、スーパーみたいな品物がたくさん並んでいるところを通らないといけない。ふと見るとビールもウイスキーもワインもある。高速道路の環状線休憩所にアルコールがあるという。まず日本では考えられない。それと漢字のパッケージ商品もある。見ると「泉」と印字され、その上にBIONSEN、美温泉という発音のローマ字書き。これは5年ほど前から売り出され、テレビでもコマーシャルされ、商品コンセプト訴求は、日本女性の肌が奇麗なのは温泉に入るから、というところからネーミングしたらしい。日本の温泉はこうやって評価されているのかと、改めて思う。

さて、CENTRO AGROALIMENTAREに着いたのが6:45頃。すでに7台の車がゲートで待っている。土曜日を楽しみにしている人たちだろう。7時になったので入場料2ユーロ支払い入る。市場は大きなかまぼこ状の建物。奥行きは200mあるだろう。両側に卸店が50店くらい並んでいる。既に販売店用の魚介類取引は終わっている。この時間から一般客相手の商売になる。

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(ローマ市近郊の市場CENTRO AOROALIMENTARE)

牡蠣は入り口の店にあった。やはりCam s.r.lのもの、ただし価格は1kg3ユーロ。次の店はブルターニュ産1kg5ユーロ、その先は1kg6ユーロ。それぞれ違う。大きさとかで異なるのだろうが、先ほどのラウンティーノ市場よりはかなり安い。やはり卸市場は安いということが証明された。ところで、このCENTRO AGROALIMENTAREのホームページを検索すると、つぎのような株主構成である。

「ローマ農産物市場"Centro Agroalimentare Roma)」を所有する法人である「CAR 株式組合企業(Scpa)」は、主に公的資本(主要株主はローマ商工会議所であり、株主となっているその他の公的機関はローマ市、ラツィオ州、ローマ県である)の参加と、最大手の信用金庫3行(Capitalia Spa, BNL Partecipazioni、Banca Antoniana Popolare Veneta)、大規模な複数の公益事業を行う会社(Acea),商業オペレーターの代表団体(Romamercato '87 株式組合企業(Scpa)とA.G.O. Roma)や建築業界オペレーターの代表団体(Costruttori Romani Riuniti Grandi Opere株式会社(S.p.a.))といった重要な民間資本が参入する株式組織を有する株式組合企業 (Società Consortile per Azioni)である。 1986年に設立された」

次に向かったのはAZZURRA PESCA青い魚s.r.lという社名の卸店。社名の下にin diretta con il mareとある。海から直送という意味。ローマ時代の城壁すぐそばの角に立地する店で、結構広い。ローマ中心部では一階は全部が店舗で、二階以上は住居である。ローマではこれだけ大きい店は少ないらしい。ここに着いたのは8:50、ここはレストランに卸している店だが、既に魚は完売して全部なく、出荷済み。レストランから前日に注文あって届けるシステム。もうここで40年間営業しているという。

牡蠣はフランスから入る。ブルターニュ産。契約しているところから。週二回に分けて100kgから150kg仕入れる。時には200kgくらいもある。ブロン(ヒラカキ)もマガキもある。ブロンは高い。日本食レストランにも数件卸している。例えば「すし千」だという。地元の人に聞くとここは日本食もどきの店だというが。その他に大学内の店にも出しているという。ローマ人はフランス人より牡蠣を食べるのは少なく、ローマ人の食べる時期はRの着いた月は少ないという。まだRの件がここでは信じられているのだ。

ところで、この店で重要なことを聞いた。イタリアのカキ養殖場は三か所あるという。ヴェネッツィア近くのchioggiaとナポリ近くのpuozolliとアドレア海のmanfredoniaマンフレドニの三か所。ようやく養殖地の話が聞けた。

次に向かったのは、1930年代に造られた住宅が並んでいる中の市場。MERCAT
PIAZZA EPIRO。5年前に改装して地下を駐車場にして改装した。その前はバラックだった。このマーケット市場50軒位あって何でもある。便利だと感じる。魚屋は四軒。一見して今まで見たところと新鮮さが異なることが分かる。魚が輝いていない。ショーイングにも工夫がなされていない。牡蠣の価格は1kg10ユーロから12ユーロ。明らかに高い。次に向かったのは、すぐ近くのスーパーSMAイタリア地元の資本。朝8時から営業。ここの魚屋は新鮮風に見せるライトの使い方が上手。おばあさんがイカとアジを買っている。いずれもすぐ食べられるよう切って洗って出してくれる。

牡蠣について聞くと、フランスから入ってきて、火から土まで5日間で30kg位売れる。1kg6.5ユーロ。今日は土曜日ですでに完売したという。これがローマでの牡蠣販売状況であるが、牡蠣の位置づけは高くないと感じた次第。

イ タ リ ア ~ そ の 3

ア ド リ ア 海 マ ン フ レ ド ニ ア 牡 蠣 養 殖 場

ローマから列車でフォッジャまで行き、ここで一泊し翌朝8:56発でマンフレドニアに向かった。ローマからマンフレドニアに直行する列車便が少ないのでフォッジャで泊ったのである。

フォッジャ駅で乗車する列車は二両しかなく、フォッジャとマンフレドニアの間を折り返し運転している。イタリアとは思えない定刻に動き出す。向こうのホームに野良犬が三匹、列車が動く度に吠えるが、この野良犬は街中のどこにでも多くいる。狂犬病の予防注射しているのか不明であるので近寄らない方がよいだろう。9:23にマンフレドニアに着く。

駅が市の観光案内所になっていて、迎えの車が来るのを待っていると、男が出できて「上海から来たのか」と聞いてくる。当然に中国人と思って話しかけてくるのだ。アジア系は全員中国人と思うようだ。後で聞くと、この街には中国人は二人しかいないという。勿論日本人はいない。中国人が少ない町は珍しい。ホッとする。ここはプーリア州フォッジャ県マンフレドニア市、市のホームページから概要を拾ってみた。

人口は 57186人(2009年7月1日現在)、人口密度160.06人/㎢、海抜5m。マンフレドニア湾のガルガーノ岬のすぐ南側に位置し、市の北側はサンタンジェロ山(Monte Sant’Angelo)、北西はサン・マルコ・イン・ラミス市(San Marco in Lamis)とサン・ジョバンニ・ロトンド市(San Giovanni Rotondo)、西側はフォッジャ市、南西はチェリニョーラ市(Cerignola)とカラペッレ市(Carapelle)、そして南側はザッポネータ市(Zapponeta)に接している。

イタリアの中で27番目に面積の大きい市であり、プーリア州内では7番目の広さである。このマンフレドニア市の特徴としては、干拓が行われたマンフレドニア湾の低く砂浜の多い海岸と、ガルガーノ国立公園を含む北側の起伏に富んだ自然が著名である。
また、1930年代までは沼地が多く存在し、その地を干拓したことも特徴であるが、今でもサルソ湖(Lago Salso)と呼ばれる沼地が結構ある。

年間平均気温の分布図は、プーリア州がどれほど温暖な気候に恵まれているかを明らかに示している。平地部のほぼ全域および丘陵部の多くの地域で、平均気温は15度を超えているように、マンフレドニアでも年間平均気温は15.1度である。市の経済は漁業・商業・工業・観光という4つの柱からなっている。町を創設し、その碁盤目状の構造の原型をつくったのは、フリードリッヒ二世とビアンカ・ランチャの間に生まれたマンフレーディ王である。

マンフレドニアはイタリアにおいて「カーニバル(謝肉祭)」で知られている。競い合う工夫をこらした仮装行列の山車パレードだけでなく、「ソーチェ(socie)」という名の、家の中で催される伝統的なダンスパーティにより、カーニバルを他地区と一味違うものとしている。経済面では、農業とマンフレドニア港を中心とした漁業を基礎としている。観光部門では、特にシポント(Siponto)の海水浴場と南部の海岸部での観光が盛んで、これらで再開発を行って、経済発展を期待している。

この町も、他のイタリア都市同様、夜になると、マンフレーディ通り(Corso Manfredi)が伝統的なそぞろ歩きをする人たちで埋め尽くされる。このそぞろ歩きは、地方都市で見られるイタリアの習慣で、フォッジャでも街中の商店街通りを、ゆっくり歩く人たちでいっぱいだった。日本の地方都市では見られない風景であろう。
プ ー リ ア 州 マ ン ド フ レ ア の 牡 蠣 養 殖 場

中国人と間違えられところに、長身のMatteo Ciuffreda Ph.Dマッテオ・チュッフレーダ氏が車で来てくれた。39歳のフィレンツェ大学出身。マンフレドニアに18歳まで住んでいて、現在は水中生物の繁殖技術コンサルタントで、この地の牡蠣養殖プロジェクトのため、大学での研究を辞めた人物。

車はマツダ。あまり奇麗ではない。殆ど掃除しないのだろう。海岸を走っていくと、道路の上に箱型になった筒みたいな建造物がずっと続いている。これは何かときくと船からのベルトコンベアで、約2.5㎞もあるという。このベルトコンベアの突端にあたる船着き場に行くには、入り口で検問がある。一台ごと窓口に行き通行許可証にサインし、車のナンバーを書き入れる。これは外国からの密貿易と密入国監視のため。 

船着き場に着くと、沖合から船がこちらに向かってくるのが見える。あれに乗るのだという。そこで船用の支度、と言ってもコートを着るだけだが、準備して待っていると船が到着した。乗船するとマッテオ・チュッフレーダ氏が知的な雰囲気を漂わせながら、静かに話しだした。

約3年前から、漁業組合連合(Federcoopesca)の支援と指導のもと、プーリア州でカキ養殖事業を展開してきた。実際のカキ養殖の州認可を受けているのは、マンフレドニアの協同組合会社アルデバラン(Aldebaran)、レヴァンテ( Levante)、ルナ・ロッサ( Luna Rossa)そしてサンタ・ルチア( S. Lucia)の4グループである。養殖はマガキとヒラカキで、ヒラカキの方が規模は小さい。このグループの中で、アルデバラン協同組合会社は2年前から実際に生産活動に入っており、サンタ・ルチア協同組合会社が、牡蠣の管理・仕上げ・選別作業そしてその後の商業取引を行っている。

船が止まる。そこは牡蠣養殖海域であり、次の構造となっている。

構造: 5 列のロング・ライン(長いロープの列)
1列の長さ: 1000 m
ロープの固定: 6本の繋船柱
繋船柱間の距離: 200 m
繋船柱の目印: オレンジ色のブイ
列と列の距離: 100 m
水深: 9m~10 m

養殖法は、適度な大きさの繋船柱によって海底に固定され、ブイにより海面宙づりとなっている養殖用ロープのロング・ラインに、牡蠣が入っているナイロンのネット(ランタン・提灯形ネット)を水深1.5mから3mに配置している。

この海域は、特に貝類の生育に適しているが、そのことを証明するため、この海域の実際の栄養力を検証する調査を2005年から進めている。元々マンフレドニア工業港の北部に位置するエリアは、気候的・栄養的観点から良好な海域であって、10年以上前から、ムール貝の養殖施設が実現され、とても良い成果をあげている。この中で、牡蠣養殖に選定されたエリアは、マンフレドニアの居住地区の北西、海岸線から約2マイルに位置していて、水深約9m~10mの平らかつかなり安定した海底で、海岸に平行に広がっている。この海域は栄養状態がかなり良いことが特徴であり、そのため貝の成長の良さを保証することができる。

ガルガーノ山岳ゾーンがそびえるマンフレドニア湾の特有な形状は、植物性プランクトンの繁殖や海水の物理的条件(温度、塩度、pHなど)を最良に保つのに不可欠な要素である淡水の供給を保証し、今までに環境的問題が明らかになったことはない。

これまでの経緯は、1980年代の公式統計データによると、イタリアのヒラカキ養殖量は5000トンとなっているが、80年代末の生産量はゼロとなった。イタリアでは、今までムール貝とフィリピン原産のアサリの養殖が中心であって、EU諸国の中で牡蠣の輸入量が一位であるだけでなく、ムール貝・あさりの輸入量でも二位に位置しているように、イタリアは貝類の養殖が遅れている。この視点から、ここ数年の新しい養殖技術の導入によって、イタリアにおいても規模を大きくした量の牡蠣養殖活動を始めたのである。

マッテオ・チュッフレーダ氏の解説は船の上で資料なしにまだ続く。次はヨーロッパでの状況である。彼は今までお会いした牡蠣養殖関係者の中で、最も詳しい一人であるので、彼の語る内容で進めたい。通常、特にヨーロッパ市場においてカキは生きている生牡蠣が取引されている。その他では、殻に入ったまま冷凍されたもの、またはソースをからめて缶詰にしたものであるが、一般に加工されたものは少ない。

輸出に関しても生きている新鮮かつ冷蔵されたものが大部分を占め(全体の69.9% )、冷凍カキは全体の 17.7% 、残りが缶詰もしくは様々に加工されたものとなっている。イタリアではフランス市場と異なり、牡蠣の小売り関し、その大きさによって価格が変わることはない。フランスでは牡蠣の大きさが価格に反映する仕組みだが、イタリアでは通常、牡蠣の大きさは表示されず、また、個数(24個、36個など)よりも重さ(1キロ入り、3キロ入りなど)で取引されている。

さらに、質・ブランド・生産地の認証がないため、牡蠣はしばしば全くパッケージされることなく、ばら売りされている。なるほど、この実態はローマの市場やスーパーで確認したとおりである。

消費については4つのグループに分けることができる。
① 消費が高く、輸入している国・・・フランス・ベルギー
② 消費が高く、輸出を行っている国・・・フランス
③ 消費は低いが輸入している国・・・スペイン・イタリア
④ 消費が低く、輸出をしている国・・・ オランダ・アイルランド

このように北の国から南の国に輸出の流れがあり、重要な消費エリアは、ベルギー・フランス・スペイン・イタリアで、住民一人当たり年間3-6kgとなっている。この消費は季節によって大きく変化し、フランスの場合には、11月から1月に70パーセントの消費が集中している。フランスとフランス語圏の地方では、家庭内における消費は定着化しているが、生で食べる場合、牡蠣殻を開けるのに苦労することから、他の国々ではレストランで消費されることがほとんどである。

牡蠣は独自の特徴をもつ商品であり、質的なプロフィールによっても、カキは経験のある消費者や精通している人向けに限られた商品であるとされている。牡蠣に関する文化が存在し、大都市部だけでなく海岸地域沿いのエリアでもその評価の高いフランスを例外とし、牡蠣の消費は特に大都市に集中している。フランスの消費者は牡蠣の特徴を知っており、牡蠣の種類や味わいを理解することができる国民である。フランス市場での牡蠣市場の細分化、それは緻密な文化的な背景があるものだが、これは生産者にとっても強みであり、市場に異なるアプローチを行う等をすることで、様々な特定層向けに訴求し、結果としてブランド化を図り、商品価値を高め、価格についても安定したものを可能としている。

貝類の消費の大部分と同様、牡蠣の消費には季節的なリズムがあり、牡蠣の生理学的サイクルによってのみならず、消費者の習慣によっても変化する。消費の最も高い国であるフランスとベルギーにおいて、牡蠣の購入は魚屋・マルシェ・直売では38%、スーパーでは58%がクリスマス休暇の期間に集中している。更に、国によっては、野生のカキ漁を規制する法規定があることも考慮する必要がある。例えば、イギリスでは、ヨーロッパのヒラカキのストックを保護する目的で、この種のカキの販売を、この地域での繁殖の最盛期である5月14日から8月14日まで禁じている。

イタリアにおける魚介類購入は、生鮮品全体に対しレストランでは69%、家庭では52%を占めている。そのうち、家庭での貝類は購入した生鮮食品の 25%を占め、レストランの場合には、ピザ屋(pizzerie)の58.7%と高級レストランの42.4%の間、大体54%くらいだろう。イタリアでは、2003年から生鮮ものと自然解凍ものの家庭内消費は増加の傾向にあり、特に南部の州において牡蠣の消費に関してはより大きな変化が見られる。家庭外消費に関して見てみると牡蠣の購入量は、ピザ屋やホテルで消費された貝類のわずか2.5%、高級レストランでは4%を占めるにすぎないが、増加の傾向にある。

このように牡蠣の消費は地域によって異なる。実際、食の伝統および食文化によって魚介類の消費が高い南イタリアでは、牡蠣の消費は国内平均を上回っている。もっとも消費が低いのは、小売価格も非常に高いイタリア北東部である。

彼の話はさらに展開された。次は牡蠣養殖の歴史である。近代的な概念によるカキの養殖は、原生のOstrea edulis種を使ってフランスで17世紀に始まった。種貝は自然床から採取された後、大西洋海岸沿いに位置した養殖用の池に移され、そこで4-5年に成長させた。19世紀、商業取引の増大によっても活動を最大限に維持する必要性から、種貝の調達のために自然床が過度に侵されるという事態が発生した。養殖活動を維持するのに必要な種貝の供給量を増やすため、1850年から初めは古代ローマ人によりイタリアで取り入れられた技術をただ単に取り入れただけの、木管の使用を基礎としたヒラカキの種貝用の採取システムが活用され始めた。

1865年、アルカション(Arcachon)の流域において、稚貝を育てるために石灰で加工した瓦を使い始めた。1860年、ヒラカキの不足と市場の需要に対応するため、ポルトガル・ターゴ(Tago)川の河口からCrassostrea angulata 種(ポルトガル原産のカキ)のカキが輸入され、フランスの海岸にこの種が定着した。ヒラカキに関しては、現在でも理由は明らかではないが、1920から 22年大量に死に、フランスの幾つかの地域では、完全に外来種に取ってかわられたかに見えた。

ポルトガル原産の牡蠣は、後に起こった2つの出来事によって打撃を受けた。1966から69年Crassostrea angulata 種は「エラの病」と呼ばれる病気に侵され、1970から73年には過密状態または養殖場によっての過度の搾取によると思われる大量死亡現象が起こり、フランスの海岸からこの種は姿を消すこととなる。1967年、日本原産の真ガキ「Crassostrea gigas」 の種貝が初めて輸入され、1972年、イギリスからCrassostrea gigas 種の輸入が始まったことで、この新しい種類の養殖が始まった。日本のマガキ養殖は、現在フランスの大西洋岸沿いだけでなく、地中海沿岸でも広く普及しているが、その地域が海流の影響を受けるかどうかによって、異なった技術(海底、綱に宙づり、とボードに袋)が使われている。

極度に簡素化されたフランスのマガキ養殖場は、Arcachon 水域やMarennes-Oléron水域と呼ばれる地域で稚貝が収集され、 肥育のために特にノルマンディ地方南部や地中海に位置した生産用貯水地に移される。 約3年後、成長した牡蠣は、牡蠣養殖用の貯水池における清浄過程を経て市場に出されるが、さらに価値を高めようとして、再び、各地を移動させる養殖形態も行われている。現在、畜産学的・遺伝学的研究の結果に基づいた復活計画が進行中であるヒラカキについては、特にブルターニュ地方のQuiberon湾で稚貝の採集が行われている。肥育は水深の深いところで行われ、商業取引可能な大きさになるのに2から3年を要する。
なお、稚貝の供給に関しては、次の3つの方法がある:

1. 自然床で稚貝を法規に従って採集する
2. 自然床で採集、または養殖場から稚貝を取得する
3. 孵化所から稚貝を購入する

最後の3は、人工的三倍体による方法であるが、ヨーロッパの牡蠣養殖においてはまだ一般的ではない。理由は、孵化所から購入した稚貝は、自然の稚貝に比べコストが高いからである。

次は食べ方に入った。これは具体的でないと分からないので、今日船にあげたヒラカキをレストランに持ち込み料理してもらうことになった。そこで長い講義を終った船から降り、マッテオ・チュッフレーダ氏の親しいレストラン、Calafuriaに向かった。イタリアでの牡蠣の食べ方は基本的に生であるが、この地方ではパン粉につけてオリーブ油、ニンニクとパセリをみじん切りにしてオーブンで焼く料理として、Ostriche Gratinateグラティナーレがある。

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(マンフレドニアの裏通りの洗濯物)

ところで、マンフレドニアの裏通りは、家の前に洗濯物が干してある。道路上にも、窓からも洗濯物がたくさん並んでいる。洗濯物は南イタリアの独特の風景であると思いつつ、一つのレストランに入った。入ってテーブルに座ると、早速に料理が出てくる。まず、前菜はイカ、タコ、シラスをいろいろな形で料理したものがたくさん出てくる。彼が選んだワインは、白のバーリ地区のTERRA RICCA MURGIAムルージア、これは結構うまい。彼の見解ではヒラカキは後味がわさびと似ているし、このムルージアが一番合うと強調する。

グラティナーレ料理法は、伝統的にはオーブンで調理するが、蒸してからオーブンに入れる方法もあるという。この両方をレストランでしてくれたが、蒸した方が食べていて噛み具合が楽しめる。大量のヒラカキ料理を味わった後は、レモンのシャーベットである。これは魚を食べた後の定番とのこと。魚の後味を取り去って、次への肉料理に向かうためである。

次にコーヒーと食後酒、これはサクランボの自家製酒で、プーリアのサクランボで、これは思わずうまいと発言するほどである。これでもうお腹はいっぱいであるが、普通はこれからパスタを食べるのだとの解説に、急に日本に帰りたくなる。イタリア人と生活すると、こんなにたくさん食べることになるのだ。これは大変だと正直に思う。

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(Ostriche Gratinate グラティナーレ)

レストランで食事終え、彼がフオッジャ駅まで車で送ってくれることになった。親切であるが、先ほどから白ワインを一本空けている。当方はあまり飲めなく口だから、彼が殆ど飲んだのだ。だから、飲酒運転である。危険だが、こちらでは問題ないのだろうと考えなおして、汚い車に乗り込む。

車中では、突然に小説家の村上春樹の話になった。村上小説は、ノルウェーの森を友人からもらって読んでハマったのだと語りだす。料理の場面が多いのも関心あった。イタリア語で「素晴らしい国の終わり」というのが大好きで、カフカの海辺も読んだ。一般に西洋の作家は売るために書いているが、村上は日本ならではというものを書いていて、どこの国でも起きていることではなく、日本のことを書いているので外国人にとって学ぶこと多いという。

彼のこの評価は、他国で聞く村上作品の評価と少し異なる。他国では村上小説が場面は日本なのに身近な感じで受け取れる、というのが多いが、彼は異なる。だが、評価内容は別として、彼は村上を高く評価している。大江健三郎についても話題が出て、村上同様に高い評価である。

ところで、イタリアでは四種類のノルウェーの森が出版されていてそれぞれ中身が異なるという。日本語から英語に訳し、それからイタリア語に翻訳する場合と、日本語から直接イタリア語に訳した場合でニュアンスが異なるのと、訳者が違うと本の中身が異なるという意味である。日本でも同様な事があるのだろうと思う。

話は自分の哲学に入った。自分の生き方は「一歩下がって、できることだけする姿勢」「頂上に立つと終わり。頂上に行ってはいけないという意味だ」だとさり気なく語る。量を追うのでなく、質を求めたいということかと質問すると、その通りだと頷き、これはお祖父さんから教えてもらったと、しばしお祖父さんの話題になる。父母の事は話題に出てこないのが気になるが、祖父からは「今日できることは今日やってみること。それが成功のステップ」とも教えられたと、今は亡き祖父を慕っている思い出を語り続ける。趣味は碁、これは伯父さんから教えてもらって始めたが、今はインターネットで一人でしている。

このように彼との会話は、船の上からレストラン、送ってくれた車の中、すべて興味深い内容で、あっという間にフォッジャ駅に着き、再びローマに向かったが、マッテオ・チュッフレーダ氏の博学多才な見解と、説明力にイタリア人の底力を感じ、いろいろローマのレストラン事件ではイタリアをけなしたが、こういう若い世代が伸びて行くと、イタリアの未来は再び開くだろうと感じた次第である。

最後にイタリアに牡蠣養殖場があるということを、ローマ市内のレストランからの情報で知ったのだが、その内容を紹介してイタリアを終わりたい。

「牡蠣、地中海最大の養殖場はイタリアにあるマンフレドニア、その生産物で市場を獲得しつつある養殖場 ローマ 発(2008年7月21日)

牡蠣とシャンパン、この組み合わせはもはやフランスだけのものではないようで、今やイタリアがその常識を打ち破ることになるかもしれない。おそらくフランス北部および南部の海岸地帯にある若い牡蠣の養殖に大打撃を与えている不可解な病気も加担して、イタリアに「Ostrea Edulis」 がやってきた。イタリアの原生種で、プーリア州から水産市場を獲得しつつあり、秋にはフランスでデビューする、フランスの牡蠣に引けを取らないものである。地中海で最大の養殖場はマンフレドニアにあり、イタリア産の貝類を商業取引している、唯一のものである。

2008年3月に販売が開始された。イタリアが牡蠣の約90%を輸入しているフランスにおいて、病気がフランスの養殖場に40%から100%の打撃を与えていることから、これは絶妙のタイミングと言えよう。ポルトガルから輸入されたフランス種「Cassostrea Gigas」に比べ、イタリア産の牡蠣は上部の殻が平たく鱗が多い。貝肉はやや薄く、脂肪分が少ない。味については、イタリア産スパークリングワインと組み合わされることを知っているだけで良い、「Vinitaly 2008」に登場した。「Federcoopesca-Confcooperative 」に加盟するプーリアの養殖場は2007年に設立された。 20列の構成となっており、それぞれ1000メートルである。現生産能力は120トン、いずれは1000トンになる。小売価格は1キロ当たり7-14ユーロで、推奨される消費期間は9月から4月である。養殖はプーリア海岸の自然床で生後数週間の牡蠣を採取することから始まり、選別された後、更に大きさごとの分別が行われ、商業取引が可能な大きさになるまでの1年間、養殖される。養殖には、ブイによって3メートルの深さに保たれた横木に取り付けた10段の網かごを使う方法を用いる。

フランスの養殖に比べると、水温が高いこと、成長を減速させる潮流の影響を受けないことから、成長速度が非常に速い。そこに目を付けたフランス人たちは、一年の全期間おける需要を満足させることができるよう、マンフレドニアの牡蠣を輸入するということで養殖場と合意を図った。フランスのアルプス以北の市場が関心を寄せているようである。

最後の追加であるが、マッテオ・チュッフレーダ氏の夢は「ローマのテルミネ駅内にマンドフレア牡蠣の直営店を展開すること」である。多分、これは近いうちに実現するであろうと思う。その時を楽しみに再びローマとマンフレドニアを訪れたいと思っている。