デンマーク編 第1回 コペンハーゲンについて

マルト水産・顧問
山本紀久雄

1. デンマークという国

デンマークは「豊かで」「もっとも住みやすく」「幸せな」国であるといわれている。
実際にはどうなのか。それを確認したくコペンハーゲンと、コペンハーゲンが位置するシェラン島から列車で四時間ほどのユラン島・ストルーアという町へ、そこからフェリーで渡ったヴェヌー島で体験した牡蠣事情を二回に分けてお伝えしたい。

まずはデンマーク全体の概要を把握したい。

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① 面積は約4.3万平方キロメートル(九州とほぼ同じ・除フェロー諸島及びグリーンランド)
② 人口は約560万人(2013年デンマーク統計局)
③ 首都はコペンハーゲン(人口は約70万人、首都圏の人口は約120万人)(2012年末)
④ 言語はデンマーク語
⑤ 宗教は福音ルーテル派(国教)

このデンマーク、今でこそ世界有数の豊かな国家となったが、これは一朝一夕でできたわけではない。19世紀初頭のデンマークは、経済的に破綻し、領土も喪失して、実際に「貧しく、小さな国」であった。
そこからデンマークの人々は立ち上がり、土地改良ほか、さまざまな改革と努力によって、今日の恵まれた国を築き上げてきたのである。
現在のデンマークは、米コロンビア大学地球研究所が調査し発表した世界各国「幸せな国」ランキングでトップを占めている(2013年9月)。(CNN)
上位10カ国は以下の通り。

1.デンマーク
2.ノルウェー
3.スイス
4.オランダ
5.スウェーデン
6.カナダ
7.フィンランド
8.オーストリア
9.アイスランド
10.オーストラリア

この他の主要国では、米国17位、英国22位、ドイツ26位、日本43位。
幸福度が最も低い5カ国はルワンダ、ブルンジ、中央アフリカ、ベナン、トーゴと、アフリカのサハラ砂漠以南に集中している。

デンマークの政権は、2011年9月の総選挙によって、10年に亘り政権を担当してきた自由党及び保守党による右派連立政権が敗北し、社会民主党を中心とする左派が勝利を収め、トーニング=シュミット社会民主党党首を首班(デンマーク初の女性首相)とする中道左派三党連立内閣が発足している。通訳女性に聞くと、この政権は、移民には厳しく、自分の夫はデンマーク人だが、手続きが大変だったという。ただし、政権交代のたびに移民制度の内容が変わるので、今後のことは不明だが、今はEU以外の国からの移民は特に難しい。消費税は25%。同性婚は昨年認められた。有名な文学者はアンデルセン、哲学者はキルケゴール、スポーツでは自転車競技、ヨット、カヌー、ハンドボールが強いという。

コペンハーゲン
さて、コペンハーゲンには、ベルギーのブリュッセル空港からSASスカンジナビア航空で入ったのが2013年5月18日(土)。ブリュッセルでは雨が降り、寒くて震えたので、ここより緯度が高いコペンハーゲンだから、もっと寒いだろうと予測し国際空港のカストロップ空港に着き、窓から外を見ると日光が燦々として26度もあるという。 ホテルでコペンハーゲンの地図をもらい、早速、街中を歩いてみた。日差しが熱い。ホテルで聞くと、今日は特別だといい、明日は雨だよとつけ加える。 

コペンハーゲンには1990年であるから、今から23年前に来ていて、当時の思い出を辿って、市庁舎の前に立つと何か騒々しくなっているような感じがする。この市庁舎は1905年に完成した6代目にあたるもので、中世デンマーク様式と北イタリアのルネッサンス様式を取り入れた堂々たるたたずまいの建物。コペンハーゲンで最も高い105.6mの塔をもっており、コペンハーゲン市街を見渡すことのできる絶景スポットしても知られている。
だが、この街を一日半、歩いてみて、感じたのは「やはり変わっていない」ということ。最初に騒々しいと感じた理由は分かった。市庁舎前の広場がイベントを開催するらしく、多くの関係者が慌ただしく動いており、そのための資材がおかれていたことから、そのように感じたのである。

23年前、この街は、歩いて観光するにちょうどよい大きさだと思ったが、今回も同じ感覚を持つ。パリやニューヨークを歩いて動き回るのは厳しい。地下鉄やタクシーを使うことになるが、コペンハーゲンは地図を見ながらブラブラ歩くには絶好の街だと思う。コペンハーゲンの人口は52万人。名前はデンマーク語の"Kjøbmandehavn"(商人たちの港)に由来し、 日本語では「コペンハーゲン」というが、これはドイツ語名をカタカナ表記したものであり、デンマーク語では「ケブンハウン」に近い。

コペンハーゲンには、城、公共建物、美術館など歴史的な建造物がたくさんあるし、市役所前広場からストロイエ通り、この通りは市庁舎前広場とコンゲンス・ニュートーゥ広場を結ぶ通りであるが、フレデリクスバーウギャーゼ、ニューギャーゼ、ヴィメルスカフテ、エスターギャーゼの4つの通りで構成されている。ストロイエとはデンマーク語で歩くこと。市民や観光客の目を楽しませてくれるこの通りは、その名にふさわしい歩行者天国。道の両側にはさまざまなショップやレストラン、カフェが並び、路地裏には、中世の香り漂う重厚な教会や色鮮やかな家屋が並んでおり、そぞろ歩きが楽しい。

通りの中ほどにギネス・ワールド・オブ・レコーズ博物館 がある。入口に世界一の背高のっぽの人の像が目印だからすぐわかる。中に入らなかったが、ギネスブックに載っているさまざまな記録がひとめでわかる博物館である。ストロイエ通りの終点はコンゲンス・ニュートーゥで、ここに入ると自然にニューハンに足が向く。ここはいつも大勢の男女が屯っていて、天気の良い日は足元にビール瓶を置いて会話に興じている。その傍らを、そのビール瓶目当ての男女が袋を持って歩いている。結構の人数が徘徊していて、気をつけないとまだ飲み残しがあるビール瓶が浚われる恐れがある。空きビール瓶を売ってお金に替える仕事であるが、何となく侘しく見え、これだけはコペンハーゲンの街並みのよさを傷つけていると感じる。

次の日の日曜日は朝から雨。昨日より12度低い14度。コートがいる。その雨の中、ホテルから歩いて地下鉄駅へ。乗車券はセブンイレブンで買う。一人24デンマーク・クローネDkk、1 Dkk =18円換算で1430円。結構高い。人魚姫の像の駅、エスターボートにすぐに着く。駅から歩いて20分くらいかと、地図を広げていると親切にデンマーク人が教えてくれる。言われたように歩いて行き、公園内の道になったあたりから人が徐々に多くなっていき、その人々の回りをマラソンランナーが走っていく。今日はコペンハーゲンマラソンの日なのだ。モロッコの選手が2時間17分台で優勝したらしいが、一日中街中はマラソンで大賑わいであった。

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さて、期待の人魚姫は公園を過ぎて、少し下る坂道の突端埠頭近くの岩の上に楚々として腰かけている。今までに何回も首が切断されたりする事件が話題なっているが、「世界三大がっかり」と言われながらも、コペンハーゲンの人気観光スポットである。この人魚姫、足の先だけが魚らしくなっているだけで、ほとんど裸婦像と言ってもよいだろう。象をつくる際のモデルの足があまりにも綺麗だったので、作者が足をつくりたくなったのだというエピソードがうなずける。

人魚姫の撮影は結構難しい。理由の一つは、あまりにも観光客が多いことで、自分と人魚姫だけの写真を撮るには、タイミングが必要である。

人がカメラを構えていても、お構いなしに人魚姫の前に立ってしまう男女もいるし、特に激しいのは団体客である。バスで来て、時間が限られるためか、一斉にやってきて、争うように撮影しまくるので、その間は茫然と見ているだけ。

もうひとつの理由は、後ろは海、手前は岩場で足元が悪いうえに狭いので、うっかりすると足を踏み外す危険性もあるからだ。ここで怪我すると厄介だ。救急車を呼ぶにも、コペンハーゲンでの手続きが分からないだろうから、とにかく、人魚姫では慎重な行動が望ましい。ここで日本人女性一人旅に出会って、シヤッターを押してくれといわれた。ヨーロッパを歩いていると、時折、このような若き女性の一人旅に会うことがある。現在の境遇に飽き足らず、人生の転機を求めて結構長期の旅をしている女性が多い。場所を変えればある意味で転機になるだろうと思っているらしいが、結局、日本が一番住みやすいと気づき、戻っていく例が多いと思う。ここでロンドンのライフスタイル誌「モノクル」が毎年、世界の都市のどこがもっとも暮らししやすいかをランキングしているのでみてみよう。

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一位はやはりコペンハーゲンだ。編集長のタイラー・ブリュレが選定基準を次のように語る。「『本当に良い街』とは、一日の間にできる限り多くのことを気持ちよく体験させてくれる街のことだと、私は考えています。朝、子どもを学校に送り届け、買い物をし、仕事に出かける。そうしたことをスムーズにストレスなくできる街です」これに異論はないが、筆者はもう一つ加えたい。それは食である。素晴らしいレストランがあることが「よい街」の重要要件であると思う。

その素晴らしいレストランがコペンハーゲンに存在している。それがクリスチャンハウン地区の「ノーマnoma」レストランである。途中マラソンのため渋滞で、世界中で都市マラソンの人気が高いと再認識しつつようやく「ノーマ」店の前にたどり着いたそこは、予想通り静かな寂れた海岸倉庫街にあった。ここが、ここが世界でもっとも予約が取れないレストランといわれているところだ。

だが、今年の4月29日にロンドンで発表された「サンペレグリノ世界のベストレストラン50」、これは料理人や評論家ら900人の投票で選ぶものであるが、2013年はスペイン・カタルーニャのミシュラン3つ星「エル・セジェール・デ・カン・ロカ」が、3年連続で首位だった「ノーマ」を抑えて世界最高の栄冠を獲得したが、「ノーマ」の価値は下がっていない。

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nomaとはnordic(北欧)と、食材を意味するmadを組み合わせているように、北欧の食材をテーマにしており、地元出身のシェフ、レネ・レゼッピは、まだ36歳という若さ。予約が取れないのであるから、店に入れない、したがって、折角コペンハーゲンに行っても「ノーマ」を語れない。そこでデンマーク大使であった岡田眞樹氏の体験内容で補いたい。(魅惑のデンマーク 新評論)

「これまでに行ったレストランのなかでダントツに素晴らしかった店がここ。周りは察風景なところだ。夜のメニューは7皿のコース料理が標準だが、昼はその中から魚と肉とデザートの3品が選択できる。

2品だと220クローナ、3品だと290クローナとちょっと高めだがワインをグラス程度にしておけば3品注文しても400クローナ(約一万円)ぐらいでどうにかなる。座った途端に出てきた奇怪な料理に、まず驚かされた。ウェイターに聞いてみると、手前のものは干したタラの皮、右は揚げ物だが、飴色っぽい何かの魚を干したものでピリッと辛いスパイスがまぶしてある。ポテトチップ以外はすべて海産物、それも店の売り言葉のように『北欧の産品だ』と言う。この揚げ物、結構こくがあっておいしい。

次に出てきたのは、コース料理には含まれてはいない付き出し。これがまた奇妙というか、食べたことのないものだった。ライ麦パンと真ん中がクリーミーなチーズ、そしてライ麦の粉でつくった『スノー』だ。これが単なる粉ではなく、それこそサラサラした新鮮な雪を食べるような感触で、口の中でさくっと崩れて融ける感じともに冷たさがあった。クリーミーなチーズと一緒に食べると、口の中で融ける味わいは絶妙であった。

さて、ここからがようやくコースメニューとなる。・・・以下省略・・・『美味しい、美味しい』の連続で料理レポートとしては芸がないが、デンマークでこれまで食べた食事のなかではダントツに美味しかった。あくまでも軽く、淡泊で繊細なところに強い自己主張があり、日本人好み味と言える。店は『ノルディック・グルメ料理』を目指しているそうだが、その結果は、伝統的なデンマーク料理とは似ても似つかないものとなっている。何かの料理に似ているというよりは、まったく新しい方向を進んでいると思えるような品々であった」この岡田大使の記述を読んで感じるのは、レネ・レゼッピが目指しているのは「美食」というよりは、もっとほかの方向を目指しているように思う。
単純な「美味しい」を超えて、哲学的要素を含んだ最先端の料理を作り上げようとしているのだと判断したほうがよいと思う。

「サンペレグリノ世界のベストレストラン50」で日本勢は、東京南青山のフランス料理店「レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ」が12位、東京・六本木の「日本料理龍吟」が20位に選出された。いずれも去年の順位より10位以上上昇するなど、躍進しているが、「ノーマ」とはどのように異なるのか、それを試してみたい気持ちでいっぱいだ。
但し、ノロウィルスに関しては今でもあり、これはノーグッドラックNO Good Luckだと、人差し指と中指をクロスさせる。大量の稚貝が採れた1982年当時のウィスタブルでは、レストランが一軒しかなく、一般店舗も少なかった。その状況下で祭りを提案したのだが、その際に参考としたのはアイルランド・ゴールウェイの牡蠣祭りである。開催時期を、ネイティブ・オイスターを食べられない夏場の7月にした理由は、セント・ジェームズの日St James's Dayがあり、カンタベリー大聖堂が牡蠣シーズンの終わりに、漁師たちに感謝の意を述べ、子供たちが提灯行列するなどの催しが昔からあったので、それに合わせたのである。

はじめて開催した1985年、商工会議所が頑張ってくれ順調なスタートを切り、翌年はもっとうまく行った。その背景に商工会議所が店に働きかけ、店頭を祭りらしく華やかに飾り、店内も奇麗にした結果、大勢の人が来てくれ、現在のような盛大な催しになった。成功した要因に加えたいのは、商工会議所に優れたアイディアマンがいて、彼が頑張ってくれたことが大きく、仲間に恵まれたのだと頷く。

第2回 ヴェヌー島

デンマークは、米コロンビア大学地球研究所が調査し発表した世界各国「幸せな国」ランキングでトップを占め、ロンドンのライフスタイル誌「モノクル」が「住みやすい都市」で首都コペンハーゲンを第一位に位置付けた。世界各地を回っている筆者の主観的感覚基準で判断しても、この評価は「ほぼ妥当だ」と思っているが、もうひとつ付け加えたいのは「食べる」レベルの付加価値付けである。

コペンハーゲンの海沿いの倉庫街の静かな場所に、レストラン「ノーマ」がある。ここは2013年の「サンペレグリノ世界のベストレストラン50」では二位であったが、それまでの三年間はずっと首位を続け、今や世界一予約がとれないレストランという神話が確立しているが、これもコペンハーゲンの名を高めている要因に寄与している。

ところで、料理といえばフランス料理というのが今までの定説で、無形文化遺産にも登録されている。しかし「サンペレグリノ世界のベストレストラン50」を見ると、フランス勢は10位以内に一軒もなく、辛うじて16位にラルページュ、18位にル・シャトーブリアン(ともにパリ)がランクインするのみで、東京・南青山のフランス料理店「レ・クレアシヨン・ド・ナリサワ」の12位より下位であるから、フランス勢の凋落は目にあまりある。

フランス料理は「料理の中の料理だ」「フランス料理は文化だ」という、世界で一般的に認識されている美味礼讃評価から考えると、明らかに地盤沈下といえる。仮に1990年代ならば、確実にこのランキング過半数はフランス勢であったはず。何がこのような実態にさせたのか。フランスという国への評価が下がっているのか。又は、グローバル化した美食の世界に対応できていないのか。ミシュラン評価だけに安住していたのか。いずれこれを検討してみたいと思っている。

今日は、このノーマに平牡蠣、それも養殖でなく天然ものという貴重な産地であるヴェヌー島Venøに向かった。
日本で普通に食べている牡蠣はマガキであって、これは世界中どこでも同じである。つまり、日本をオリジンとするマガキが世界を制覇しているのであるが、この最大要因はフランスオリジンの平牡蠣が病気で生産が激減して、その代わりにマガキが各地の海に投入されたという背景がある。したがって、平牡蠣生産量は少なく、その分価格は高い上に、自然の状態で採れる平牡蠣漁場は殆どないと言っても過言でない。

その珍しい天然平牡蠣がノーマに納入されていて、それがユトランド半島のストルーアSTRUERという街から4㎞離れた、北フィヨルドに位置する全長7,5km、最大幅1,5km、面積645haという小さなヴェヌー島から届けられると聞いて訪問したのである。シェラン島に位置するコペンハーゲンを12:50発の列車で出発。約4時間かけてユトランド半島のストルーア駅に16:47に着き、そこで一泊し、翌日にヴェヌー島に行く予定であるが、その前に中央駅前でチボリ公園の入り口前のアンデルセンで昼食をとることにした。このアンデルセン、実は日本の広島の店である。コペンハーゲンに進出して既に3店オープンさせ、地元の評判も良い。味も問題なし。大したものだと思う。

中央駅のホーム、今日は祭日で田舎へ帰る人が多いのか、二等指定列車は満員。フランスやドイツの列車と違って、車両とホームに段差がないので、バック持つ身には助かる。ドイツでは大きなバックを持ったお年寄りが、周りを見回して助けを求めているのが通常風景であり、加えて、車両が指定された位置に停まらないのが普通であるが、デンマークは違う。さらに、車内の表示も分かりやすく、次の駅名が表示されるので問題ない。細かなところだがこういうところが国の住みやすさという点で評価を上げているはず。勿論、列車システムは日本が世界一であるが・・・。

乗車して座った椅子心地も問題ない。隣の席には、おばあさんの一人旅と、兄弟らしき子供。親はいなく二人だけ。動き出すとおばあさんが兄弟の面倒をみだした。サンドイッチを食べさせたりしている。子どもたちもおばあさんの面倒を気持ちよく受け入れているので、親族かと思って聞くと「違います」との答え。こういうところにもデンマークの調和された国家像が現れていると感じる。車中でコペンハーゲン在住の通訳日本人女性からいろいろ聞く。デンマーク人の平均月給は事務職で二万クローネDKK(18円換算で36万円)、マネージャークラスが5万DKK(90万円)だという。週37時間労働。ボーナスなし。国民性として無駄なものは買わない主義。想像するに、家の中は余分なモノが少ないと思う。

窓からみえる家並み、結構、線路わきにあって、原生林があまり見当たらないが、樹木の緑は深い。その中に菜種をとる黄色い花畑が広がっている。5月の今が一番美しい季節だという。しかし、冬は風が強く厳しい気候になる。風力発電の塔が多く、一軒家の屋根に太陽パネルが多く設置されている。景観としては南仏の方が色彩のクリアさで優って明るく整っている。やはりデンマークは実質的なところで評価されているのだと風景を見ながら感じる。この国の特産物は豚肉と乳製品と家具。北欧四カ国を比べてみると、デンマーク人は明るく、フィンランド人は冷たく、ノルウェーとスェーデンは酒が入ると大騒ぎするというのが評価である。

高校・大学への受験はない。全て学校の成績で決まるが、小学生まで成績表なし。先日、中国の子供とデンマークの子供の学力比較があり、上回ったのは英語だけで、これが国民全体でショック受けたらしい。4時間乗った列車からストルーア駅に降り街中に入ると、意外に煉瓦の家並みがそろってシックな街である。その街中を少し歩き、ヨットハーバー畔のレストランへ行く。ハーバーなので魚料理かと思ったが、肉が中心のメニューで、店内は雑然としていて、客を丁重に扱うとういう雰囲気ではない。だが、客がドンドン入ってくる。地元の人気のレストランということが分かる。

店内を仕切っている店主と思われる年配の女性に、前菜に小エビ、メインに牛肉とポテトと豆のひと皿盛り、それとツボルクビールをオーダーする。なかなか出てこない。ようやくビールが出てきたが、何とカールスバーグなので「ビールが違う」というと、年配店主は「同じようなものだ」という迫力ある一言。これにこの店の雰囲気が顕れていて、逆に好感を持つ。小エビと肉は美味い。追加で赤ワイングラス一杯飲んで、ホテルに戻り、もう一度街中を歩き確認してみると、なかなかおしゃれ感覚で小粋な通りが続いている。デンマークの田舎もバカにできないと感じる。日本にはこのようなしゃれたところは少ないのではないか。この町を見てデンマークのよさを改めて感じる。

翌日は海を渡って小さなヴェヌー島に向かうため、7:30に出発しようと車を手配したが、15分前に来る。デンマークの国民性は時間正確という。ドライバーが両手に大型バックを簡単に持ち運び、そのまま車に積み込む姿を見て、ここはバイキングの国だと実感する。体格が日本人と全く異なるのだ。ホテルから7分でフェリー波止場に着く。ここから対岸のヴェヌー島に渡るが、船に乗っている時間は3分にすぎない。乗った途端に着いたという感覚。これが20分間隔で行き来している。多分、日本では橋をつくってしまうだろう。

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ヴェヌー島は、人口は199人(2007年)、211家屋、この他に子供の学校アフタースクールEfterskoleに92人在籍している。このアフタースクールとは14歳から18歳の学生が1年、2年又は3年間過ごすことを選択できる独立した住宅学校で、デンマーク全体で260校ある。また、島のヴェヌー教会は、デンマーク最小の教会として有名である。

この島で取れるジャガイモ、ラム肉、ステーキ肉などは美味で、北フィヨルドの独特の自然に囲まれているため、アーティストが魅了され移り住んでいる。フェリー料金は車一台123 DKK (2214円)。島に上がると、松などの樹木の上部が風のために傾いている。島の風が強いことが分かる。わら葺屋根の家もある。フェリー波止場から約10分、本道から砂利道の側道に入り、少し走ると養殖場のオーナーの家に着く。

車の音が聞こえたのか、この寒い日にTシャツ一枚、ジーパン姿の長身男性、50歳は過ぎているだろう男性が出てくる。ここは自宅なので養殖場へ案内すると、自分の車、トヨタ車で走りだす。島全体が645haで、自分の所有は135haであるという。随分な大地主だ。5分もしないうちに停まる。ここが魚ファームだという。

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地主が叫ぶと、頭の禿げた中年男性が出てくる。この人物がここの責任者である。住まいは島でなく別のところから通っているが、祖父がここで牡蠣商売していたので、電車会社に勤めていたが、祖父を引き継いでここの経営にあたっている。従業員3名。ノーマに入れていることを確認すると笑顔で頷く。

この島は氷河時代からの考古学物があるので、相当昔から人が住んでいたと思われ、大体の島民は自給自足の生活だと言う。さて、牡蠣は平牡蠣だと自信たっぷりに語る。フィヨルドから成育した牡蠣を獲って来て、それを洗浄して出荷する方法。つまり、養殖ではないことを強調する。

実は、今まで平牡蠣を養殖しているところを視察はしたが、天然平牡蠣を海から獲って、それも世界一のレストランに納入しているところははじめてである。ここの海は深さ5m、干潮差は30cmから40cmと少ない。海水はEU基準のAでとても奇麗で清潔だと胸を張る。100年前は湖だったとも語る。牡蠣は漁師が底引き網でフィヨルドから獲ってここに持ってくる。

年間数量は10~12t。売上は20万ユーロ売上。個数で10万個くらい、一個の平均出荷価格は2ユーロ。結構高い値段だと思うし、これではノーマでも相当高いだろうと推定できる。一枚の書類を説明しだす。漁師がフィヨルドから獲ってきた船の認識番号、収穫グラム量、海底の場所、漁師の名前と登録番号などが書かれている。差し出された報告書は840kgとあり、この中の3kgを保管し、3kgを政府の検査機関に届け、バクテリアとサルモネラ菌などの検査をする。浄水槽の検査は毎週行って、藻の種類も細かく変化を調べる。

洗浄後の出荷明細も資料化していて、これが牡蠣の証明書ともなる。つまり、どこへ何個出荷したというトレサビリティを行っているのだ。
平牡蠣の大きさは四種類に分けている。

1は60から80g
2は80から100g
3は100gから120g
4は120g以上

実は、フィヨルドにはマガキも生息している。フランスから来た船の底についてきて、それが自然に育ったものだが、これは獲らないし歓迎していない。味が違うと強調する。水槽のある場所に行く。水槽は四つ。ここに漁師ごとの牡蠣に分けて洗浄するが、全て手作業で、5日間入れる。紫外線を当て、水を循環させ、全てコペンハーゲンに出荷。レストラン等では冷蔵庫や日が当らないところで保管、賞味期限は7日間。さて、1の牡蠣を食べてみる。価格は1.5ユーロで、この大きさが一番美味いというので。本当に美味い。塩水は辛いがそれほど厳しくなく、塩と甘みがミックスし、最後に舌へ残る鉄分の旨みが増してくる。見かけは身が硬いようだが実際に食するとやわらかい。やはり養殖ものとは違うのかと思う。

そこへ地元の新聞社が来て、取材中の写真を撮り「これでこの島の牡蠣も知られるだろうとつぶやく」。今まで誰も牡蠣の取材で訪れていないのだと思う。このヴェヌー島の平牡蠣は高いので、高所得階層か、大晦日と新年という特別の日に食べられるという。毎年、大晦日に女王陛下に贈呈しているが、陛下の主人であるフランス人から礼状が届く。食べる季節は9月から翌年6月まで。夏場は食べない。理由は量が少ないから。この島では、フィヨルド漁業使用券1年間200DKKを買えば、誰でも海底から獲れるという。ツーリストでも300DKK払えば大きな網で獲れる。このお金は年間4000万DKKとなって、漁業に関するものに使われる。同業企業は5~6社あるが、牡蠣よりはムール貝を中心にしている。

しかし、やはり養殖には興味があり、来年には養殖ものを出荷したく、今年から研究しているところだという。理由はいくつかあるが、最も大きいのは市場からの要望である。もっと数が欲しいということと、コペンハーゲン以外からも要望されている。それとここ数年寒さが続き、海が冷たく稚貝の育つ量が少ないので牡蠣生育も減っている等。その今年から本格的に始める牡蠣養殖方法。まず、親牡蠣から卵を産ませ、水槽の底にムール貝の殻を敷いて、そこに付着させ、それを外の池で育てる。池の水は沖合からくみ取り、不純物をとってから池に入れる。池は外であるから自然の温度管理状態であり、海と同じ状態となっている。

既に3年前からテスト展開しているが、一応、成功していていると判断している。外にある池には6月から10月まで入れ、稚貝が1cmから3cmになると、海の1.5km×500mに囲んだ海域に持っていき、この海で1年半、網篭に入れて海底から1m上から4mの上の海上まで網かごを重ねてつるす。数量は大体400万個から500万個くらいで、販売できる生育牡蠣になるのは100万個と推定している。

現状は夏場の牡蠣収穫量が少ないので、出荷していないが、基本的にデンマーク人は夏でも食べる習慣があるので、養殖によって今後は一年中出荷でき、従業員も3人増やす予定だと明るい希望を語る。向こうにもう一つ水槽があるので見に行くと「ヒラメ」が泳いでいる。これも養殖しているのである。生育すると3kgから20kgとなって、1kg=200dkk程度の高価格で売れるという。出荷量は年100tくらい。

コペンハーゲンから一泊で訪れたデンマークの片隅、ユトランド半島の北フィヨルドに位置する小さなヴェヌー島牡蠣が、デンマークの「幸せな国」ランキングでトップ、それとコペンハーゲンの「住みやすい都市」第一位、この位置付けに寄与していることを確認した牡蠣事情の旅であった。