中国 ~ そ の 1

中 国 ・ 上 海 ・ 台 湾

C_1_01.jpg
(浙江省・寧波近くの強 鎮(チャンチンチャン)の作業船)

今や中国が世界の注目の的、中国がマスコミに登場しない日はない。また、その中国でも上海は素晴らしい経済成長と、万博開催都市という背景もあって、世界から常に関心を持たれている。従って、上海の状況資料は各方面から語り伝えられ、提供されているが、結果として、多すぎる情報は、返って上海の実態をわからなくさせているのも事実だろう。

上海にはここ数年よく行く。牡蠣調査でも、そのほかの用事でも訪問し、その一環で何人かの上海女性にインタビューを行った。これらの女性を紹介することで、上海の印象を述べてみたい。

まずは、日本に対する感情である。よく中国人は反日感情が高いといわれる。2005年4月には上海の日本領事館に暴徒が押し寄せ、ガラス等を割られる被害が起きた。その上海であるから、一般の人々も反日感情が高いのではないかと、一応考えつつ何人かとお会いしてみたのが2008年3月の事。最初は20歳の女性。彼女が勤めている企業に伺った。高校卒業後、2010年の万博専門の専門学校を卒業し、今の仕事に就職。職務は秘書と言っていたが、従業員は本人だけの広告デザインベンチャービジネス企業で、オフィスは地下鉄三号線「宣山路駅」すぐの、元ビジネスホテルを改装し、小さな個人企業が多く入っているビルの一室。現在独身。今の希望は明確で、彼を見つけ恋愛し、彼ができたらしっかり化粧し、結婚し、家事をしっかりして、金持ちになって世界旅行したい。

お金持ちになるために、金持ちの彼を見つけるか、この仕事で頑張ってボーナス一杯貰ってお金貯めること、どちらかで金持ちになれるチャンスがあると思っている。趣味は音楽、インターネット、友人と食事すること。ジーパン姿の自然な感じの穏やかな女性。事務所に入ると、すぐに紙コップに熱いお茶を入れて待っていてくれ、帰りに向こうから握手してくる。全く反日でない。

次は、51歳で、住宅1700戸を管理しているグループリーダー。部下は七人いる。三年ごとに選挙で選ばれるが、既に7年勤務しているというベテラン女性。いろいろ伺って帰ろうとした時点での発言に、日本人とは生まれてはじめて話すので、最初は嫌だったが、話が終わった時点では、楽しい会話だったのでホッとしたと述べたことから推測すると、反日感情が若干あったのかと思う。

彼女の話で印象に残ったのは、中国人の多くは街中で大声上げて喧嘩しているが、自分はそのようなことはしたことがなく、今までの人生で怒ったことがなく、夫婦喧嘩もしなく、仕事でも話し合いで解決し、自己感情を調整できることが、今の仕事に就いている理由だと、自己分析し語ってくれたことである。というのも、今の仕事は毎日トラブルが持ち込まれる。泥棒が出た。家の中で喧嘩した。生活が出来ない。子どもの就職先がないなどキリなく言ってくる。それをさばく仕事で、管理している1700家族の人たち全員を記憶している。自分の仕事は回りと年上を幸せにすることだと思っているとの発言にも驚いたが、家の中は綺麗に片付いている。台所も綺麗。床は木でよく掃除されて光っている。
一般的に中国人は口が激しく、家の中は汚いと思っている人が多いが、それとはまったく異なる実態であった。

京劇指導者にも会った。54歳女性。アパートの二階に住んでいる。車が着くと階段の上から顔を出す。眼鏡をかけ、髪を後ろに束ねた化粧していない顔。京劇とは古典劇で、清代に北京で発生したもの。京は北京の意味で、僅かなお礼で指導している。家族は夫と息子24歳の3人。家の中は綺麗に片付いていて、床も光っていて清潔。文化大革命当時は医者であったが、追放され工場の守衛となった。文化大革命とは1965年から約10年間、毛沢東主導下で展開された政治・権力闘争。プロレタリア文化大革命、文革とも呼ばれる。50年代の大躍進政策をめぐる路線の対立がその胎動といわれる。「絶対に階級と階級闘争を忘れてはならない」という62年の毛沢東指示が出発点。劉少奇、鄧小平ら党内事件派の打倒が最大課題であった。76年の毛沢東の死と、四人組の逮捕により文革は実質的な終焉を迎えた。81年に公式に文革が否定された。時折、昔は忘れたが、つらいことがあったと、深い眼差しをする彼女は、文革後は医者に戻る気はなく、現在までに至っている。

日本人にははじめて会った。最初は少し抵抗があったとのことだったから、反日感情は持っていたかもしれないが、話していると何事もなく普通の人間同士と思った、と素直な感想をもらす。話せばわかりあえると感じた次第。

次は、典型的な上海29歳女性。典型的とはパジャマ姿で日常過ごす女性という意味である。アパートの最上階六階に住む。入ると中二階になっていて、中二階で風通しよくするための窓工事している。家の中はそのため汚れている。夫もいる。半そでシャツで工事人の監督をしている。夫の挨拶は日本語で、穏やかニコニコ丸顔。奥さんはパジャマ姿で、上にコート着ている。上海の女性はパジャマで一日中過ごし、客が来てもパジャマで、外をパジャマで歩く場合もある。その事実をここで確認した。部屋は二部屋と中二階があって、テレビはソニーの薄型大型。ソファも革張りで高いものなので聞くと、彼女の母が全て買ってくれたものだと発言する。

彼女は仕事をしていなく、外出するのは大学に行く時で、昼間は会計学、夜は経済学を学んでいる。大学での勉強は夫が会社を設立した場合、その会計を担当するため。
週に二三回は美容院に行きトリートメント受け、マッサージを時間かけてうけてリラックスする。趣味はカラオケで歌うこと、スポーツはバトミントン。将来の希望はもっと大きい家に住み、自宅に車庫があって運転手つきで生活することだと、気負いなく発言する。やはり、日本人と話すのははじめて。

夫とはインターネットのサイトで知り合って、すぐ翌日夫と会った。それから毎日夫の会社の前で17時に待っていた。残業の時は夫の車の中で待って一緒に帰った。よい人は絶対離さないという覚悟で行動して結婚したのだ。今は思い通りである。夫が何でもしてくれる。掃除、洗濯、食事。残業して帰ってきても食事を作ってくれる。今は最高で満足している。王女様の気持ちだと笑う。

実は、上海では男性が家事をするのが普通であり、これは中国の他都市と異なる。勿論、今まで訪れた世界の国々でもこういう実態はなかった。上海の女性は強いのである。もう一人強い上海女性。これは少子化の影響を感じさせる32歳の会社員女性で、浦東のアパート四階に住んでいる。上海のアパートは六階建てが多く、エレベーターは通常設備化されていない。部屋の広さは、日本でいう1DK。ここに夫と2人で住んでいるが子どもが1人いる。小学校二年生の娘だが、これは父母のところで生活している。歩いて五分のところである。

通常は、会社の帰りに父母の家で娘の勉強を見たり、夕食を一緒にし、これは夫も同じだが、それから自宅に帰る。朝食は外食。結局、家では食事を作らない。たまに夕食を家でする場合は夫が作り、掃除も夫で、家のことはすべて夫がする。自分は自分のことだけする。趣味はショッピング、食べること、スポーツはしない。お金を使うことはうまいといって笑う。

将来の夢は、大きな家を買いたい。今の家は母が買ってくれた。今の家でも2人なら十分で、交通も便利だが将来はもっと大きい家に住みたい。夫は日系企業に勤めていて、何でもしてくれる。だから今の生活に満足している。子どもは頭がよいので弁護士にさせたい。上海に住んで豊かさを享受できているので、今の生活状況がベストだ。ひと昔、ふた昔に生まれなくてよかった。唯一つの課題は娘の結婚相手のこと。一人っ子同士なので、よい相手が見つかるか。だが、それは遠い先のことだから、今はあまり心配なく生活をエンジョイしている。

上海人はお金がすべてだと思っている人が多いが、そうではない女性もいる。30歳の銀行勤務。上海は住所表示が大雑把で分かりにくい。何回も人に尋ね、ようやく訪ねる住居のアパート群の中に入っていくと、ジャンバー姿の姿勢のよい女性が犬を連れて散歩風に立っている。この人かな、と思って近づくと頷き、犬を連れて自宅前まで案内してくれる。とにかく姿勢がよく、身長があまり高くないがすらっと見える。三階の部屋に入ると、正面に大きな等身大の鏡がある。聞くと鏡が大好きでたくさん持っているとのこと。その理由を尋ねると、鏡でしか自分を見れなく、後は他人が自分を見るだけ。ということは自分を見つめようとしたら鏡しかないので、鏡に興味があり、たくさん持ち、よく鏡を見つめることをしているという。

多分、鏡を見つめることで、自分探ししているのではないかと、逆質問すると、そうかもしれないといいながら、本人が過去を語り出した。大学は映画を専門に勉強し、大学院でも同様で、映画プロデューサーになろうとしたが、上海の現実は問題があり、夢どおりにはならず、今は銀行に勤めている。クレジットカードの報告書などの業務で、大学で学んだことが役立っている程度だが、学校時代は成績優秀だった。趣味は幼い頃からバレーを踊っていたことと、中国古典楽器の演奏。旅行は自然のあるところに行くのが好き。外国にはまだ行っていないが、行きたいところは北欧。山と湖が好きだ。上海は人多く空気が悪いから。

将来の目標として特に大きな希望はなく、自分に素直に生きたいという。そこで、上海の人はお金持ちになりたいという希望が強いだろうと聞くと、そういう人が多いが、自分は違う。お金にはあまり関心がない。お金を求めていくと人生にひずみが出るだろう。お金を持ちたい人はそれでよい。そういう人にお金は譲る。自分は自分の気持ちに素直に生きたいのだ。仮にそれによって問題が起きても、それでよいのだ。自分の人生は自分が生きるのだからという。

何か宗教を持っているかと聞くと、無宗教との答え。それぞれ価値観が異なる人が、それぞれ生きていくのが現在だといい、自分の生き方に対し、それは難しいという人と、共感する人もいる。皆それぞれでよいという。彼女の発言を聞いて、上海でもお金至上主義者だけでない人がいることがわかったが、考えてみれば当たり前で、中国人をひとつの見方で見てはいけないと思う。過去に出会った多くの中国人は、とにかく金々という人たちが多かった。また、中国人は儲けの為には何をしてもよい、という人ばかりのイメージだったが、これが少し変化した。さらに、反日感情もそれぞれ濃淡があって、ダイレクトに接してみれば、お互いが通じ合える感覚もあることも分かった。いずれにしても、上海のインタビューで発した女性たちの言葉を聞く限り、中国人も様々な人たちがいるという事実は確認できた。これは当たり前で、一つの感覚で一国全てを判断できないことを示している。

ここから牡蠣に入りたい。まず、古いデータで恐縮だが、世界の牡蠣生産国のベスト10を見てみたい。(マガキ2000年実績、出典FAO YEARBOOK 殻付:単位トン)
この順位は以下のとおりである。

1.中国 3,291,929
2.日本 221,252
3.韓国 207,943
4.フランス 133,500
5.米国 38,418
6.台湾 19,972
7.オーストラリア 7,292
8.カナダ 5,900
9.チリ 5,641
10.アイルランド 5,031

圧倒的に中国が他の国より多い。桁が異なる。このデータの出所は中国のどこからなのか、それがわからない。人口が多いのであるから当然だという見解もあるかもしれないが、このデータに対する疑問を持ちつつ、中国の牡蠣実態に入りたい。 

中国 ~ そ の 2

上 海

まず、最初は上海の魚介類市場である。訪れたのは2009年12月。

C_2_01.jpg
(銅川水産市場入り口)

銅川水産市場へ行ってみた。上海市中心部に程近い銅川路という通り、上海最大の海鮮・水産品卸売市場「銅川路水産市場」で、ここが「銅川水産市場」「滬西水産市場」「曹楊水産市場」という3つの市場になっている。この中でも「銅川水産市場」の規模は、市場面積6.3万㎡、店舗が1000店以上あるらしく、内外の高級海鮮水産品の集散地であるとともに、上海市内最大の蟹卸売市場として有名である。

ここ以外に上海東方国際水産センターがあるが、ここは上海市の中心から北東に車で40分程度の楊浦区軍工路で、上海市の都市計画により、銅川路水産市場はここへ2008年から徐々に移転をし始めている。銅川水産市場入り口で鮮魚と上海蟹が売られている。生牡蠣の大きなものがある。地元の牡蠣だという。一個3元。一元=15円換算で45円。一日60個から70個売れるという。ホタテもある。これは日本から輸入物。

干したなまこがある。1キロ4元(60円)というがこれはおかしいと、案内してくれた地元の人がいう。普通は一キロ7000円から12,000円する。北海道産は7~8万円もするらしい。干し牡蠣があった。大きなズタ袋に入ったままで。机の上に置かれた名刺を見ると「上海渤海 海味食品」とある。裏を見ると商品の写真と名前が印刷されている。

その名刺裏の牡蠣は、蠔と書かれている。これは好haoでめでたいという発音と同じ。これは福建省の発音。日本読みではゴウ、北京語ではホウ、また、干しはカンなので蠔干はホウカンと読む。後で触れる香港では広東語であるからホウシと発音する。中国では各地域で発音が異なる事例の一つである。

この牡蠣は広東省から来たといいながら、奥からカビの生えた干し牡蠣を出してくる。これは一キロ50元から100元という。大きさで決まるらしい。誰が買いに来るのか尋ねると、干牡蠣は個人客が多いという。冷凍牡蠣もあって、日本人がこの店に直接売りに来るという。密輸かもしれない。

次の鮮魚店に行くと牡蠣がある。どこから来たのか聞くと山東省からだという。一キロ40元。600円だ。次の干し牡蠣の店に行くと、店頭に牡蠣に似た貝があって、淡菜と書いてある。よく見るとイガイである。奥の方に干し牡蠣がある。一キロ80元。青島産という。買いに来る客は飲食店の人が多いという。店では料理の味付けに使うともいう。上海にオイスターバーはないのかと聞くと「ない」とのこと。

次の生牡蠣が置いてある店をのぞき、何処産だと尋ねると海南島からという。このように銅川水産市場内の店を回って、牡蠣の産地を尋ねると、店ごとに異なっている。この実態から、中国の多くの海岸に牡蠣が存在するのではないかと推測する。向こうに大型トラックが四台停まっていて、そこに人が群がっている。行ってみるとトラックの上から生きた魚を網ですくって下におろし、それを測って売っているのだ。海から採れた魚をトラックで運んできて、それを現売しているのだ。早くしろと後ろの男が叫ぶ。トラックの中の魚がなくなれば現売は終わりだから。買った人は海水を入れた箱ですぐに自分の店に戻る。それを売るのである。

昼食は市場内の店に入る。この店に入るところで上海蟹と牡蠣とアワビとヒラメを買い持ち込む。ところで、上海蟹の価格、一個100元(1500円)だと最初いう。とんでもない価格だと文句言い、買わないと言い、それを何回も言い合っているうちに、とうとう30元(450円)となる。日本人と思って高く売るつもりだったらしい。これでも地元の人の価格より高いのだろうと推測するが、上海の繁華街の店に行けばもっと高いだろうと自分を納得させ、料理された上海蟹を食べる。

ホテルに戻ってヤフーの通販価格を見ると、1尾660円、900円、1530円とグラム数によって異なっている。食べた蟹はこれより安かったが、いくらが適正価格かということは分からないのが現実だろう。上海牡蠣は世界的に有名である。地元の人から聞いた食べ方を紹介したい。上海蟹を選ぶ鉄則は、まず活きている蟹を探すことである。元気があるか、無いかは非常に重要で、間違っても死んでしまった蟹を食べてはいけない。それこそ食中毒の危険性がある。一部市場では、死んだ蟹をわざわざ格安で売っているが、これらには決して手を出さないように。 

蟹を選ぶ場合は、まず、蟹を裏返しにして起き上がることが出来るかどうかが目安にする。蟹の足が縄でむすばれていたら、切ってもらって確認するぐらいの気持ちで選びたい。また美味しい蟹は身もしっかりと詰まっているし、甲羅もごつい。ただ、一概に大きい蟹に味噌が詰まっているというわけではなく、腹部に畳み込まれている尾の部分を見るのが重要で、味噌が詰まっている蟹は尾の部分が若干盛り上がっている。

蟹を調理するときは。まず塩水に生きた蟹をしばらく泳がせておく。泥などを十分に吐かせる必要があるからだ。また、蟹には細かい毛が多く、歯ブラシをつかってしっかりとこすってとる作業を徹底させることだ。注意すべきは、白酒(パイチュウ)などに漬けた「酔っ払い蟹」は、なるべく食べないこと。上海蟹には、肺吸虫などの寄生虫が寄生している場合があり、飲用できる程度のアルコールではこれら寄生虫は完全に死なないからだ。そのため、熱湯でしっかりと煮沸することが大切で、蒸すよりもゆがく方がよく、ゆがく場合は20分から30分ぐらいじっくり時間をかけよう。

しかし、上海蟹には白酒(パイチュウ)が合うらしい。また、後で述べる中国の宴会はこの白酒である。度数は強くて、50度くらいある。白酒とは、中国の穀物を原料とする蒸留酒で、主原料から高粱酒(カオリャンチュウ、gāoliángjiǔ)とも、製法から焼酒(シャオチュウ、shāojiǔ)とも称される。 試しに一杯口にして、上海蟹を食べたが、確かにうまい。ちょうど訪問した時が上海蟹のシーズンであったのでラッキーだった。

上海蟹を食べた後に、カルフールスーパーに行ってみた。クリスマスで買い物客が多い。店前で電気自転車を1999元で販売している。これが上海に多い。街中で音立てずに走ってくる。結構速い速度で来るので危険だと思う。ところで、上海は空気がよくないのに、街にマスク姿は全くないことに驚きつつ、カルフールから上海書城という書店に入ってみた。大きな書店の中を歩いて行くと、村上春樹のコーナーが三階に広くある。ノルウェーの森と海辺のカフカ買って、レジに行くとまたもや驚く。

C_2_02.jpg
(村上春樹のコーナー)

ワゴンに本を溢れるほど載せた人が数人いる。ざっと数えてみて一つのワゴンに50冊はある。これをレジ打ちするのであるから、当然に時間がかかるが、それよりどうしてこんなに買うかである。図書館員なのかもしれないかなと思うが、図書館なら出版社から直接購入するだろう。するとやはり個人客か。クリスマスプレゼントか。それとも地方から出てきて、上海に行くので、知人友人から依頼されて買っているのか。そのような推測をしつつ待つが、レジにたどり着くには絶望的な時間が必要だと気づく。

別の階のレジに行き、ようやく支払いを済ますが、上海では興味深い事が多い。
次に第一食品商店、南京楼通りにある高級食品店に行く。野生特大湊菜と書いた牡蠣が売られている。干し牡蠣。大連産とあり青島で加工とある。500g78元。1170円。一キロだと2340円になる。

16時の店内は客であふれている。なまこを見てみると、特AA1級大連産500g9800元。147,000円。一キロだと30万円となる。すごく高い。これを買う中国人がいるということだろう。なまこは刺参と書く。なまこは世界の温帯から熱帯にかけた海域で獲れるが、その消費は殆ど中国という特殊性のある食品である。中国人はなまこは男を元気にさせるものだという神話、つまり、精力剤ということで食べられているらしいが、価格にはビックリである。

日本のリンゴもある。新世界が一個88元1275円。高い。噂に聞いていたがなるほどと思う。上海の街をウオッチングしていると、人もモノも多様で、一つの価値基準ではかれないと再び感じる。

翌日は車で浙江省の寧波まで走り、そこから強蛟鎮(チャンチンチャン)という昔風の海辺の小さな港町に行った。上海のホテルを出たのが8時半。途中、上海万博会場の上を通る高速道路を走り、一回だけドライブインで休憩し、着いたのは13時だから、4時間半かかった。距離は350㎞位。一回しか休憩しなかったのは、一か所しかドライブインがないからである。

高速道路を降りると、にこにこ顔の金持ち風の男が、新車のアウディ大型車で待っている。キティグッズを製造している会社の社長である。キティグッズはパリで人気がある。高級ブティックが軒を連ねているサントノーレ通りの、流行品を展示したトレンドショップがあって、そこにキティグッズがしっかりと並んでいるように、ここ数年、とても人気が出てきたサンリオキャラクターグッズである。それを製造しているのであるから儲かっているのだろう。顔が豊かに盛り上がっている。

ところで、この社長が突如登場したことには訳がある。中国は広くて民族も多様で、言葉も多様。公用語兼標準語は北京語であるが、地方に行くと北京語が通じない所もある。特に地元の人と話す場合は、その地の言葉が使えないと仕事にならない。そこで、北京語の人に案内してもらったのだが、この人物が浙江省では北京語は難しい、現地語の出来る人がいないと進まない、というわけで友人の金持社長と連絡取って高速道路を降りたところに来てもらったわけである。

ちょうど昼時、社長がしばし走って連れて行ってくれたところが、峡山海という海上のレストラン。ここまで行く途中の道、高速道路とはまったく異なる舗装されていない道である。これはまだまだ中国の公共工事は盛んにおこなわれるだろうし、そうすると経済成長は続くだろうと思う。

C_2_03.jpg
(木造筏上のレストラン)

レストランは木造筏の上に建物が乗っている。食べる魚類は、一室に集めてあり、そこで魚を選び、それを料理してもらい別室で食べるというスタイル。いろいろ選んだ。いいだこ、ほたて、地元産の見たことない貝、シャコ、とても小さい牡蠣。この牡蠣の名前を聞くが、地元では牡蠣としかいわないという。

ビールは大梁山口卑酒を飲み、次に生牡蠣が出てきたので白ワインを注文。牡蠣には白ワインと決めている。世界どこへ行っても牡蠣と白ワインはセットであるので。
持ってきたのはGRAND RAGON 21年葡萄とありRIESLINGである。白ワイン用の葡萄である。早速、一口飲む。味はうすく、さっぱりし過ぎて、コクがない。と表現するより、そのような味を述べる以前のワインである。はっきり言って未完成ワインという感じで、一口でやめる。

牡蠣は2㎝から4㎝位で小さい。味はコリっとしてよい。地元の人は生で食事前に食べるという。この海は水深13メートルくらいだと社長が教えてくれる。この海には原子力発電所が二年前にでき、海水温が6度上がったと養殖漁民が政府にクレーム付けているし、それと重金属もどこからか流れ出し、牡蠣に影響を与えて、牡蠣の育ち方が変わってしまったと、これも社長が解説してくれる。また、社長が秦の始皇帝によって不老長寿の薬を探しに日本に行った人物、徐福について解説してくれる。秦の始皇帝に徐福が「はるか東の海に蓬莱・方丈・瀛洲という三神山があって、仙人が住んでいるので不老不死の薬を求めに行きたいと申し出、莫大な資金を調達して出発した」ところがこの海域だという謂れだが、この話は日本でよく知られていて、青森県から鹿児島県に至るまで、日本各地に徐福に関する伝承が残されている。徐福ゆかりの地として、佐賀県佐賀市、和歌山県新宮市、鹿児島県いちき串木野市、山梨県富士吉田市、宮崎県延岡などが有名である。

食事を終えて、向こうの沖合に見える牡蠣養殖のブイが見えるところまで、ボートで向かった。沖合に元気で走り出したと思ったら、突然、エンジンの切る音と共に、ポートは停まる。何か事故かと思ったら、ガソリンが無くなったから給油するという。エンジンはYAMAHA製、世界のどこでもボートはYAMAHAのエンジンである。

さて、給油する方法を見ていると、ここでもビックリ仰天、自分の口でチューブからガソリンを吸い出してから、チューブをエンジンタンクに移すのである。大昔の日本もこうしていた人がいたと思いだす。ガソリンが給油されたポートは元気よく走り出す。牡蠣養殖地のブイのところに到着する。写真のようなはえ縄式養殖法である。

C_2_04.jpg
(強 鎮(チャンチンチャン)養殖場)
ボートで浜に戻って市場へ行った。市場ではおばあさんが牡蠣剥きしている。見るとタイヤについた牡蠣を剥きとって容器に入れている。小さい牡蠣である。どのくらいこの牡蠣剥きをしているのか尋ねると、そうだなぁ20年以上もしているとの答え。この牡蠣の名前は何かと尋ねてみたが、答えは牡蠣としか返ってこない。

市場ではタイヤでなく、板の棒状のものついている牡蠣を剥き、そこで売っている女性もいる。牡蠣以外にも様々な魚を売っている。小さな市場である。

中国 ~ そ の 3

中 国

中国の牡蠣養殖の実態はなかなかわからない。そこで、再び中国に出かけた。2010年3月である。今度は上海から中国東方航空で廈門アモイXIAMENに着き、翌朝9時に車で出発した。行先は福建省漳州市の海産物冷凍工場である。ちょうど土曜日のため工場は稼働していないが、清潔に掃除してあるのが印象に残った。

事務所で紅茶を入れてくれる。中国式の入れ方を見ていると、なるほどと思うことが多い。中国では紅茶(完全発酵茶)は、茶葉を酸化酵素の働きで完全に発酵させたお茶で、一般的に紅茶は、インドやセイロンのイメージが強いので、どうしてここで紅茶が出てくるかと疑問に思ったのだが、紅茶は中国・福建省で生産され始まったものだとの説明になるほどと思い、中国紅茶はタンニンが少ないため、ストレートで飲みやすく食事にも合うとの説明も加わる。話しながらも、お湯を茶器にドンドンかけ温める。かけたお湯は台の上に溜まって溢れるのではないかと心配していたら、お湯は片隅のホースで流されるようになっているので、余分な心配であった。しばらく温める作業をして、それから茶葉を蓋碗に入れ、そこにお湯を入れたので、これで茶杯に入れるのかと思ったら、また、入れたお湯を捨てる。当然に紅茶となっているのが捨てられるのである。これを何回かして、ようやく蓋碗の蓋を少しずらし、親指と中指で蓋碗のへりを持ち、人差し指で蓋を押さえ、蓋碗を持ち、そのまま茶海に茶を注ぎ、茶海から茶杯に入れるのである。

お茶の入れ方を述べているとキリがないので、これでやめるが、さすがにお茶の発祥地の入れ方はシステム的であると感じ入った次第。お茶を楽しんでいると、冷凍庫から冷凍牡蠣養殖とエビを出してきて見せてくれる。少し水分が多い冷凍牡蠣かと思うが、中国国内と台湾へ輸出している。台湾では小さい牡蠣が好まれるという。

この工場は従業員100人くらいで、地元の人が多く、給料は出来高制で一人1200元から3000元くらいなるという。このあたりではよい仕事かと思う。牡蠣養殖の一人当たり平均の養殖海域面積は、大体150畆、1畆は660㎡(200坪)だから約3万坪となる。牡蠣が多く獲れるのは5月から6月、販売単位は斤(じん)で、1㎏=2斤だから0.5㎏=1斤。1㎏が14元から10元くらいという。

牡蠣は中国では大衆的な食べ物になっている。料理の具として、海産物と一緒にするとか、スープに入れる。

そのような会話になったので、昼食に誘われる。街中のレストランに行こうという。道路に面したドアなしの店、仁和飯店と書いてある所に入ると、板台に食材が並び、水槽に魚がいて、オープンキッチンになっている。囲いがなく、調理しているのが見えるスタイルになっている。また、一応清潔である。食べるのは、別棟となっている裏の建物の二階、持ち込んだ冷凍牡蠣で、てんぷらと炒め物やいろいろ料理が出てくる。それをチンタオビールの缶で飲みながら食べるが、中華料理に必ずついてくるお茶がない。

ウェイトレスに催促すると、何と紙コップ一杯のお茶だけ持ってくる。ビックリする。今までの中華料理の常識が覆される。この地方では食事にお茶は出ないのである。これが中国なのだ。地方ごとに違う習慣を示している。中国の風土を表す言葉に「地大物博人多」がある。土地が広くて、物産が豊富で、人が多いという意味だが、各地で習慣が異なることも多いだろう。中国を一言で結論化するのは難しいと再び感じる。

食事を終えて、海辺に行く。一人の漁師の養殖海域である。痩せて色黒で脂だらけの歯をした男が、この海域の経営者だと紹介受ける。そこで牡蠣養殖について、いろいろ尋ねようとしたところ「自分は養殖を実際にしたことがないので分からない」と煙草を吸いながら向こうに行ってしまう。困ったなと思っていると、経営者が携帯電話で伝えたのだろう、沖合の養殖場から船がこちらに向かって動き出した。

船が見えるところまできてびっくり。これは船でない。筏だ。舳先がない平らな板敷きにエンジンがついているだけ。これで養殖現場に連れて行ってくれるというが、転覆の危険が高いので断る。牡蠣を沖合から持ってきたので見ると、ひもについた牡蠣が15㎝位の間隔で数個ごと固まって育っている。牡蠣はまだ小さい。5月になると大きくなるといい、6月になると台風が来るので引き揚げて、8月に種を陸上でとり、稚貝をひもにつけ、9月にポリエステルの板ブイの間にひもを通して養殖する。ブイとブイの間は100m。海中深くには入れない。海面に横に並べる方法。

この方法は「外海吊法」だという。海に平面式に並べる方法である。日本の垂下式でない。この方歩では収穫量が少ないのではないかと思う。この海域では、6年前まで昆布の養殖をしていて、牡蠣養殖に切りかえた。また、反対に、牡蠣養殖で昔は主力産地だった東山、ここから近いところらしいが、今はアワビの養殖に変わっているという。理由はアワビの方が儲かるとのこと。

そこで、アワビの種を養殖しているところに行ってみた。大きい水槽がいくつも並んでいる。大連から親アワビを買ってきて、種を育て売る商売である。随分景気が良いらしい。ここも始めて6年である。自宅兼事務所の応接間でお茶をごちそうになる。ここは鉄観茶であるが、入れ方は紅茶と同じ。ただし、お茶を入れる台が電気ヒーターとなっていて、冷めないようになっている。仏壇があるが、隣に福という字のお守りが反対に張ってある。福が逃げないようにとのことらしい。

壁には共産党幹部の顔が描かれたポスターがある。ここの経営者は共産党員だということが分かる。いろいろ雑談して、一時間経過したのでホテルに戻るというと、食事していけという。始めて日本人と話したので、歓迎したいといい、既に料理を注文したからといっているうちに、出前料理がオートバイで着く。それに加えて丸顔の奥さんの手料理が並ぶ。

飲み物は、まずビール、続いて出されたのが白酒の金門酒で、これは58度あるという。これをグラスに入れ乾杯となった。中国式は一緒に飲む相手を決めて、お互いが一気飲みするシステム。これは大変だ。白酒で一気飲みすると倒れる。なるべくビールを飲むことで勘弁してもらうが、しかし、相手が熱心に乾杯を要求してくるので、仕方なく少しずつ飲むが、そういう飲みかたはダメだとしつこく迫ってくる。

金門が空になると、次は茅台(マオタイ)酒が出てきた。貴州省の高粱(カオリャン、蜀黍)を主な原料とする蒸留酒だが、飲んだ後に強い芳香が残るもり。この酒は、毛沢東がリチャード・ニクソン大統領をもてなし、周恩来が田中角栄首相をこの酒で接待したことで有名であるが、アルコール度数が高いので大変である。

大分相手の中国人が酔ってきて、さらにしつこく乾杯を要求してくる。今度はお互い右腕を組み合わせて肩を寄せ合って飲む方法になって来た。その間にアワビの生きたものがそのまま出で来る。小さいが動いている。アワビのスープも出で来る。これは日本ではとても高くて食べられないもの。ここでしかない。贅沢だと思うが、何となく高級感が味わえない。シャコも生で出てくる。これはちょっと遠慮して茹でてもらう。これはうまいと思う。

ところで、中国人の家庭は台所が汚いというと思っていたが、勿論油を多く使うので床は油っぽい感じであるが、割合清潔である。奇麗に掃除されている。これは既に上海で訪問した家でも感じたことである。北京で訪問した家も同様であった。だが、ビールは飲み終えた缶を、そのまま床に捨てるだけなので、テーブルの周りはビール缶だらけになっていく。

宴会が終わったのは18時過ぎで、3時間以上続いたことになる。日本人と話すのが初めてだからと言って、大宴会をしてくれるのであるから、反日感情は薄いのではないかと、酔った頭で考えているうちにホテルに着いた。

しかし、ここでも牡蠣について実態が統計的に捉えられず困っていたところ、財団法人かき研究所から資料をいただいた。それが「中国におけるカキ養殖の現状と展望」(水産増殖54号2008年11月 著者 李 琪・森勝義)である。この内容をご紹介することで中国の全体的な状況にかえたい。

「中国沿岸には、およそ20種類のカキ類が生息し(Zhang and Lou 1956)、そのうちの近江ガキCrassotrea ariakensis、皺ガキCrassostrea Plicatula、マガキCrassostrea gigas、大連湾ガキCrassostrea talienwhanensisと僧帽ガキSaccostrea cucullataの5種類が主な養殖対象となっている。カキの貝殻が生息環境によって変化しやすいため、中国のカキ分類については長年から多くの争論がある。Zhang and Lou(1956)は沿岸岩礁に広く分布する小柄なカキを僧帽ガキと主張しているが、Zhao et al.(1982)は僧帽ガキと皺ガキが同種であると報告した。

近年、分子遺伝学的研究により、マガキと大連湾ガキが、また、皺ガキと近江ガキがそれぞれ同種である可能性が示唆されている(Yu et al.2003)。さらに最近、Wang et al.(2004)は形態学的および分子遺伝学的研究により、近江ガキ(従来のC.rivulalis)をC.ariakensisとC.hongkongnsisに分けることを提案している。

2002年における中国の海面養殖の総生産量は1212.8万tで、養殖面積は134万haであった。このうち貝類の生産量は殻付重量で965.2万トンで80%以上を占めている。その中で、カキ類の生産量は殻付重量(以下同じ)で362,6万トンで貝類全体の37.6%で、第1位である。(Table 1)。世界のカキ生産量は450万トンであり(FAO 2002)、中国の生産量は80%に達している」

この論文によると、当初疑問に感じた世界の牡蠣生産国のベスト10で(マガキ2000年実績、出典FAO YEARBOOK 殻付:単位トン)で中国が329万トンという数字をほぼ裏付けている。考えてみれば、渤海から海南島にいたる海岸線で牡蠣が養殖されているのであるから、こういうデータになるのかも知れない。ただし、牡蠣取材で世界各地を歩いた率直な実感からであるが、中国の生産量は他国と比較し、あまりにも多すぎるという気が正直にすることをつけ加えたい。

中 国 ~ そ の 4

香 港

ところで、世界の各地養殖場を訪れて、輸出をしているかどうかを聞いてみると、輸出先の地区は大体において香港という。中国に返還された香港では、世界の牡蠣がどのように食されているのか、それを探ってみることで中国編のまとめとすべく、2010年5月のゴールデンウィーク明けに香港を訪れた。

香港は1998年に、それまでの啓徳空港にかわってチェクラブコク赤鱲角国際空港がオープンした。到着してすぐに感じるのは世界中から訪れているという感じである。入国審査で並ぶ顔ぶれをみれば国際色が華やかである。空港で3月の中国で残した元を香港ドルに両替すると、渡した元より少し多くなって香港ドルが戻ってくる。元の方が為替レートが高いのである。1香港ドルは約13円となる。

香港で最初に向かったところはジャスコスーパーである。入り口に「吉之島」と書いてあって、これがジャスコの香港名。場所はHONG HOMホンハム駅から近いところで、周りには中所得階層が住むというマンションが沢山建っていて、日本人駐在員も多いという。ジャスコ店の中は活気がある。客が多い。地下の食品売り場に行くと、福島食品とあり、生牡蠣が売られている。店員ははっぴ姿で鉢巻的な手ぬぐい巻きをしている。

殻付き生牡蠣は、フランスのマガキが1個38ドル494円。ブロンが1個68ドル884円。南アフリカ産カキがある1個30ドル390円。オーストラリア牡蠣は1個30ドル390円。この売り場を見てなるほどと思う。今までフランスやオーストラリアで輸出先を聞くと香港という答えが多かった。やはりその通りと確認できた。

同行してくれた地元のガイドによると、有名ホテルの昼夕食バイキングでは、必ず生牡蠣があるという。生牡蠣が出されるところが一流なホテルの証明とのこと。ジャスコには広島産冷凍牡蠣もある。日本語で瀬戸内海産と書いてある。3L、159ドル2067円。身が大きい。冷凍アワビ・エビ・タラもある。北海道ホタテは1㎏199ドル2587円。

次に向かったのは日本の地方銀行香港支店である。知人がいるので挨拶に寄ったのだが、親切にスーパーの牡蠣価格を調べていてくれた。日系の高級スーパーのCitysuperの生牡蠣殻付き価格、ノルウェー産1個41ドル、アメリカ産1個32ドル、ナミビア産1個32ドル、日本産1個38ドル、フランス産1個30ドル、イギリス産1個42ドル、イタリア産1個28ドルと多彩な国である。やはり香港には世界中の牡蠣が輸出されていることが分かる。しかし、これが全量香港で消費されているかどうかは不明とのこと。中国本土や各地に再輸出されている可能性が大だというのが、銀行の知人の見解である。

香港の最初の夜は潮州料理に向かった。ご存知のように、広東省潮州市や汕頭市を中心に食べられている中華料理である。店名は潮州城。入ると日本人観光客ツアーが大勢いて食べている。ここでの潮州料理は、貝柱入りフカヒレスープ、野菜と鮑貝煮込み、ガチョウ肉の胡椒炒め、チャーハンと、牡蠣はお好み焼き、牡蠣入りオムレツ、牡蠣入りお粥である。全体的に淡泊な味付けであって、日本人に合う。最初に薬効のある工夫茶ゴンファーチャが小さな杯に出てくる。これをまず飲む。食後にも飲む。

さて、牡蠣のお好み焼きは、牡蠣がもちもちとして舌に味わいよく、これは牡蠣に合う料理方法だと感じる。そういえば兵庫県の備前市日生町では「カキオコ」という牡蠣のお好み焼きが人気らしい。カキオコを食べに来る人の増加で、地域の活性化図っているらしいと聞いたことがある。日本に戻ったら行ってみようと思う。

ところで、食事の際、地元の人から、広東語圏では、正月に牡蠣を縁起物として食べる習慣があると聞いた。概略の理解だが、それは以下のような内容である。「金持ちのことを富豪という。この豪は広東語では『ホウ』と発音する。この発音、イントネーションを正しく表記することができないが、牡蠣は蠔と書き、同じく『ホウ』と発音し、同じ発音だから牡蠣はお金持ちに通じるという前提がある。また、干し牡蠣は『蠔干』と書き『ホウシ』と発音する。また、『蠔豉』とも書き、これも『ホウシ』と発音する。これは『好市ホウシ』、つまり、景気が良いという言葉と同じ発音のため、牡蠣は縁起物となる。 蠔干・蠔豉は蒸す、炒め、焼く、それらを醤油や蜂蜜をたれとして食べる。

もう一つは甘蠔ガンホウと書く干し牡蠣もある。これは二三日干したもので中は乾燥していないもの。この甘は『ガン』は金の『ガン』と発音が通じるので、縁起が良いといわれている。そこでお目出度い正月に干し牡蠣を食べる習慣がある。

もう一つは『発財好市』がある。発財は『ファウチョイ』と発音し、これは髪菜という髪の毛のような細い昆布と発音が同じ、また、好市は蠔干と同じ発音なので、髪菜と干し牡蠣を食べると縁起が良いということになる。ということで香港では干し牡蠣が大量に正月に食される」

C_4_01.jpg
(屋台売り場の甘蠔)

このような説明を聞き、その後何人かの香港人に確認したが、正月の縁起物として牡蠣を食べる習慣があるということは確認できた。しかし、中国人の風習を完全な理解は難しいので、これ以上、その牡蠣は縁起物という論拠を正確には説明できないが、香港で干し牡蠣が正月中心に、多く食べられる背景について大体のところで理解いただきたい。

次の日は流浮山ラウファウサンLAU FAU SHANに向かった。ここは観光ガイドに掲載されていなく、外国人観光客は少ないところで、車で行くしかない不便な地区。九龍カオルーン中心地から40kmほどだが、渋滞での山道を通って一時間要した。后海港に面して、うも向こうに深圳市が見える。

今日は小雨である。車を降りて入り込んだ路地は、幅3メートル程度の狭いところで、両側は店が立ち並んでいる。屋根が軒から出ている店と、何もない店があるので、傘が必要だったり、途中でいらなくなったり、また、屋根があってもその間から雫がぽとぽと落ちてくるので、用心して傘をさして歩く。突き当たりは海になる。

路地の入口から海辺に出るまで、約200mはあるだろう。店は乾アワビや様々な貝の干したもの、スルメや魚介類の干物、名物である牡蠣のオイスターソース蠔油ホウヤウ、鮮魚を水槽で売っている店が数えると20軒以上、海鮮酒家というレストランが10軒以上、それと雑多な物品とお土産もあり、また、一口で食べられるようなお菓子や餅も売っていて、たったの200mだが随分楽しめる。甘蠔が生晒と書いて、半斤250gで85ドル1105円。改めて見るが、こういう牡蠣は日本にはない。

海の見える突端に立つと、ここは牡蠣剥き作業場らしいところであるが、既に夕方のため作業はしていない。向こうを見ると少しくらいが筏の列が横に長く並んでいる。また、そこへ行くため用の作業船が数隻浮かんでいる。福建省潮州で見た船とは全然違う。ちゃんと舳先があり船らしい形態をしている。さすがに香港と思う。牡蠣船の姿でその国の成長度合いが分かる。

ふと足元を見ると牡蠣殻がたくさん散らばって地面にある。また、その向こうには牡蠣殻が3mくらい積み上げてある。その牡蠣殻が随分大きい。中国で今まで見た中では最も大きい。中には15センチメートルを超すものもある。年数が4、5年経過していると思う。ここでは小さい牡蠣はないのか、とその疑問を持って夕食のレストランに行く。

入ったのは「海景海鮮酒家」、入ると店員がまだ食事をしている。早いのだ。店内を見ると芸能人と店の人たちと写真撮っているものが何枚も張ってある。それと牡蠣を引き上げている写真もある。吊り上げひもは1.3Mくらい。察するところ海は深くない。浅瀬で養殖しているのだ。しかし、牡蠣は大きい。播磨灘の牡蠣と同じくらいある。日本からの雑誌の取材記事も壁に貼ってある。

さて、先ほどまで店員が食事していたテーブルの上掛けを裏返しにして、そこに茶碗と箸と皿を並べる。座るとガイドが箸と茶碗とコップを熱いお茶で洗いだす。こうするのだというのでしてみたが、これは店の食器が不衛生なことを意味するのではないかと思うし、洗うのは店に失礼ではないかと思ったが、後で入ってきた別の客も同様のことをしているので、これは香港の昔からの習慣らしい。

さて、期待の料理は蜂蜜入りの焼き牡蠣、葱とニラと牡蠣の炒め物、カキフライである。それと海鮮スープ、野菜炒め、チャーハン。牡蠣は大きいが食べてみると周りの肉片が少し硬い。年数はやはり4、5年ものという店からの説明。年数がたつと周りが硬くなるのだ。味はまあまあ。入り口に客が手に魚介類の袋を持って入って来て、入口の箱に置く。鮮魚店で買ってきて料理してもらうのだ。鮑があったのでいくらかと聞くと1個70ドル、少し高いが蒸して食べる。味は今一つ。しかし柔らかい。日本で食べる鮑は固いもので大きい。中国の鮑は中型で柔らかい。これは潮州の鮑養殖の家で食べた時も柔らかった。

いつの間にか店は満席。二階にも客が上がっていく。表に出てみると、隣と前の店は客があまり入っていない。店主らしき男に聞くと既に31年間ここで営業しているという。偉いといい拍手してあげるとうれしそうに笑う。

どこに行っても繁盛している店と、それほどでもない店が混在している。いろいろ要因があるのだろう。

三日目は鯉魚門レイユームンへ行った。九龍中心地から20分くらいで着く。この地区の周りはマンション多く、この一角だけが海鮮類の店が立ち並び、港には魚船が数隻停泊している。たくさんの鮮魚が水槽の中にいる店が、軒並みに競っている中を、奥まで歩き、一番大きいと思われる「海徳花園酒家」に入る。入り口にジャーマニー歓迎と書いてあるように、ドイツ人グループが二組いる。15人と10人の団体旅行である。生きのよい伊勢海老を手に持って歓声あげて写真撮っていたグループだ。

この店では、蒸し牡蠣、揚げ牡蠣である。牡蠣は大きい。明らかに中国産でも日本産でもないことが分かる。アメリカ産だというので、アメリカのどこかと聞くが分からないという回答。どうもどこの場所で獲れたなどとは気にしないらしい。これだけの鮮魚を集めているのだから、世界中とのネットワークがあるのだろう。食の香港の位置づけが分かるような気がする。

牡蠣料理の次は、蒸し魚であるが、これは一食べても美味しい。特にたれが美味く、チャーハンやご飯にかけて食べると食が進む。二杯チャーハンを食べてしまう。まだ料理が出で来る。蒸し伊勢海老、シャコの塩焼き、葱と蟹の炒め物、海鮮スープ、フルーツがスイカ。これと青島ビール。このビールはうまい。

香港最後の夜は、九龍中心のネイザンロードから少し入ったところの「Island Seafood & Oyster Bar」へいく。レストランが立ち並ぶ一角にある。全面はブルーの濃い色で、海の雰囲気を出している。

C_4_02.jpg
(生牡蠣販売コーナー)

店内の生牡蠣が並んでするコーナー、ここは氷の中においてある。週末とかは20種類以上の生牡蠣があるらしいが、今日はウイークディーなので15種類程度。また、12個注文するとIrishアイルランド牡蠣が6個サービスとなる。そこで次のようにオーダーする。

Eld Inlet usアメリカ
Hammerslay usアメリカ
Tasmania austオーストラリア
Coffin Bay austオーストラリア
Scot Loch ukイギリス
Fine De Cancal frフランス
Marennes frフランス
Quiberon frフランス
Ancelin frフランス
Perle Blanc frフランス
Roumegous frフランス
Belon frフランス
Irish Gigas6個

と5カ国になる。これを見てジャスコの店頭と、世界各地の養殖場で聞いた内容を思い出す。やはり香港に輸出していることは事実だ。この最後の客との接点となるところに、世界中の多種類のカキが並ぶということ。それは香港の市場の特徴を示している。

C_4_03.jpg
(美味しい牡蠣が盛られて出される)

そこでウェイトレスにどうやって仕入れているのか聞いてみると、答えは「シークレット」の一言で、それ以上は笑顔のみ。英語が流暢な若い女性が、絶対に教えませんよという笑顔を続け、ウィンクする。ガードは固い。いずれ解明したいと思うが、今日は彼女の笑顔に負けた。彼女の名前は名札にZOEスイーとある。発音が難しいので漢字で書くようにというと、陳と書く。陳はZOEとは言わないが、漢字読み名と英語名で名前を使い分けているのだ。

さて、生牡蠣には白ワインである。陳さんと違うウェイトレスに推奨ワインは何かと聞くと、テーブル上のイタリア白ワインを薦める。しかし、これはやめて、フランスのムスカデを先ず飲んでみた。味はマイルド普通感覚である。物足りない。そこで、牡蠣にはシャブリという通説通りにする。ムスカデより1.5倍という価格だが、さすがにシャブリはうまい。冷えごろもよく、これはいけるとついワインが進む。

ところで、冷えごろということから気づいたことがある。牡蠣を食べ、ワインを口にし、その冷え頃感覚が舌に馴染んで合う、だが、何か違うような感じがしてならない。問題という意味でない。牡蠣の味もよく、各地の特性が微妙に異なり、それとシャブリが絶妙であるから何も言うことがないが、何か気になる。それは何か。どうしてかと思いつつ、すくそばの生牡蠣が並んでいるコーナーを見たとき、これかと気づいた。それは、牡蠣が氷の中に置かれている。同じ温度で管理されている状態ということである。

食べた牡蠣は、全部味わいが違うが、共通しているところがあることである。それは、冷たさが程良くなっているということ。つまり、全部の牡蠣が同じ温度に保たれているという、一つの基準値で牡蠣が提供されているということである。だから、牡蠣それぞれの味は異なるが、食べ終わった後の感覚は一定のティストとなる。

ところが、今まで養殖場で食べ続けてきた牡蠣は、その海そのものだった。海水も温度も牡蠣の種類も、その時の天候もすべて異なる。だから、それぞれの味がはっきりと明確に感じられたのだ。そこで、食べてみるとそこの土地と海の味わいが濃く表現されていたのだ。しかし、ここはオイスターバー、しっかり管理されている牡蠣である。美味いがそこには人間のコントロールが入っていた上での味である。ここが海の養殖場で食べる牡蠣との根本的な違いである。当方の舌は現場の海味に馴染み過ぎているのだ。そこでオイスターバーの牡蠣に違和感があったのだ。

オイスターバーは海の中にあるのでないから仕方ないし、鮮度管理から必要なことだが、養殖場で海の上で食べる牡蠣とは全く異なる。やはり、今まで回ってきた海の上に勝るものはない、本当に感じた国際都市香港のオイスターバーだった。

最後に印象に残ったのは、陳さんの自信たっぷり応対である。牡蠣は専門家だという風情、特に、ベロンを食べようとすると、それは味が混在してペロンの魅力が分からなくなるから、マガキを食べ終わってからにしなさいと、陳さんから命令調のサゼッションがあった。なるほどと頷き、そういう発言をするのであるから、相当の修業をしたのだろうと、この仕事についてどのくらいかと聞くと「6ヵ月です」には椅子から落ちそうになった。

6ヵ月でこれほど自信溢れた応対が可能なのか。一般的には無理と思うが、ここは香港であり可能なのだ。香港女性の強さを証明しているのだ。何事も強気で押してくるというタイプが多い。それがこの陳さんにも典型的に表れていると思う。いろいろな意味で素晴らしい香港の牡蠣食べ歩き経験だった。

中 国 ~ そ の 5

台 湾

C_5_01.jpg
(彰化県王功近くの道端での牡蠣剥き)

2010年2月、朝の6時、成田空港に向かうための京浜東北線の中、酔っ払いの若い男女がいる。女は外国人である。見苦しいがグローバル化はこういう景観も増えるということかと思う。

成田空港は混んでいる。JAL機内に入って座ると、客室乗務員があいさつに来る。美人だ。スタイルも抜群。名前を見ると台湾人とわかるが、日本語のアクセントが素晴らしい。もう一人も台湾人だが、この女性も日本語がうまい。名札を見なければ日本人と思うだろう。それほどこの台湾人女性は日本語がうまい。台湾の印象が良くなる。

台湾桃園国際空港でガイドしてもらう台湾男性と会う。傘を杖代わりに持って、ゆっくり歩く68歳。日本のコンピューター会社で働き、日本に通算20年住んだというが、台湾も高齢者が多く、高齢者も元気で仕事している実態が分かる。

空港で両替しなかったというと、では両替所に行きましようと、台北市内のビルの多い街中に行く。一階がTea Houseと火鍋店で、地下に降りていくところにMoney Exchangeの看板が出ている。そこへガイドが降りて行き、しばらく待つと戻ってきて3万円が10500元ですよと現金を渡される。一元が2,857円。今の相場は約3円だから問題はないが、驚いのは両替証票がないことだ。闇なのかと思う。人柄がよさそうなので証票ないことを追及しなかったが、この背景理由には美人客室乗務員による台湾への好感度が影響している。

空港から向かったのは「台北魚市場」。松山空港に近い中心地から北方向の台北市民族東路410巷2弄18號に所在する。

C_5_02.jpg
(台北魚市場入口)

ちょうど今は台湾の正月直前、入口がお祝の派手な赤色で飾られている。入口を入ったすぐ右側に冷凍専門店があったので入る。まず、眼につくのはホタテである。250gが250元750円。一元=3円として。冷凍牡蠣もある。澎湖蚵仔と表示。300gで180元。540円。蚵仔は牡蠣のことでオアと発音するが、加えて、パシフイックオイスターともマガキとも書いてある。製造は2009.11.4で、賞味期限は2010.11.3とある。正月に備えて冷凍海鮮物を買う客が結構いる。

次に「漁協館」へ行った。漁協経営のところ。入ると鮮魚が名前と価格がきちんと表示され、清潔感もある。一巡するが新鮮だと分かる。日本語のできるマネージャーに尋ねると、衛生についてはHACCP(Hazard Analysis and Critical Control Pointの頭文字をとったもので食品の衛生管理システムの国際標準)などの関連基準に合格しているといい、魚類は全て養殖業者や中央市場から仕入れているともいう。

勿論、牡蠣もある。まず、大生蠔ゴウ、台湾読みでは生蠔をスンハオという。これは南アフリカからの輸入物の大カキで海水の生簀に入れてある。温度は7から8度に維持しているという。一個140元。これは個人売りの価格で、レストランなどへの卸売りは一個90元とはっきり説明してくれる。大体卸の方が多いという。隣の生簀も輸入物のアワビ。黄金蟹と書かれた蟹がいる。大きい場合黄金というらしい。ボストンからの大きなエビもいる。

棚売り場には鮮蚵と表示された牡蠣が、ビニール一袋600gで120元360円とある。蚵の文字だけでも牡蠣を意味する。漁協館に隣接するのは「台北市第二果実野菜卸売市場」である。ここの魚屋の店頭には東石蚵が600g80元がビニールに入って売っている。240円だから安い。魚屋の隣が肉屋、その前が野菜と果物屋というより屋台的な店が、とにかくばらばらにたくさんある。

店頭で水餃子をつくって売っているところの隣りでは、カナダ産の大きな牡蠣が一個110元。これは30cmくらいまで大きくなると説明してくれた男の隣で、女が弁当立ったまま食べながら店番している。こういうところが台湾風かなと思う。台湾自生のホタテが一個150元で、見るからに自生という感じである。牡蠣をばら売りしている店もある。東石産で600g130元。足元のたらいに牡蠣がいっぱい入っている。また足元にビニール袋の牡蠣、3kgで600元が4袋あって、それを台に並べる。聞いてみると朝と昼に二回牡蠣が入荷するという。今でもたくさん残っているが夜には売れるという。食べ方はスープと鉄板焼き。一年中売っているが、夏はカナダ産の大きい牡蠣が入ってくる。台湾産は小さい。

C_5_03.jpg
(売り場の足下にも牡蠣がいっぱい)

この市場の上は住まいで五階建て。ガイドがグアバ二個買ってくれる。ガイドブックに「皮と小さな種も食べられる。しつこくない甘さ。脂っこい料理のあとに食べる習慣がある」とあり、食べ頃は8から9月ある。今あるのはおかしい。翌朝食べてみたがあまり味はしない。ふと見ると野良犬がいる。あちこちにいる。これに噛まれたら危ないので次に移動する。

次はカルフールスーパーに行く。家楽福と書く。五階建てで6階は駐車場。地下は二階、地下一階が食品で牡蠣がある。蚵とありビニール袋に入った600g159元。OYSTERとも書いてある。別の氷で囲ったボックス型の販売台に、東石鮮蚵「新鮮のおいしさ」と日本語で書かれているが、産地表示は台湾となっている。販売台に8袋あって、5日間の賞味期限とある。見ていると女性が手にとって検討している。三回ほど手にとっては見、また取っては見、しかし、結局買わない。

牛乳売り場に行ってみると、北海道という漢字が印字してある。勿論、台湾製である。とにかく日本産らしくすると消費者は信頼するらしく、日本語の表示が多い。中国産は信頼がないという意味である。

翌日は台湾新幹線で台中に向かった。台北駅に着いたのは8時。駅構内に入ってプラットホームに入ろうとしたが、入口に締め切りのロープが張ってある。8時15分になるとロープが外されたので乗車し、定刻8時30分に音もなく、揺れもなく出発した。日本みたいにマイクが騒々しくない。車両は日本の新幹線700系でグリーンの座席。台湾の新幹線は当初貿易摩擦解消の関係で独仏連合が受注し、駅や線路の工事を行った。だが、いざ車両の決定になった時、当時の総統李登輝の一言で日本製になったという。結果として営業開始から二年間はトラブルが続発したが、日本の指導で今は落ち着き、問題なく毎日走っている。台湾人の足となっているのを証明するように、途中駅で人の出入りが激しい。

台中に着いたのが9時27分。立派な駅だが、随分台中の町の中心部から離れている。これは台北を除いてすべての駅が同様で、新幹線に乗るためには車で相当走らないといけない。これが日本と決定的に違うところ。さて、改札口に現地で案内してくれる経営者が出迎えてくれた。まだ若い。後で聞くと44歳。体格がよい大男。この経営者のホンダ車で台中の街中に向かい、そこでもう一人の経営者と待ち合わせした。これから向かう牡蠣養殖場地域で生まれたという食材トレイをつくっている企業経営者である。 
台湾の牡蠣養殖地としては、彰化県王功港と嘉義県東石港が有名である。東石牡蠣は「台北市第二果実野菜卸売市場」でたくさん見た。しかし、台北で王功牡蠣は見なかった。その王功牡蠣養殖場へ向かうのである。台中から約60kmあるという。

王功は台湾西部の漁村で、王功蚵(牡蠣)が全省に有名。また、マングローブ林、水鳥、潮間帯のシオマネキ、ムツゴロウなどの海岸の風景が美しいことで知られ、最近では観光地として発展しようとしている地区だと、食材トレイ経営者が説明してくれる。
さらに、牡蠣料理もグルメたちの人気だともいい、牡蠣養殖場をテーマにした「海辺の女たち」という台湾映画でも知られている場所だともいう。この映画は原題蚵女Oyster Girl 1964年の台湾映画最初のカラー・シネマスコープ作品である。

物語は、「ある漁村では政府の推奨で牡蠣の養殖を行い、村の娘たちの多くが養殖事業に従事している。そんな娘たちのひとりに明るく健康な娘ランがいる。仕事場で人気者のランは漁船員の恋人チン・シュイとの将来を夢見ているが、そんな彼女がチンの子供を身ごもってしまう。チンはランの父親に彼女との結婚を申し込みに行くが、事情を知らない大酒飲みの父親は高額の結納金を要求し、そのためチンはお金を貯めるため遠洋漁業に志願する。彼の留守の間、ランに横恋慕する不良青年が彼女に言い寄るが、この不良青年を好きな娘が嫉妬のあまり養殖場でランに喧嘩を売った挙げ句、彼女の妊娠を村人たちに言いふらしたから大変。古いモラルに凝り固まった父親や村人たちに白い目で見られ、隣村にかくまってもらうラン。やがて牡蠣の養殖が豊漁とわかり、村をあげて喜びに湧くころ、ランは難産の末に男の子を出産する。そこにチンが遠洋航海から無事に戻り、恋人たちは晴れて一緒になる」というもの。

そのような話題で王功に行く一時間を過ごし、海近くの街道筋に入ると、牡蠣を剥いているおばさんがいる。車を停めて尋ねると、今朝獲った牡蠣だといい、一袋600g110元で、牡蠣剥き作業賃は一袋20元ともいう。客は地元の人や地元スーパーと観光客。
隣の店に「蚵仔炸」と書かれている。これは牡蠣の揚げたもの。天ぷらである。一個30元。90円。カキとイカを入れたもの二種類あって、粉は豆と米を混ぜたもの。いずれにしても牡蠣は小さい。マガキとは異なるのか。それとも種類が違うのか。今まで多くの牡蠣を見続けてきたが、世界のどことも違うような感じがしてならない。もしかしたらヨーロッパで絶滅したポルトガル牡蠣ではないかと推測するが、確かとは言えない。 いずれにしてもこの道路にはあちこちに牡蠣看板が出ているし、ここから海辺・港に行く間にも牡蠣の看板とレストランが多くある。牡蠣の名所なのだということが確認できる。車を「国園洪維身蚵仔炸漁港店」というレストランの駐車場に車を置く。ここが国指定の有名牡蠣専門レストランらしい。

C_5_04.jpg
(王巧牡蠣養殖場)

レストランから歩いて港へ、次に養殖場へ向かう。養殖場は広い。養殖方法は古い様式の平掛式で、地面に杭を立て養殖するスタイルである。日本では既に見られない方式で、海に胸まで入って牡蠣をとる。蟹獲りも同様。海に出る船は、強化プラスチックFRBのパイプ船。触ると軽くて中が空洞になっている。白鷺や丹頂鶴がくるらしい。白鷺はあちこちにいる。海底は黒っぽい土なので、海の色も黒い。港の一角に王功蚵芸文化館がある。入ると写真撮影禁止と表示されて、牡蠣貝殻で白鷺、丹頂鶴、人間などをつくって売っている。価格は500元以上する。高いので買わない。

海岸警備隊が警備している。大陸からの密入国と密貿易防止のためであり、これはのちほど述べる東石港でも同様だった。また、野良犬がたくさんいる。野良犬が飼い犬に吠えられ、噛みつかれ逃げていく。何かの姿を示すかのように。牡蠣養殖場の現場は見たが、海辺にいた養殖業者と思われる人達にいろいろ聞くが、皆忙しいのか、それとも敬遠されたのか、すっきり明快な回答が得られないまま、車を停めたレストランに戻る。
ここで名物の牡蠣料理食べるのである。伝統蚵仔料理は味が餅らしくもちもちする。蚵仔炸と香甜蚵仔酥料理、これは牡蠣の天ぷら、沙地炸蘆苟料理、これはアスパラの炒め物である。

料理の味はなかなか良いが、ハエがブンブンと多く、これが邪魔してゆっくり食べられない。久しぶりにハエの多いレストランを経験した。しかし、王功で見た牡蠣、あれは確かにポルトガル牡蠣だと思う。いずれ、文献で確認し、台湾の水産試験場の技術者に確認しようと思い、ホテルに戻った。

翌日は台中の街中を視察した。まず、そごうデパートに行く。18階建で立派な外観である。日本のデパートは絶不調だが、台湾は客が多い。ちょうど12時になったので、15階のレストラン街に行き焼きそば100元食べる。食べ終わってエレベーターに乗ったら、何とエレベーターガールが制服着て「いらっしゃいませ」と深々と頭を下げるではないか。それも若い美人女性。久しぶりに見る、日本では死滅した風景でビックリした。それとレストラン街で驚いたのは、てんぷら店が「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」という日本語で対応していること。当然に客は台湾人で、声を発している従業員も台湾人である。ここでも日本語を強調しているのだ。また、明日からの正月期間中は14階で「日本美食展」準備中とも看板に書いてある。日本が人気だと改めて分かる。

そごうを出て、高級スーパーCapitanへ行く。入ると魚売り場に日本人が立っていて「いらっしゃいませ」と声出している。壁に調理師免許の賞状がある。名前は赤平和彦とある。写真撮ろうとしたら「遠慮願います」と声掛けられる。どこかで見ていたのだ。絶妙のタイミングである。ここには冷凍の広島牡蠣がある。大粒である。明らかに台湾牡蠣とは異なる。広島牡蠣の説明に「大きい牡蠣。厳選した牡蠣。ミネラル分多い。海の天然ミルク」とあり、加えて、日本から空輸とあり、500g399元で3パックある。250gは220元。6パックある。

ホタテもある北海道産。250g420元。12パック。ホタテの北海道産500g798元。4パック。澎湖直送という牡蠣があり、9袋。300元あるがグラム数はなし。次に行ったのは地元の普通大型スーパー「大買家」。広い一階の中心スペースに魚売り場がある。台湾産という生牡蠣一袋36元。グラム数が書いていない。冷凍のホタテあり。1kg業務用マルハとある。285元。生干貝というホタテ500g169元がある。

街中ウオッチングを終えて、台中新幹線駅まで行く。時間があるので駅構内を歩くと、セブンイレブン・ロイヤルホスト・ヤマザキ・モスバーガーというように、日本の店が並んでいる。日本が受け入れられていることが証明される。

中 国 ~ そ の 6

台 湾

台湾へは2010年4月に再び訪問した。目的はポルトガル牡蠣ということの確認のためである。台北について、すぐに故宮博物館へ向かった。中に入ると中国人が大勢来ている。3階建ての内部は狭いが、展示物を見ると、さすがに中国は歴史が長いと感じる。このような偉大な文明を持っていたのかと改めて認識する。

ここで牡蠣の陶器を見つけた。唐(618年から907年)宗(960年から1127年)時代の蠔山青瓷碗である。牡蠣が描かれている。青瓷セイシとは磁器の一つ、うすい緑や藍色のうわぐすりをかけた焼きもので、Coladon bowl in a oyster shell 9th-13th。と牡蠣であることを示している。また、瓷器的傳播とあり、英語でThe Dissemination of Procelainとある。故宮博物館には以前にも来たことがあるが、牡蠣の陶器には気がつかなかった。

翌日、今回は新幹線で嘉義に向かい、現地で日本語を研究しているという男性にガイドをしてもらって、早速に雲嘉南濱海国家風景区に位置する東石牡蠣養殖場へ向かった。雲嘉南濱海国家風景区とは、台湾南西部雲林・嘉義・台南三県および台南市の沿海地区の国定公園。2003年に設立された。砂洲、潟湖などの湿地を特徴とするところ。11時に東石地区に着き、一軒の養殖業と思える家の前で、ガイドが大きな声で叫ぶと母子が出て来て、二人は単車に乗り、先導し、港に連れて行ってくれる。

ここが東石牡蠣養殖場で、台湾海峡に沿った海岸である。強化プラスチックFRBで造られた船は舳先を曲げて上げている。この船で養殖場に向かうのである。母がFRBの舳先に腰をおろし、息子がエンジンをかけ港を出始めたとき、突然、何かの操作が影響したのか、突然ピストン飛び出し、それに艪の棒が当たり、ポキンと真中から折れてしまった。艪が使えなくなって、これでは船は走れない。息子は、家に戻って父親を呼んでくると叫び、単車で母と一緒に走り去った。しばらく船の上で待っていると、今度は父親が息子と一緒で、手に艪を持っている。

再びエンジンをかけ出発。今度は父親の操縦であるが、足で艪を上手に動かし、結構スピード出して、波しぶきがズボンや背広に掛かる。おかげでずぶ濡れとなった。10分ほどの沖合の筏に停まる。筏は竹で組まれていている。竹は27本、それが三つに縛られ、それごとに牡蠣が2mくらいの長さでぶら下がっている。一本の竹に21個の牡蠣であるから合計567のひもで牡蠣養殖されている。牡蠣を引き上げてみると、牡蠣に海草が着いていない。これは韓国のトンヨンと大違いである。トンヨンはすごくついていた。海水の検査をしているのかを尋ねるが知らないとの答え。

C_6_01.jpg
(筏から牡蠣を引き上げる)

今の時期は食べるには季節外れ。まだ小さいが、出荷は4月後半からから始まるので、今はまだ小粒の牡蠣とのこと。牡蠣シーズンは4月から8月で9月は台風が来るので、養殖場は閉鎖となる。父親が所有する筏は8台で、家業として四代目。息子は五代目になる予定。この海域では200家族が養殖している。種を着けるのは10月で、すべて一年以内に出荷する。干潮差は結構あるらしいが、具体的データでは分からない。人の大きさよりは大きいという。牡蠣の出荷先はすべて仲買人で、小売りはしていない。家族で牡蠣剥きして届ける。価格は大体1kgで100元。牡蠣の種類を聞くと、牡蠣と答える。ポルトガルカキではないかと尋ねるが知らない。

ここでの牡蠣養殖期間を整理すると、すべて台風が基準になっていることが分かる。牡蠣を食べるのは4月から8月、9月は台風が来るので牡蠣業者は作業が中止、台風が去った10月から3月までは種付けから始まる養殖作業の期間。このようにすべては台風によってきまるので、牡蠣を食べるのは夏場ということになる。これが日本と大きく違うところだ。なるほどと思う。

ところで、ここで引き揚げた牡蠣を、ビニール袋に入れ持ち帰る。今日泊まる予定の台南市の何処かのレストランで料理してもらう目的で。泊る予定の台南市では、三越デパートに入った。食料品売り場に牡蠣があって、東石産とあり、価格は100g78元である。先ほどの父親の出荷額は1kgで100元だったから、三越はバカ高いということが分かる。ここは高級品を扱っているのだろう。店員の応対も日本式で素晴らしい。

夕食は、海鮮レストラン永上海産碳(たん)烤(こう)に行く。台南市の下町である。牡蠣を持ち込み、ガイドが紹興酒と屋台で買ってきた魚を煮込んだスープみたいなものも持ち込んで、牡蠣は料理してもらいたいと頼むのだから、最初に入ったホテル内の店では当然ながら断られ、そこでタクシーで向かったところがここである。ここで牡蠣の本を書いている訳を話して、台湾のガイドブックに掲載されている蚵仔煎オーアーチェンという料理を作ってもらう。ガイドブックに「小ぶりの牡蠣が入った屋台定番料理のオムレツ。甘辛のタレをかけて味わうもの」とある。

このように屋台の料理をつくってもらい、持ち込んだ紹興酒を温めてもらって、飲食したレストランだから、前面入口にはドアもなく、道路との境がよくわからない状態の店で、隣も道路の向こう側の店も同様の地区で、当然に、地元の人の集まるところだ。外国人は珍しいらしく向こうの客から声がかかる。向こうではウイスキーを飲んでいる。後ろのテーブルではビールだけ。紹興酒は台湾の人は飲まないのではないかと推測したくなるほどである。近くで爆竹が派手に鳴っている。支払いはカード出来ず現金のみ。

翌日はポルトガル牡蠣の確認に専門家に会いに行った。ようやく解明出来るだろうという期待を持って。到着したところは「行政院農業委員会水産試験所・海水繁養殖研究中心」である。車が停まると首にニコンカメラをかけた中年男性がにこにこしながら待っている。名刺交換する。牡蠣養殖研究者の戴仁祥氏である。TAI Jen-Hsing氏。ようやく台湾で専門家に会えた。よかった。

C_6_02.jpg
(牡蠣種場の海)

早速、すぐ近くの牡蠣種場の海に行く。そこはくい打ち式の横かけの養殖場である。種を牡蠣殻に付けてひもで横にかける方法である。この種場から台湾各地に出荷する。人工方法は行われていない。研究はしているが。種は8月15日前後一週間で採る。ひもの長さは海の深さで違うが、大体一つのひもに12個から18個付ける。

台湾の主な牡蠣養殖地は四か所。彰化県王功地区。嘉義県東石地区。台南地区。膨湖島。今までいろいろ牡蠣関係の人が雑多に言っていたが、専門家の見解でようやく整理された。また、台湾の牡蠣期間は4カ月でも1年でも出荷するという。海の条件によって異なるが、一般的には6カ月から12カ月まで。ただし、一つ同じなことは9月の台風シーズンで終わることである。台風で牡蠣は採取できないのでシーズンは終わる。これは東石で聞いたことでもあり、再び、なるほどと思う。

「行政院農業委員会水産試験所・海水繁養殖研究中心」のロビーに戻り、戴仁祥氏からレクチャーを受ける。まず、出荷データをもらう。2008年は34,514t。むき身で。この数字に驚く。日本も3万トン程度だから。金額は3,608,911,000元だからこれに3をかけると108億円になる。大きい。意外である。いろいろ聞いて最後に確認質問を行ったのは、台湾の牡蠣はポルトガル牡蠣かということ。この質問には「そうです。ポルトガル牡蠣です」と明言する。追加情報として、1941年の資料によると、台湾に牡蠣は14種類あったというが、今は一種類で、それはポルトガル牡蠣だということが3年くらい前の学会で決着がついたという。

仙台の牡蠣研究所の森所長のレポートにその経緯が書いてあるので、それで再確認するとよいとのアドバイスを受ける。森氏はこのセンターにも来たことがあり、戴仁祥氏も会っているとのこと。

ヨーロッパで絶滅したポルトガル牡蠣が何故に台湾に存在しているのか、という質問に対しては「台湾は占領され支配された歴史をもつので、その際に入ったのでは」という見解である。なお、台湾での牡蠣の食べ方は火を通して食べるのが普通なので、ノロウィルスの影響はあまりないという。日本は牡蠣のノロウィルスを気にし過ぎるのかも知れない。レクチャーが終って昼食に行く。戴仁祥氏はなかなか好感持てる人物である。穏やかで学究肌で、ジックリ回答してくれる。

昼食に台湾ビールを飲むが、戴仁祥氏は最初の乾杯でグッと一気に飲み干したので、これはアルコールに強いのかと思っていたところ、その後はコップに手をつけない。こちらは適当にコップにビールを注いで飲むが、戴仁祥氏は飲まない。その時、中国の宴会を思い出す。そうか、台湾でも一緒に飲む相手を決めて、お互いコップを目の前にして飲むのかと。そこで、戴仁祥氏に中国式をしてみると、コップを手にして飲み干す。これにもなるほどと思う。

これで台湾の牡蠣事情は終るが、最後に仙台のかき研究所の森所長のレポートをご紹介したい。台湾の牡蠣はポルトガル牡蠣であると推論している。レポートは「台湾澎湖のカキ養殖とその意義 かき研究所ニュースNO23.2009年6月号」である。「ポルトガルガキとマガキC.gigasの分類学的位置はしばしば論争の的になってきた。幼生の殻の形態、実験的なハイブリッド作製および酵素多型に関する電気泳動に基づいて、これら2種は同種異名であると考えられてきた。

しかし、近年、ミトコンドリアDNAとマイクロサテライトのデータに基づく幾つかの遺伝学的研究から、これら2種は極めて近縁ではあるが、遺伝的には異なることを示す証拠が出てきている。系統解析を行うと、両種はともに、まさしくアジアのCrassostreaの完系統の中に位置づけられ、このことはポルトガルガキがアジアからヨーロッパへ導入されたという仮説を支持している。そして、ポルトガルガキだけの純粋な集団が台湾に存在すること(Boudryら、1998)およびポルトガルガキとマガキとの推定混合集団が中国の北部海域で観察されること(Yuら、2003;Lapègueら、2004)が報告されている。したがって、ヨーロッパのポルトガルガキの起源はアジアにあると考えても間違いではなく、火の中でも台湾である可能性が非常に高いということになる」

やはり、台湾の牡蠣はポルトガルガキであると確認できた。以上で台湾の牡蠣事情を終えたい。