ブ ラ ジ ル ~ そ の 1
ブ ラ ジ ル と い う 国
今の世界でBRICsという言葉を知らない人はいないだろう。21世紀に入って、世界経済はBRICsに代表される新興国に牽引されて成長している。その代表国は中国でありブラジルであり、世界経済の中で確かな存在感を示し始めている。特にブラジルは、金融危機の傷が比較的浅く、国内景気は消費主導で底打ちし、豊富な天然資源と、年々向上する工業生産力に支えられ、日米欧や中韓などが進出を競っている国である。ブラジル市場を制するものが、世界の新興市場を制する、そんな時代が到来する可能性が高いのではないかということが、サンパウロの街を歩いていると実感できる。
加えて、ブラジル成長の背景に存在しているのは「2009年10月2日に開催された国際オリンピック委員会(IOC)第121回総会で、16年の五輪がリオデジャネイロで開催されることが決定。南米大陸初の開催で、ブラジルは14年のサッカー・ワールドカップ、16年五輪と大規模イベントの開催が続く。オリンピックによる経済効果は大きい」という相次ぐビックイベント開催である。しかし、ブラジルの過去の歴史を振り返ると、これらの経済成長実態について、一抹の不安を感じるのも事実だ。
過 去 の パ タ ー ン を 乗 り 越 え ら れ る か
今日に至るまでの経済には大きないくつもの変遷があった。第二次世界大戦後の1950年代以降、急速な経済発展を遂げ、1960年代後半から、毎年10%を超える成長率を見せ、ブラジルブーム、それは安い人件費で腕の良い熟練の労働者が得られることと、豊かな資源があることであるが、これによりアメリカやヨーロッパ、日本などの先進工業国からの直接投資による現地生産や合弁企業の設立も急増し、自動車生産や造船、製鉄では常に世界のトップ10を占める程の工業国となった。
だが、1950年代後半に当時のジュセリーノ・クビチェック大統領の号令下でスタートした首都ブラジリア建設の負担や、1970年代初頭のオイルショックなどで経済が破綻し、1970年代後半には経済が低迷し、同時に深刻な高インフレに悩まされるようになり、これ以降、1980年代にかけてクライスラーや石川島播磨(現・IHI)など多数の外国企業が引き上げ、先進国からの負債も増大した。
この間、ブラジルの通貨政策は悲劇的であった。まず、ポルトガルの植民地だった時代から統治国と同じ通貨単位レイス(Reis)を使用していたが、 1942年にクルゼイロ(Cruzeiro)に単位を変更してからは、激しいインフレーションへの対処の為、以下のようにデノミネーションを実施し、その度に通貨単位を変更した。(括弧内はデノミ率)。
• 1942年 レイスからクルゼイロに (1/1,000)
• 1967年 クルゼイロを新クルゼイロに (1/1,000)
• 1970年 新クルゼイロをクルゼイロに (名称のみ)
• 1986年 クルゼイロをクルザード(Cz$)に (1/1,000)
• 1989年 クルザードを新クルザードに (1/1,000)
• 1990年 新クルザードをクルゼイロ(Cr$)に (名称のみ)
• 1993年 クルゼイロをクルゼイロ・レアル(CR$)に (1/1,000)
• 1994年 クルゼイロ・レアルを現在のレアル(R$)に (1/2,750)
以上の通り激しい変遷を経て、現在のレアル導入も、当初は2,750クルゼイロ・レアル(CR$)を1レアルに換算したのであるが、この半端なレートは当時の対米ドルレートにより決定されたものである。この移行後は1レアル=1米ドルという固定相場制を導入したが、1998年11月から始まったレアルの大幅下落とIMFからの415億ドルの支援受入れ、1999年1月には固定相場制を維持できなくなり変動相場制に移行し、レアル安が続いていたが、現在(2010年1月)では1ドル=1.7レアルということであるから、現在のブラジル経済は好調なことを証明している。
もう一つの問題は、公衆衛生、教育などの公共サービスの水準が先進諸国に比べ低いことと、経済状態の復活を受け近年急速に改善されつつあるものの、いまだに貧富の格差が大きい状態や、沿岸部と大陸内部の経済的な地域格差は未だに改善されていないことである。だが、今回、この貧富や地域格差是正に牡蠣養殖が効果を上げている事例に接することができた。それも一人の日本人の活躍からである。
マ ン グ ロ ー ブ 群 生 地 で の 牡 蠣 養 殖
日本から長時間フライトでサンパウロに着いた足で、すぐに首都ブラジリアに向かった。中村矗(ひとし)氏に会うためである。中村氏は1944生れ、兵庫県明石市出身。大阪府立大学農学部大学院修士課程卒後、すぐに船でブラジルに渡り、現在はブラジルのNOVACAP(ブラジル新首都都市計画機構)の国家公務員で首都ブラジリアに在住している。中村氏は当初、パラナ州の州都クリチバ市役所勤務だった。クリチバは1960年代頃までは、あくまで地方都市の枠を出ない存在であったが、以後の環境政策的な成功も寄与して、商工業が発展し、ブラジルでも有数の富裕な都市となり、その躍進をもたらした環境都市計画が、世界中に知られるようになったが、この躍進に中村さんが大きく関わっていた。
その内容はクリチバの元市長ジャイメ・レルネルJaime Lerner著、翻訳を中村氏が担当した「都市の鍼治療」(丸善)に詳しく書かれているが、ジャイメ・レルネル氏が1995年にパラナ州知事に就任すると、今度は州の環境長官に着任し手腕を発揮した。中でも、クリチバから約80㎞海岸山脈を降りた熱帯地帯のパラナグァ湾、ここはマングロープの群生地であるが、その自然環境保護と、湾内の漁民生活とを共生させるための、新たなる牡蠣養殖政策を1996年から展開し、大きな成果を上げたことはブラジルでも知られている事実で、その活動内容をブラジリアで中村氏から直接お伺いしたわけである。さらに、この中村氏の活動が、他の地区にもヒントを与え、そこに中村氏のご子息と、クリチバに住む若者が関わっていることを知り、今度はブラジリアからクリチバに飛び、その若者に牡蠣養殖の現場を案内してもらうことになった。
(マングローブについて育つ牡蠣)
ブ ラ ジ ル ~ そ の 2
グ ァ ラ ツ バ 湾 に 自 生 す る 牡 蠣 (ネイティブカキ)
ホテルのロビー朝8時、マークスさん26歳が来る。クリチバ大学卒で、現在は同大学のGIA(Grupo Integrado de Aqüicultura e Estudos Ambientais 水産及び環境研究グループ)に所属し、クリチバから約120km南に行った海岸の街、パラナ州グァラツバ市GURATUBA、人口約3万人で、クーチマールCultimar計画を進めている。クーチマールとは、漁師たちの経済状態の向上を図るとともに、自然環境保護を目指し、地元の産業について、技術支援を進めているもので、スポンサーとして英国のHSBC金融グループなどが参画している。
そのひとつ、グァラツバ湾に自生する牡蠣(ネイティブカキ)、日本産のマガキとは明らかに異なる品種であるが、この牡蠣養殖支援を2005年からマークスさんのグループ六人が担当している。この六人は男女三組メンバーで、既に二組は結婚している。マークスさんのパートナーは日系三世の女性で、まだ結婚していないが許婚になっていると車内で語ってくれ、今までの経緯も教えてくれる。しっかりした若者だと思う。まず、2005年からの二年間は、地元の環境、どういう生活状態か、フィールド調査から始めた。文化も生活条件も違う人たちだ。わかったことは、その日暮らしであるということ。将来を考えない生活。そうならば安定したその日暮らしを確保させたいということにした。共同でグァラツバ市の市場で販売する、共同や個人のレストランを作る、それを高さ400Mの山の下にあるグァラツバ海岸村で始めのである。
ホテルでクーチマールの牡蠣養殖活動をインターネット検索すると「メンバーが関与した牡蠣養殖は、パラナ州の海岸にある次のオイスターレストラン、 オストラ・ビバで求められます。連絡先:ハミルトン(41)9982-4511 Eメール:tinhokirchner@hotmail.com 」と出でくる。他の店も紹介されているが、今日はマークスさんにこのハミルトンさんのところに案内してもらうことになったわけである。
(ハミルトンさんの牡蠣養殖場)
さて、クリチバからグァラツバ湾へ向かう道筋は、峠道を越す山道の間から時折海が眺められ、豊かな森林とともに美しい景観が連続している。ブラジルは緑多き土地だと、改めて納得する。グァラツバ市に着き、ハミルトンさんのところに行くため、舗装された海沿い道路から山側の横道に入ると、そこは泥道のガタガタ上り、周りは欝蒼としたジャングルとなり、ハバナが実っている。
しばらく走ってようやく車が止まったグァラツバ海岸のカバラクマラ地区、降りたところに看板がある。OSTRA VIVA(生牡蠣)、その下にCultivo de Ostras(養殖場)とあり、クーチマールとも書かれている。クーチマールが牡蠣の品質保証と水質検査を含め担当しているという証明である。これはさすがだと腕組み、うなずこうとした時、皮膚が露出している首筋と腕に、蚊のような虫が一斉に噛みついてきた。事前に日本から持参した虫除けスプレーで防御していたのだが、ブラジルのジャングルに生息する虫は強く、珍しい日本人が来たというので大歓迎を受けることになった。しかし、出迎えてくれた長身痩躯のハミルトンさん(35歳)はTシャツ、半ズボン、サンダル姿で、虫なんか何ともないという笑顔での歓迎である。虫と共生しているのだろう。因みに、日本に戻って一ヶ月経過したが、ようやくこの虫に噛まれたあとが消えかけたところである。医者に行ったが、どういう虫なのか、それを説明できないので、一般の虫さされ用の薬を塗ったのであるが、それでも一ヶ月という期間を要するほどの虫の強さであった。
さて、ここは自然との共生地区であり、環境保護地区となっていて、海辺には大量のマングローブが繁茂している。今までこれだけのマングローブ地域を見たことがない。マングローブは雨量、地形、潮流のサイクル、太陽光線、養分量などの影響が大きく、特に湾内や外海からの波の影響が少ない島地域に生え、熱帯気候で年間降雨量が1500mm以上の場所に多い植物であって、世界中のマングローブ地域面積は16万㌔㎡、その内2万5千㌔㎡がブラジルにあり、高さ20mにもなり、寿命は最高100年とも言われている。
また、マングローブ生息海域はプランクトン多く、木の根元や周りには多種類の昆虫、小魚、海老、カニ、貝が生息し、これらを食べ物とする魚や鳥が寄ってくる。さらに、マングローブ根が自然フィルターの役割を果たすため、一帯の水は綺麗で、グアァツバ湾内のマングローブ地域は、水の汚染度も殆どゼロに近い。そのような説明を受けながら、虫に食われつつハミルトンさんの養殖地の海辺まで歩くと、そこはマングロープに囲まれた入り海で、東南が外海とつながり、北西から川がいく筋も流れ込む、絶好の牡蠣養殖地となっている。素晴らしい景観を見回し、ふと、足もとのマングローブに付着した牡蠣を見ていると、虫に噛まれた痒みを一瞬忘れ、しばし言葉を失う。多分、マングローブが発生させるクリーンなマイナスイオンが、美しい景観と共にこちらの体を浄化しているのであろう、何とも言えない気持ちよさである。
ブ ラ ジ ル ~ そ の 3
マ ン グ ロ ー ブ に 自 然 に 着 く 牡 蠣
しかし、このような自然環境から育つ自生牡蠣を養殖しているのであるから、今日に至るまでは苦労の連続だったろうと、ハミルトンさんに問いかけると「その通りだ」と語り出す。ここで父親とジャングルを切り拓き、家を造り、海の中に自生している牡蠣を採って町の市場に持って行く生活をしていた。そのころは採りやすい場所から採取してので、次第に収穫が少なくなって困っていた時に、牡蠣は養殖ができると聞いた。1991年のことだった。いろいろ工夫して始め、育つことがわかって少しずつ増やしてきた。
マングローブに自然に着く牡蠣を5㎝以上になってから採り、それを海中に置かれたロングラン方式で育てる。1年から1.5年で成長する。殻の処理は海に戻したり、民芸品にして販売したり、道の砂利代わりにもする。根元にカニがいる。カニは12月からシーズンであるが牡蠣より安い。小魚がたくさん泳いでいる。干満差は2m半。雨が降ると塩分はゼロとなるという。この環境の牡蠣は美味いだろう。オーストラリアのタスマニアでも同様環境の養殖場を見た覚えがある。あそこの牡蠣は絶品だった。しかし、このように一人で頑張った養殖の牡蠣、市場に持ち込んでも、品質を信用されず、常に価格を叩かれ、儲けはほとんどなく、生活ができない状態に陥っていたところに、クーチマールプロジェクトが現れ、養殖方法についても指導を受け、定期的に海水と出荷する牡蠣の衛生状態を検査し、規格基準値を満たしているという「APR0UADO 牡蠣品質証明書」を発行してくれることになった。
この品質証明書は、普通は月1回、夏場は月2回、サルモネラ菌やいくつかの成分検査をして、それによって品質合格の証明書をクーチマール名で発行するものだが、これでようやく市場で品質の安全性と、牡蠣養殖が職業として認められることになり、結果として価格が安定、生活状態が向上した。まだ、ぜいたくはできないが、家具などの必要なものは買えるようになって、将来への希望が出てきたし、同業者全体がよくなったことで、地域全体が元気になって、社会の中での自分や家族が位置づけされたような気がしている。それまでは最下級階層だったから、本当にクーチマールプロジェクトのおかげだと、大きなアクションで、体から喜びを溢れさせ、こちらを真っ直ぐに見つめ、輝く眼差しで語ってくれ、是非、自分の牡蠣の味を試してもらいたい、これから自分のレストランに行こうという。そのレストラン、ジャングルの中に造ったドアなしの簡単なテーブルだけのものだが、座ると次から次へと生牡蠣、焼き牡蠣、魚料理が出てくる。ハミルトンさんの牡蠣の開け方は、マガキと同じ方法であり、開ける前にナイフで牡蠣を叩くと、その音で中身が充実しているかどうかがわかるといい、形が不ぞろいの牡蠣を次から次と開けてくれる。味わいは、フランスの平牡蠣に似ていて癖がなく美味い。何個も食べられる。貝柱が大きく肉厚である。日本人好みだとも思うし、口の中に残る感覚が素晴らしい。世界中の海で牡蠣を食べているが、多分、ベストスリーに入る味だと感じる。
このレストランの価格は、持ち帰り生牡蠣が一ダース8レアル(1レアル=54円換算で約430円)。ここで食べると生牡蠣一ダース16レアル(約860円)と高いが、牡蠣を開ける手間代が入るのだろう。焼き牡蠣は一ダース16レアル。料理はグラタンとかピリ辛オリーブ油のせで一ダース20レアル(約1000円)。生牡蠣を食べる際は、必ず白ワインと決めているので、ハミルトンさんにワインを要望すると「ここではお客さんがワインを持参するスタイルになっています」というすげない回答にがっかりしたが、可哀そうと思ったのか椰子のジュースが出てきた。ジーパンの中まで虫が侵入するのには参るが、ハミルトンさんの牡蠣を楽しんでいると、向こうから一人の日本人が軽快な足取りで現れた。この人物が、中村矗氏ご子息のミルトン・中村さんである。かつてサッカーJ1ヴィッセル神戸に入団テストを受けた程のスポーツマンだが、さすがに親の遺伝子か、クリチバのような都市では暮らせないと、グァラツバ湾に移り住み、今はグァラツバ市職員で環境行政を担当し、マークスさんと協力してハミルトンさんを助けている。
ミルトン・中村さん、マークスさんと一緒に出てくる牡蠣をお腹いっぱい食べて、支払いは100レアル(約5400円)。この価格、高いかどうかの判断は難しい。とにかく大量のマングローブが繁茂している海で育った牡蠣である。日本では食べられないし、虫に噛まれながらのジャングルレストランであるが、ハミルトンさんの貴重な体験話を聞けたし、マークスさんによる無償の車一日運転付きである。金額で図れない。
(ハミルトンさんのレストラン)
このハミルトンさんのところでの体験、21世紀に成長する新しいカタチを見たような気がする。それまでブラジルはBRICsの一角として、世界経済の中で存在感を示しているが、一方、貧富や地域格差が強い国というイメージだった。だが、中村矗氏のDNA受け継いだであろうミルトン・中村さんや、マークスさんが所属するクーチマールプロジェクトなどの活躍によって、今まで経済的に最下層階級にいたハミルトンさんのような人々を、生活ができるようにした民間政策が展開されている事実に接し、ブラジルレアル為替が昔は一ドル=4レアルだったものが、今では一ドル=1.7レアルとなっている背景が現場から理解できたような気がした。ブラジルは過去の経済変遷を乗り越えて、確かな成長を遂げると感じた次第である。
ブラジル ~ そ の 4
サ ン タ カ タ リ ー ナ 島 の 牡 蠣
ブラジルは広い。サンタカタリーナ州にあるフロリアノポリス空港に着いたのは23時過ぎ、タクシーで空港からホテルに向かい部屋に入りすぐに寝た。
翌朝の8時にジャイメ・フェルナンド・フェレイラ教授、LMM研究所(海の貝類研究所 LABORATORIO MOLUSCOS MARINHOS)サンタカタリーナ大学の機関の教授であるが、ロビーに来てくれた。54歳。この機関は貝類に関係した漁業の基本サポートを目指すために設立され、新技術、品質向上、生産量増加などを図るため適切な投資を行って、地元関係者と生産者との実体的な関係作りを続けてきて、今ではこのサンタカタリーナ地区を15年で国内最大の貝類生産地にした。ブラジルの牡蠣生産の90%をここで賄っている大牡蠣養殖地である。結果として、地元住民には新しい職と収入の確保、地方経済活性化、文化面でも充実、新しい環境世界をつくった。ここのような記載がLMM研究所パンフレットのまえがきにある。
車の中で教授から話聞く。サンタカタリーナ島はブラジル南部3州の真ん中に位置するサンタカタリーナ州の州都フロリアノポリスに位置し、市はサンタカタリーナ島と南米大陸の両側に広がっていて、その間は橋で結ばれている。ちょっとややこしいがサンタカタリーナ州のフロリアノポリス市のサンタカタリーナ島である。サンタカタリーナ島は、ブラジルでは一番人口の多い島。日本は島国で離島も多く人が多く住む島は珍しく無いが、ブラジルは大陸の国、その中では例外的な存在らしい。人口は約30万人、総面積436平方キロ、南北に細長く全長50キロ、幅20キロの縦長の島。大小合わせると100以上のビーチがあるという。島の北端から南端に至るまで道路はよく整備されており、車で1時間くらいで縦断できる。緯度は大体日本の沖縄くらいで、一年中「初夏」の気候で、その上、景観がよいので、観光客が多い。観光客の多くはブラジル国内とアルゼンチン、パラグアイなどの近隣諸国の人達であり、当然ながら日系人観光客はまれだという。
(サンタカタリーナ島の海)
しかし、日本食ブームはこの島にも押し寄せているとのこと。昼食を予定している湖の周りに6軒の日本食店があるし、自分の息子は22歳だが、大の日本ファンで、家で日本食をつくってよく食べる。話の内容から推測すると寿司らしいが、週三回くらい食べるという。教授は昔は日本食が嫌いだったが、今は息子の影響で好きになったと笑う。勿論、食べてみて美味いとも思うし、ブラジルの料理と全く異なるタイプだからと補足する。息子はマンガ・アニメも大好きという。また、この島はバス便が不便のため二人に一人は車を持っているといい、教授の家族は四人だが、全員別メーカーの車で、教授はトヨタ車で300万円以上したが、荷物を運ぶことが多いのでトヨタ車を選んだ。息子は現代だとまた笑う。
さて、ブラジル国内牡蠣の90%を要する産地のサンタカタリーナ島。教授の研究所では、この島の養殖者に牡蠣種を提供している。何故なら、この海は温暖すぎて牡蠣が卵を産まないからである。水温は冬場16度、夏場30度になる。牡蠣は大半がマガキであるが、ブラジルのネィテブの牡蠣の種も提供している。教授はムール貝と牡蠣が別の研究所だったものを、1996年に統一した以前からこの研究所にいる。いろいろ懇談していると、教授は15歳から働いていたので定年が近いのだと発言した。ブラジルは年齢でなく働いた年数で定年が決まるらしい。また、最近、定年制度が法令で変わったともいうが、その内容が不明としても、定年後は研究生活から離れて、釣りを楽しみたいとの発言に、このような専門家が第一線を引退するのは「もったいない」と伝えると、教授はあっさりと「もう研究は十分した」と発言する。当方も研究者の端くれ、年齢は教授よりかなり高いが、年ごとに研究は深まって、次から次へと課題が出てくるので、教授の発言には意外な感がするが、この件はこれ以上立ち入ることはやめる。
サンタカタリーナ島の生産量、2007年貝類11,412t、前年比103%。牡蠣は2006年3152t、2007年1158t、2008年2206t。06年から07年に急減したのはこの海が汚染の疑いで調べているという報道がなされ、実際には問題がなかったが、この風評被害で急減した。しかし、今は戻っている。牡蠣の出荷先はサンパウロが多いが、全国に出荷している。ブラジルでは一年中牡蠣が食べられる。牡蠣はOSTRASと書き、島での牡蠣養殖業者は大小合わせて80人(社)。牡蠣は衛生局が定めた基準で出荷される。例えばリオデジャネイロには氷詰めで飛行機、午前取れたものが午後にはレストランや店頭に並ぶようにしている。
車は急にカーブを切る。直線道路が途中で直角に曲がっている。理由はこの先が空軍基地のためで、これを迂回しながら走っていく途中の広大な原野を指さし、これは大学の土地だといい、農場の予定だが何もつくっていなく、ときおり実験場として使用している程度だという。さすがにブラジルは広いと感じる。このあたりから急に舗装なしのでこぼこ道となり、道は海岸寄りに入っていく。両側に連なる家並みを見ると、綺麗に整備され、豊かな感じである。教授に聞くと、この島の人たちは平均して豊かだという。それが各家の姿に表現されている。
養殖場近くになると、道にハバナがついた木、その向こうに小舟、またその先に牡蠣養殖のブイが見渡せる。これが熱帯ブラジル養殖場のイメージに適切だと思う。
養殖場に着く。ここは教授の教え子が経営しているところ。島の養殖場は全部が教授の指導下にあるのだろう。入口にLCMMと表示されている。これは研究所の種を養殖しているという証明である。教授の所属するのはLMM研究所であるが、ここにはLCMMとあり、Cが加わっている。表示されている看板の下に書かれた文字を確認すると、LABORATORIO CULTIVO MOLUSCOS MARINHOSとCULTIVOが入っている。CULTIVOとは「養殖」という意味なので、以前の研究所はこのような表示だったのだろう。
さて、牡蠣養殖は垂下式である。一本100mのレーンがブイに浮かんで、これが5mから25m間隔で並ぶ。大きいところは100本以上、小さいところで5本くらい。
牡蠣を出荷し、牡蠣加工工場は環境問題から島の反対側の外洋に面したところにあるという。この島では工場建設は許可されない。観光客が養殖地を回るボートツアーも盛んだという。養殖地では、ちょうど船から牡蠣を陸揚げしている。若者四人が手作業。ここではすべて手作業である。干満差は1m。少ない。海が富んでいるから、8か月で出荷状態になる。出荷するまでに四回牡蠣をかごから入れ替える。8cmから出荷できる。基準は長さより深さである。形の良さとは深さである。機械で回して形を整えることもしている。10月末から12月初めは卵が多い。観光客が多いのは春から夏にかけて。サンパウロのレストランは冬の出荷が多く、夏場は減る。
この海は潮の流れが強い。北から南へ。南から北へと激しく動くので牡蠣のヘドロは流されていく。大量に生産しないことを方針としている。量をコントロールして、需要に見合った生産にしている。出荷価格は1ダース2.8レアル(約150円)。レストランでは3.5から4だろうという(約190円から210円)。後で街中のフロリアノポリス市場で確認したら、1ダース4レアルであった。なお、この養殖場での直接販売は1ダース5レアル(約270円)。サンパウロのレストランでは1ダース12レアル(約650円)。この後昼食に行ったレストラン、観光客相手のところだが、生牡蠣1ダース16レアル(約860円)、蒸し牡蠣は1ダース15レアル(約810円)、グラタン牡蠣は1ダース22レアル(約1200円)と高くなる。食べてみると癖のなく美味いが、塩辛い。海水のままで洗っていないのだ。教授がこの海は塩分が多いと補足してくれる。
次にもう一軒の養殖場に行く。ここは従業員30名の大規模。4人の共同経営である。
生産方法は
① 1mmの牡蠣種を網箱に寝かせ一か月で1cmにする。
② 次に6段かごに入れて一段に1000個くらい、3cmにする。
③ 一段に200個入れて七段のかごで5cmにする。ここで大きさが異なる。
④ 次に6段一段かごに5ダース入れ、3ヶ月で7から8cmになる。
⑤ これを選別する。よいものは5ヶ月で出荷。平均7から8か月。大きさはベイビーが5から7cm、小が7cmから9cm、中が9cmから12cm、大が12cm以上
養殖場の広さは37ha。牡蠣よりムール貝の方が利益は高いという。一連の牡蠣養殖での死亡率は20%から50%あるというから、ロスが大変なのだろうと推測する。養殖場の視察を終え、教授の研究所に行くと、日本人の美人女性が車で通りかかった。モニカ続木教授と紹介受ける。日本水産大学出身で魚をここで研究して7年いるという。この研究所は大学が土地だけ提供し、後の運用は自分たちで努力。カナダ、ヨーロッパ、メキシコ、イタリア、アメリカなどの外国や企業からの援助で経営している。なかなかできないことであり、教授はご苦労されているだろう。この研究所から教授がいなくなると、大変なことになるのではないかなどと考えながら、サンタカタリーナ島を後にした。
今回のブラジル牡蠣実態、日本で多くの人から「ブラジルに牡蠣があるのですか?」という疑問が出された。当方も最初から熱帯国のブラジルに牡蠣は存在しないと思っていたが、調べてみると素晴らしい牡蠣が自生され、養殖され、研究されていることが分かった。
ブラジルは過去の経済危機を乗り越え、21世紀は世界経済の中心になる可能性を秘めている。そうなった時に、再度、ブラジルに行き、ハミルトンさんやLMM研究所を訪問してみたいと思っている。