フィリピン牡蠣事情 新種のマガキを求めて

フィリピンのカキ養殖の現況・・・その二

2.1 フィリピンのカキ養殖の立地条件

フィリピンの牡蠣養殖は現在各地で拡大をしています。現在の養殖場の数や面積などについてのデータは入手出来ませんでしたが、1988年の古いデータによると、当時、17州に1500-5000平方メートルの規模を持った約1300の養殖場があり、総面積は5キロ平方メートルに達していたという記録が残されています(Oyster,Commoditities Series,№.64,TLRC,1988)。

国連の食糧・農業機構(FAO)の資料によると1993年から2001年におけるフィリピンの牡蠣生産量は殻付き重量で年間1万トンから1万6千トンの間を推移していたが、2007年以降は2万トンを上回り最近では2万数千万トンを維持している。

カキ養殖の方法としては、一部には原始的な散布法(broadcasting method)も残されていると言われているが、大部分は,くい打ち法(stake method), 格子法(”水平棚”法)(lattice method)、垂下法(hanging method)が採られている。

フィリピンの牡蠣養殖の設置場所は、自然条件として強風や波浪から地形上守られた河口や内湾地域で、水質汚染が無く、干潮時でも水深1.5-4mほどあり、底質は礫などが移動しない岩礫底や砂泥底の地帯で、現地性の種の子貝(spats)が得られ、かつ重要な要件として消費地の人口集中地(都市など)から概ね100㎞以内となっている。

主要な牡蠣生産地は、マニラ首都圏(人口1186万人)の南部のカヴィテ州(Province of Cavite;人口300万人を超す)、ルソン島西北部のパンガシナン州(Province of Pangasinan; フィリピンで人口第4の州(240万人を超し、マニラ首都圏に輸送が可能) および フィリッピンで近代的なカキ養殖が1921年に開始されたハイニガラン(Hinigaran)周辺からをバコルド(Bacold)を含む西ネグロス州(Province of Negros Occidental、フィリピンで人口第3の州(250万人を超す)の3地域です。フィリピンではこれまで牡蠣の輸出記録がなく、地産地消が原則となっていますので、この3大産地は立地条件として養殖に適した内湾を持ち、かつ地域内とその周辺に消費人口の多いことによっていると言えます。

2.2 マニラ首都圏近郊のカヴィテ地区のカキ養殖(消費地の大都市に近接する大規模養殖場の実例)

10月20日(2014年)に前期で学位取得をした院生・学生の卒業式が行われ、21日より10日間の学期間休暇が始まったので、23日から25日の日程でメトロ・マニラ(Metro Manila)近郊のカヴィテ州のバコール湾(Bacoor Bay)のカキ養殖場の現地調査を行う申請書を学部事務に提出し出かけました。サンカルロス大学生物学部の規定では、外国籍の研究者がフィリピン国内を調査旅行する場合は、コーディネーター役の現地に詳しい研究者などと連絡を取り、計画を詰め、必ずフィリピン人の研究者あるいはそれに準ずる人を案内者に付けて(費用は調査者が負担する)行うことが義務づけられており、その実行計画表を事前に学部長並びに事務担当者に提出し了解のサインを得なければならないことになっている。

この規定は、セキュリティの上から、また英語を解せない現地の人々とのコミュニケ―ションを案内者の通訳を介し十分に行えるので調査をスムースに実行する上からも合理的で良い制度と認識しています。
今回はフィリピン国立博物館動物部門の学芸員コメンダドール氏(サンカルロス大学生物学部出身)に調査のコーディネーター役をお願いし、案内者を紹介してもらいました。

10月23日、マクタン・セブ国際空港9時5分発の国内線エアアジアZEST機はほぼ予定時刻の10時25分にニノイ・アキノ国際空港に着陸し、タクシーで フィリピン国立博物館に向かいました。折しも来春開かれるASEANサミットのため市内の交通網の改修工事が各地であり、その都度大渋滞にあい、予定時間を大幅に過ぎた12時20分にフィリピン国立博物館に到着しました。博物館で、今回の調査のコーディネーターのコメンダドール氏とガイド役のジョセル・ガビノさん(生物学士の23歳の中国系フィリピン人で、博物館の野外行事などの協力員をしている)に会い調査についての打ち合わせを行いました。

打ち合わせの結果、私が2泊の宿泊を予約していた国立博物館に近いエルミタのホテルの23日の宿泊は、翌日の最大干潮が午前5時から6時であるので、遠距離のエルミタからでは無理が生じるのでキャンセルし、代わりに牡蠣養殖場に近いカヴィテ地域バコール(Bacoor)市にあるHotel Sogo in Bacoorに私とガイド役のジョセル・ガビノ氏2名の宿泊を電話で予約しました。

午後5時に、国立博物館前から案内者とタクシーに乗りバコールに向かいました。バコール市内のカキ養殖地域に入ったころには日が暮れ道路沿いの街灯や店舗には灯がともり、道路沿いに殻付きの牡蠣を売る出店がところどころに見られました。

案内者のジョセルさんによれば、バコールのカキ養殖地域は、タガロブ語でカキを意味するTalabaの名を冠したBarangay TalabaⅠからBarangay Talaba VIの六つのBarangay(バランガイはフィリピンの行政区分の最小の自治単位で、村または区に相当し、行政機関を持ち、役場と住民の集会所を兼ねる公民館が設置される。)から成り立っており、まさにこの地域がカキの養殖によって成り立っていることを示しています。夕刻、8時にBarangay Taraba V にあるHotel Sogo Bacoorに到着しチェックインをした。マニラから別途自家用車で出発したコメンダドール氏夫妻もすでにホテルに到着していた。

同氏から知人の同ホテルの支配人リチャード・マラコバナン(Richard Malcobanan)さんを紹介された。マラコバナン氏によれば、同氏は牡蠣漁船が出港するシネグウェラサン(Sineguelasan)の近くに住んでいて、カキ養殖漁民組合長と旧知の仲であるので、組合長所有のカキ漁船を調査のために傭船するアポイントメントをすでに取っており、明朝、組合長所有の漁船で調査に同行して下さるとのことであった。

我々はホテルのレストランでコムンダドール氏夫妻と共に地産の魚・貝類、エビ・カニ類の料理を囲み楽しい夕餉の時を過ごした。夕食後、遅くなったのでマニラに戻るコムンダドール氏夫妻を見送ったのち、明日に備えその日は早めに就寝した。

明朝、5時前に起床、5時半過ぎにホテルを出た。フィリピンの朝は早い。道路沿いのジプニーの乗り場は通勤する人々、通学する小・中学生らでごった返していた。私たちはホテル前でジプ二―に乗り20分ほどで目的地Barangay Alimaで下車、私たちの到着を待っていたリチャードさんに出迎えられた。 

ジプ二―(Jeepney):
フィリピン全土でみられる日本製の小型貨物自動車を改造した乗合タクシーで庶民の安価な交通手段として重要な役割をはたしている。どの地域でも初乗りの料金は8ペソ(日本円で約30円)で、運賃は運転手または後部座席の客の呼び込み・集金人に直接支払うが、満席等で直接手が届かないときは運転席または集金人寄りの乗客にお金を渡し、手から手へとリレーされる。お釣りがある場合には逆のルートできちんと返ってくる。 乗客は決められている停車地以外でも、下車したい地点で降りられるので至極便利な乗り物である。

停車場から海側に向かってしばらく歩いていくとBarangay Sineguelasan の公民館があり、事務所で当地訪問の目的を説明し関係者と挨拶を交わし、訪問者名簿に記帳した。
シネグエラサンの港に向かって歩くと、しばらくして港の入口の広場にうず高く山積されている竹の棒(材が肉厚で日本の孟宗竹に似ている)が目に入ってきた。(図4)


図3. バランガイ・シネグエレラサンの入り口


図4. 牡蠣養殖に使う竹材置き場

我々はここがカキ養殖船の出港地であることを実感した。これらの竹の棒は養殖にかかるコストを抑えるために輸送が容易な近燐の丘陵地帯からきりだされる。この竹棒は、カキ養殖がなされる水深の違いによって3種類に切り分けられるとの説明があった;

水深が6ヤード(約6m)に対応する長さが7-8ヤード(約7-8m)の竹棒(価格は1本75ペソ;日本円で約285円);水深5ヤード(約5m)に対応する7-6ヤード(7-6m)の竹棒(55ペソ;約209円);水深4ヤード(約4m)に対応する5-6ヤード(約5-4m)の竹棒(45ペソ;約171円)が使用されている。

 カキ養殖の漁船の出港する港の市場には早朝にもかかわらず殻付きカキとミドリイガイが山積みされて売られており(図5、図6)近隣の住民が立ち寄って買っていく。この売り場は夕刻まで1日中開かれているという。本日のカキの価格は2kgで50ペソ(約190円)であった。


図5.魚港での牡蠣の販売風景


図6.魚港でのミドリイガイの販売風景

漁港でリチャードさんからBarangay Sineguelasan のカキ養殖者組合長サマハン・マンダラガット(Samahang Mandaragat)さんを紹介された。年齢は聞かなかったがおそらく60歳前後と思われ、会話のやり取りから温厚な親切心のある好人物であると感じられた。マンダラガットさんとその下で働いている2人の漁民が乗船し、同氏が保有するバコール湾内にあるカキ養殖いかだに私を3時間案内してくれるという条件で傭船代・謝金について交渉し合意を得た。

船にガソリンを給油し、6時半過ぎに港を出港した。牡蠣いかだは港の沖合約8㎞のバコール湾内にあるとのこと。 出港後、ガイド役のジョセル・ガビノさんを介しマンダラガットさんに本地域のカキ養殖について聞き取りを行った。その概要は以下の通りであります。

  1. カヴィテ地域のカキ養殖は養殖区域の使用権を有する者(Owner;以下オーナー)とオーナーからその区域の一部を借用する権利を譲り受けたカキ養殖漁民(Private owner;以下個人営業者)から成り立っている。Barangay Sineguelasan には現在、マンダラガットさんを含めほぼ300人のカキ養殖の個人営業者がおり、個人営業者の組合を作っている。1960年から1980年までは、オーナーの“会社”で働く漁業労働者という関係で、漁師個人の能力や成果を評価しないサラリー体制を改めて欲しいという漁師の要求により、その後上記の形態へと移行した。
  2. 作業船を除き養殖に使用する竹棒(2年から3年ごとに新しいものと交換)、ロープなどの資材はすべてオーナーが用意する。 新規に個人営業者になりたいという漁民にはオーナーから船代などのため20万ペソ(日本円で約76万円)の開業資金の借用ができる。
  3. 個人営業者がカキ養殖で得た金額の半額はオーナーに支払われる。
  4. 本地域の牡蠣養殖は干潮時に水深が2mから6m程の内湾浅海で行われ、養殖法は,(1)竹の柱(水深に合わせ5-6m;6-7m、7-8mの3種類の長さが用意されている)を直線状に砂泥底に打ち込み、これらの竹柱を竹の横棒で結びつける。竹柱の表面に着底した種苗の成長(約7か月)を待って収穫する杭打ち法(タガログ語でTuros; 英語でstake method); (2)4本の太い竹の柱を平行四辺形の角の位置に打ち込み、4隅の柱に縦横に竹を渡し格子上の棚を作り、この棚から多くの牡蠣殻を付けたナイロンまたはポリエステルの縄を20-25cm間隔で海中に垂下し牡蠣殻に種苗を付着させ幼貝を一定期間(7か月またはそれ以上)養育した後、縄を引き上げ、成長した個体から収穫する垂下法(タガログ語でBitin; 英語でhanging method)の方法がとられている。
  5. 牡蠣の種苗の採集シーズンは雨季が終わる9月から11月が最盛期となり、収穫のピークは約7か月後の乾季の終わりとなる4月から6月ころとなる。

マンダラガットさんによると、殻付きカキの価格は浜値で1ガロン(重さにすると殻付き牡蠣約2kg)が平均30ペソ(約114円)ほどで、市場価格では2倍以上の1ガロン70ペソ(266円ほど)で取引され、収穫期には1日あたり100ガロン(日本円で11000円ほど)の収穫がコンスタントに得られるとのことでした。ガソリン代などの経費を引いて同氏のカキによる個人実収入は収穫期だけで40万ペソ(日本円で約152万円)位になるとの事だった。牡蠣に伴ってミドリイガイも多く採集できるほか、養殖区域内に仕掛けてあるエビ・カニ籠、やフィッシュトラップによる漁の収入もあるので、家族を養いながら安定した生活が営めるという。

このようなインタビューをしているうちに、船は外海から2重の砂州で守られたバコール湾内に進んでいた。目の前にフィリピン海軍の停泊港が現れる。バコール湾内は台風時にも波浪の影響を受けにくい自然の良港でスペイン統治時代メキシコのアカプルコとマニラ間を往復していたスペイン艦隊のガレオン船の停泊地とされていたことで有名です。

やがて周囲には杭打ち法のカキ養殖のための竹の柱が多く見られ(図7)、その先に垂下法のカキ筏が広がっていた。その一区画に組合長のカキ筏があり筏に船を着け停船した。


図7.バコール湾における牡蠣養殖場風景


図8.マンダラガットさんの筏から吊り上げられた牡蠣


図8.マンダラガットさんの筏から吊り上げられた牡蠣

潮が満ち始めてきており筏の全体像は露出状態で見えないものの、水面下数十センチにロープが垂下されている竹の棒が見えている。同乗してきた漁師が成長した牡蠣の殻が付いたロープを引き上げみせてくれた(図8)。養殖牡蠣の分類学的研究材料のため、またホテルに帰ってシェフに料理をしてもらうようにと牡蠣とその周囲にミドリイガイが密集したロープをナイフで切りお土産だと言って手渡してくれた。

また、養殖地で種苗を採集する牡蠣殻の連なったロープの一部をはずし、研究の参考にとプレセントしていただいた。マンダラガットさんと同乗者の協力もあって調査の目的がほぼ果たされたので、我々は港に引き返すことにした。港で下船すると、潜水し自然のカキを採集してきたという漁師が私の到着を見て研究に使えるだろうからこのカキを買わないかと近づいてきた。

すぐに養殖牡蠣の分類学的研究や・展示資料としても価値高いことが分かったので、お礼を述べ形の整った個体を譲ってもらった。私たちがホテルに戻ったのは午後1時を過ぎていました。
同行した支配人を通して、調理場にお土産にもらった多くの牡蠣とミドリイガイが入った麻袋をプレゼントし、その一部をシェフが私たちの昼食のために料理してくれることになった。

待つこと30分ほどして、茹で上がり殻が開いた牡蠣とミドリイガイが大皿一杯運ばれてきた。食べてみると、これまで味わったことのない味付けの美味な牡蠣とイガイで、私もジョセルさんも空腹であったこともあり、あっという間に平らげてしまった。同時に運ばれてきたこれらの貝でだしを取った野菜スープも格別なものでした。

シェフに調理法を聞いたところ、調理はとてもシンプルで、鍋に水をいれ生姜、玉ねぎ、にんにく、赤唐辛子、セロリ、ハーブ、小エビ、塩少々を入れて水が沸騰してから10分ほど中火で出汁を取った後、殻を良く洗った牡蠣とミドリイガイを入れ身が煮えたことを確認後、牡蠣とミドリイガイを取り出し湯気が上がっているうちにテーブルに運ぶとのことでした。

今回の調査でお世話になったホテルの支配人リチャード・マラコバナンさんに別れの挨拶をし、私たちは3時過ぎにホテルを後にしました。ガイド役のジョセルさんの勧めもあって、私たちは街路沿いに沿って牡蠣生産区域の町並みの散策を楽しみながらBarangay Talaba IIの公民館(図10)を目指しました。

公民館前のバス停でマニラ行きの大型急行バスに乗車しメトロ マニラに向かいましたが、市内のバスセンターに着いた頃にはあたりのビル街には夕闇が迫っていました。


図10.Barangay Talaba IIの公民館