新種のマガキ類を探す旅

第6回 海南島および北部湾のカキ類調査

小澤智生

中国南西部の海南島(海南省)から北部湾(広西壮族自治区)の牡蠣類、とりわけマガキ属についての情報はこれまで少なく種類や分布についてもまだ十分に明らかにされていない。
最近、青島にある中国国立海洋研究所の研究者グループ(Liu,J.他、2011)は分子系統学的手法に基づきマガキ属の種の同定を行い、海南省文昌からマガキ属の未定種1(Crassostrea sp.1)および広西チワン族自治区北海からマガキ属の未定種2(Crassostrea sp.2)を認め、2種のミトコンドリアDNAの塩基配列をGenBank(遺伝子バンク)に登録した。

 私は、未定種1の配列はLamさんが2004年に香港で採集したサンプルからミトコンドリアDNAの塩基配列の決定を行い、塩基配列から新種であると断定したものと完全に一致していたことを確認していたので、文昌の海鮮市場でこの牡蠣を探すことが出来るのではないかと考えた。
また、北海の海鮮市場では未定種2のマガキを探すことが出来るのではないかという期待から、現地の市場を訪れ、牡蠣類を調査する目的で、2015年7月29日~8月5日まで、7泊8日の調査旅行を実施した。以下はその調査旅行記である。


図1.海南島および北部湾の調査地点

7月29日 中部国際空港発、上海経由の中国東方航空便で夕刻7時30分すぎ海南島海口(ハイコウ)空港に着いた。入国審査は上海国際空港で行ったので、機内預けのスーツケースを受け取り、到着出口を出た。予約してあるホテルに着くのは遅くなるので、出発口近くにある中華レストランに入り夕食を取った。食後、スーツケースを引きずりながら空港ビルとつながっている東環高速鉄道海口空港站を目指した。東環高速鉄道は海南島東海岸の海口空港站から三亜站間を時速230㎞前後で繋ぐ中国新幹線である。

空港站に着き、入り口で公安にパスポートを提示した後、 スーツケース、手荷物のX線検査を行い、チケット購入窓口に進んだ。窓口にパスポートを差し出し、係員から窓口に出された申請書に、出発地:海口空港站 到着地:文昌,二等座にチェックを入れ、切符代金28元を渡すと、次発、次次発の座席が空いて入りがどちらにするか聞いてきたので次発と言うと、車両番号と座席番号がプリントされた切符が渡された。しばらく待合コーナーの椅子に座って待つと、アナウンスがあり改札口が空いたので、2階のプラットホームまで長いエスカレーターで上がって、車両番号の書かれた乗車口で車両の入ってくるのを待った。

三亜站始発の車両が到着し乗客が反対側のホームに下車しドアが閉まった後、すぐに入り口のドアが開き乗客が座席に座ってまもなくドアが閉まって列車が出発した。日本の新幹線と違って、この新幹線では車両はフル稼働状態にある。午後9時半過ぎ、文昌(ウェンチャン)駅で下車した。四、五人のタクシードライバーがどこへ行くのかと集まってきた。

メモを見せて白金海岸度假酒店(Baijin Holiday Hotel)に行くと言うと、それぞれがタクシー代金を提示してきた。 その中で若いドライバーが40元で行くと最も安価な提案をしてきたので、そのドライバーのタクシーに乗りホテルに向かった。午後10時過ぎにホテルに着き、チェックインを済ませ、部屋に荷物を運びこみ、初日の旅が終わった。

7月30日。ホテルで朝食後、食後の散歩を兼ねて白金海岸に行ってみた。文昌市の南東部には南シナ海から湾入する高隆湾があり湾の北西縁は緩やかに湾曲した白砂の海浜(白金海岸)とその背後の椰子林が5㎞以上も続いている(図2)。


図2 海南省文昌市の白金海岸の風景

海岸に面するレストランでは観光客が海を見ながらゆったりと朝食をとっていた。すでにかなりの人たちが波打ち際を散策していた。中には浜辺に打ちあがった貝殻を集めている外国人の家族もいた。
文昌市は高隆湾から更に北方に湾入する自然の避難港といわれた八門湾に近接しているため、紀元前の南越国時代から中国から東南アジアに向かう海上交通の要所となっており、東南アジアへ進出した華僑の多くは文昌出身といわれ“華僑の郷”とも呼ばれている。
文昌は中国の椰子の最大生産地となっていて大きな椰子油製造工場がある。現在、白金海岸地区は、リゾート開発が進行中でリゾートホテル、リゾートマンションが次々と建設されている。文昌の東海岸にある岬には、中国宇宙開発センターと人工衛星打ち上げのロケット基地が建設され中国の宇宙開発の拠点の1つとなっている。
ホテルに戻り着替えをした後、ホテルの前に待機していた三輪タクシーに乗って清瀾港(Qinglin Port)の海鮮市場へ出かけた。20分ほど市街地の広い道路を東に進んだのち、海鮮市場に通じる狭い道路に入った。道路脇には遠洋・近海での漁撈に使うさまざまな漁具やロープなどを売る店が軒を連ね、その道路の突き当りに清瀾臨海海鮮市場「清瀾環球码」のゲートが見えてきた。ゲートの前には市場に買い物に来た人を家に送るため客待ちをする輪タクの列ができていた。 
市場に入ると、入り口にはバナナ、椰子、スイカなどの果物や野菜、次に魚介類の干物、更にその奥には生きた魚介類を売る露店が道の両脇に並んでおり、買い物客でにぎわっていた(図3)。


図3.文昌市清瀾臨海海鮮市場の風景

魚介類の露店には実に多種類の魚貝類が売られており海南島の海の生物の多様性が極めて高いということが強く印象付けられた。貝類でもざっと見ただけで美味な貝のアワビ類3種、ハマグリ類4種、マテ貝、アゲマキ、ツキヒガイ、タイラギ、バイ類3種など20種類以上が売られていたが(図4)、


図4.文昌市清瀾臨海海鮮市場で売られている貝類

最も印象的であったのは、牡蠣を売っている店の多いことだった。露店の奥や脇で牡蠣の殻を剥き、中身を取り出したり、牡蠣の右殻を剥がし、牡蠣の身を左殻に着けたまま海水を張ったトレーに並べ売っている店が目立つ(図5.6)。


図5.6 文昌市清瀾臨海海鮮市場における牡蠣の販売風景

この市場は大小の多くの漁船が漁から戻り魚介類を清瀾港に揚げる波止場で露店商が魚介類を漁師から直接購入し(実態は、露天商は漁師の家族が多いという)、漁船の荷揚げが終わる午前11時過ぎころから夕刻まで露店商は契約して場所に露店を開いて魚介類を売っている。市場を訪れる客は観光シーズンには観光客が多く、観光のシーズンオフには、車や輪タクで買い出しにくる地元の人々が観光客を超えるという。

客は、好みの魚介類を購入し、市場の入り口に並ぶ好みのレストランに持参し、好みの料理法を伝え、料理代を支払い昼食や夕食をとるのが、ここでの習わしとなっている。レストランに寄らず買った野菜、果物、魚介類を家に持ち帰る人も多い。

私は、トレーに清潔な半殻の生牡蠣を並べ売っている牡蠣店で10個体の牡蠣(1個体2元(訪問時約39円))と、その店で、研究用に5個体を買い求め殻を開け、貝殻をビニール袋に包んでもらった。この牡蠣の産地を聞くと、八門湾の湾口部の東側の水深3mほどの泥底の牡蠣礁から採集したものであり、この種の牡蠣は八門湾内泥底でも採集されるとのこと。

この市場で売られている牡蠣の産地は他にもあるかと聞くと、外海の高隆湾から八門湾への入り口の水深3-5mの岩礫底に自生する牡蠣が市場で売られていると言う。その牡蛎が欲しいのなら市場の突き当りの岸壁に停泊している船の船主に頼めば得られるだろうと言う。

市場を巡り、スープ用にタイワンハマグリ数個と小ぶりのタイワンガザミ1匹、クルマエビ数匹、小型のハタ1匹を求め、市場の入り口にあるレストランに運び、領収書を示し料理をお願いした。料理代は魚介類の領収書の20%で、白飯、デザート、飲み物など客がオーダーした代金とともにレストランに払うルールになっている。牡蠣の料理法については、予約したテーブルの近くの観光客のグループが牡蠣と青梗菜をソテーした料理を美味しそうに食べていたので、同じように調理して下さいとお願いした。

出された料理は海産の乾物やシイタケのうま味をとりいれ、薄味であるが、味は濃厚で素材のうま味が感じられた。牡蠣は青梗菜と炒められた後、魚醤を含む中華風スープで味付けされ満足の一品であった。中国で魚醤が食文化に根付いているのは南西端の海南省と広西チワン族自治区であり、ベトナム以南の東南アジア沿岸の食文化がこの地域に及んでいることが分かった。

食後、八門湾の入り口の岩礫底に潜水し牡蠣を採り、市場に下している漁師の船を尋ね、船主の息子に牡蠣の採集をお願いした。明日、12時頃に来れば牡蠣を渡せると言う。船はかなり大きく、家族は船上生活者で、沖合で数日間漁を行って港に帰り、漁で得た魚介類を鮮魚商に売り、残りを海鮮市場の店主に売り、生活に必要な品々を買い船内で暮らしているとのことであった。(図7)


図7.文昌市清瀾港に停泊する海上生活者の船

漁師の家族に明日昼頃来ることを告げ、港に停まっていた輪タクでホテルに戻り、市場で得た牡蠣の殻サンプルを水洗し観察を行った。
今日得た牡蠣は閉殻筋痕が黒紫色で、右殻には褐色の鱗片状の殻皮が重なることから、フィリピンに広く分布し養殖されているミナミマガキ(Crassostrea bilineata)であることが判明した。

ミナミマガキの標本のなかに殻表に放射状の肋が発達しこれまで福建省から香港・マカオまで確認されているポルトガルガキ(Crassostrea angulata)が含まれていたので、この種の南限が海南島に及ぶことが初めて確認できた。
この日は旅の疲れもあり、午睡をとり、夕食をホテルで済まし早めに就寝した。

7月31日。朝食後、白金海岸を散策した後、12時前に漁港に出向き、採集をお願いした漁船を尋ね、採集をお願いした牡蠣を受け取った。市場で昼食を済ませた後、市場の入り口で客待ちをしていたタクシー運転手に、地図を見せ八門湾湿地公園まで行って下さいとお願いをした。文昌市の観光パンフレットに、文昌市街を流れる川が八門湾に注ぎこむ河口域にある湿地公園ではマングローブを貫いている遊歩道からマングローブ林とそこに住む鳥類や魚類を観察できると書いてあったからである。

ひょっとしたら、マングローブに着生しているカキ類が見られるかもしれないという期待もあった。現地に着くと、マングローブの回廊は、ガイドを伴った多くの観光客や先生に引率された学童のグループで混みあっていた。湿地公園の散策は南方の大きなマングローブを実体験できたことで有意義であったが、期待したマングローブのカキ類を見ることが残念ながら出来なかった。

3時過ぎに、バス停に行き、バス待ちをしている人に文昌行きのバスは何時に来るかと尋ねたところ、ここからは文昌行きのバスは出ていないという。タクシーが来るのを待ったが一向にタクシーが来る気配はしなかった。近くには人の気配もなくなりホテルに戻れるか心配になってきた。道路沿いに歩いて行くと、庭にたくさんの椰子の実が積んである家に小型トラックが止まっており、椰子の実を荷積みしている中年の人がいたので、筆談で文昌まで行きたいのですが、車で送ってくれる人は近くにいるかと尋ねた。

その人は椰子農家の主人で、こちらの困惑ぶりを察し、椰子の実の積み込みが終わったら、50元払えば、自分がバイクで文昌まで送ってやるというありがたい申し出があり、この人に心から感謝の気持ちを伝えた。農家の主人の運転する中国製小型バイクの後部座席に乗って5時半過ぎに文昌の中心街に着くことが出来た。初めて訪れた文昌の市街を歩き、歴史遺産として有名な老街近くで名物料理「文昌鶏」の看板があるレストランに入り、文昌での最後の夕食を楽しんだ。タクシーで白金海岸のホテルに戻り、明朝のチェックアウトに向けて荷物の整理をしてスーツケースに詰め、就寝した。 

8月1日~2日。 朝7時に、フロントに行き、受付の人に頼み、本日午後6時に開口港発北海行きのフェリーの乗車券を予約してもらい予約番号を受け取った。朝食をとり、部屋でゆったりとした時間を過ごしているうちに、チェックアウトの11時が近づいたので地階に下りチェックアウトを行った。本日は移動日で午後5時半までに開口港のフェリーターミナルに行けばよく、十分な時間があったのでスーツケースをフロントに預け外出した。

私が宿泊したホテルがある白金海岸地区は東洋最大マリンリゾート地である海南島南部の三亜地区に続き、第二のマリンリゾート地として開発が進行中ですでにいくつかの高級ホテルがオープンし、多くのリゾートマンションが建設中であった。近くに白金海岸を眺望でき敷地内には亜熱帯植物の花々が見られ観光客に人気のある大きなレストランがあるというのでそこで昼食を取りながらゆったりと時間を過ごそうと訪ねてみた。ゲートを入りしばらく歩くと大きなレストランの建物が見え、その手前の建物の中に、生きた魚、エビ類、貝類などが入れられ盛んにエアレーションされている大きな水槽が見え、レストランを訪れた客が好みの魚介類を選び、対応した従業員が次々と調理場に運んでいく様子が見られた。

生きた魚介類の価格を見ると、清瀾臨海海鮮市場の価格の倍以上の値段で鮮度も落ちるものがあったので、レストランのメニューにある価格が手ごろな海鮮コースを注文した。昼食が終わった後に、海側のテーブルに移り、久々のホットコーヒーを飲みながら、緩やかなアーチを描き延々と続く白金海岸とその背後の椰子林の一大パノラマを満喫した。

2時前にホテルに戻り、スーツケースを受け取り、タクシーで高速鉄道の文昌駅を目指した。
駅に着き入口で公安にパスポートを提示しチェックを受けたのち、乗車券販売窓口で順番待ちをする列に加わった、夏の観光シーズンで多くの人が並んでいるが1人の発券に多くの時間を要するため20分ほど待って、やっと自分の順番がやってきた。窓口の女性駅員にパスポートを提示し、申請書の行き先を海口東駅と書き提出した。次発,次々発はすでに発券済みであり、まったく予期しなかった16時23分発海口東駅16時48分着の乗車券の購入となった。

乗車券を見せ、X線による手荷物チェックを受け、待合室で待つこと1時間20分やっと乗車のアナウンスがあったので、改札口に入り、エレベーターで3階のプラットホームに上がり、 到着した列車に乗車した。海口東駅で下車、タクシーで海口秀英港のフェリーターミナルに着いたのは18時発の北海行フェリー乗船券の購入締め切り時間の17時30分の10分前であった。乗船券購入窓口で予約番号を告げたところ、すでに18時のフェリーの乗車券の発売は終了したので購入できないと言う。天候が悪いので次発のフェリーの乗車券は、フェリーが出港するアナウンスがあったら購入して下さいとの返事。

待合室待っていると、北風が強まりフェリーの出港は中止となったというアナウンスがあった。乗船券購入窓口に行き、明朝までに北海に行かなければならないので、行く手段があるかと尋ねると、深夜バスがあるので、隣の部屋にあるバスの乗車券売り場でチケットを求め、売り場の休憩室で待機するように言われた。220元でチケットを購入し待合室に待っているとバス会社の人が現れ、これから対岸の広東省湛江市海安に連絡する16番フェリー乗り場に駐車しているバスまで案内するので、荷物を持って私の後に付いて来て下さいと説明があり、列をつくりバスの駐車する波止場に向かった。

乗車券を見せ、スーツケースをバスのトランクに積み込んだ。全員が荷物を収容した後、バスの運転助手が下車し私の後に付いて来て下さいと言い、付いていくと乗車切符を購入した建物のチケット売り場に戻り、各自45元の領収書が渡され、その半券を係員が回収後、16番フェリー乗り場に戻った。外国人の乗客の間でなぜこんなことを行うのかと疑問が出されたが、その理由は良く分からなかった。北海に戻るという中国人の話だとこのようなことはしばしば起こり、バスの旅券を買った乗客が45元を払い2便のフェリーに乗船したこととして会計処理をしているのだろうと説明があったが本当のことはわからない。

16番フェリー乗り場に戻ると多くの運送トラックに引き続きバスがフェリーに乗るところであった。乗客の乗船案内があり乗船し席に着くと、フェリーの安全デモの映像が繰り返し流された。出港後、約30分後の午後21時45分に対岸の海安港に着き、22時に高速バスが北海に向け出発した。深夜12時を過ぎたころトイレ休憩がありバスに戻ると、降っていた雨が激しい雷雨となり北海のバスの停車場まで降り続いた。

午前2時終点の北海高速バス停車場に着いた。降りしきる雨の中、乗客は先を争って待機していたタクシーに乗り市内に向かった。駐車していたタクシー運転手に私は日本人で北海を訪れるのは初めてであると言うメモ書きと、本日宿泊するホテルの名前と住所の書いてあるプリントを渡しそのホテルに行って下さいとお願いした。
運転手は、自身の顔写真と電話番号が書かれたカードを取り出し、タクシーが必要な時は自分を呼んでくれとのメモと一緒に手渡してくれた。

深夜なので予約したホテルのチェックインは出来ないと思うので、ホテルの近くにある休憩所で昼まで休息することを勧められ、そこに連れて行ってもらった。観光に来たのかと尋ねられたので、私は牡蠣の研究をしており、北海の市場に売られている牡蠣からどんな種類の牡蠣が北部湾に分布し、また養殖されているかを調べる目的で来たと説明した。運転手は休憩所から徒歩5分くらいのところに午前6時から開く魚介類、野菜・果物を売る市場があり市場に入る通りには魚介類を売る露店が並び牡蠣は沢山売られているので訪ねたら良いというありがたい情報を得た。

運転手は更に、フェリーが出・入港する北海港を形成する人口島の外沙島には毎日、午前4時に開く市営の外沙市場があり、北部湾で獲られた魚貝類、北海市とその周辺で収穫された野菜。果物が集積し、業者向けのセリが行われた後、市民も魚介類、野菜・果物などを買うことも出来るので行ってみたらと言う。また市場に隣接したエリアでは、海鮮や野菜・果物を扱う業者が商品を海路、空路、陸路、鉄道で香港や上海などの消費地に送るための箱詰め作業などが行われているので、興味があるのなら4時ころに休憩所の玄関にタクシーで迎えに行き市場に連れて行くと申し出たので、是非連れて行って下さいとお願いした。

30分ほど走り、タクシーは休憩所に着き、運転手がスーツケースをフロントまで運び、受付の中年の婦人に 私が昼まで休憩室を借りること、4時に私を市場に案内するため迎えに来るので、起こしてほしいとお願いした。パスポートを提示し、部屋代100元を払うと、女性従業員が部屋に案内し、部屋の鍵を開けた後、新しいシーツ、毛布カバー、枕カバーをセットした後、お茶の入った魔法瓶、コップ、バス・洗面タオル、歯磨きセットを持参して出て行った。

部屋は畳間に換算して10畳くらいの広さで、ベッドも清潔なので安心して休めそうである。シャワーバスで汗を流し、シャンプーで髪を洗いドライヤーで乾燥、歯磨きをした後、下着を変え、4時に外出する準備を整え終え、ベッドに横になると、しばらくしてフロントから電話があり、タクシー運転手が玄関で待っているとの電話があったので部屋の鍵を閉め外出した。 

タクシーに乗って2O分ほどで外沙島にある市場の入り口に着き、運転手が市場の関係者に牡蠣が見学できるところはどこにあるかを尋ねてくれた。市場に隣接して牡蠣を扱う会社がありその構内で、トラックで運ばれてきた牡蠣殻を従業員が発送の為、殻に付着したフジツボなどの付着物を取り除く作業をしているので行って見学させてもらったらどうかと、地図にその位置をプロットしてくれた。 

その会社を尋ね、訪問の目的を告げると、会社の女性支配人が現れどうぞ見学してくださいと現場に案内してくれた。2階が事務所の建物がありその脇の広いコンクリートの床の上に大型トラックの荷台から降ろされた高さ2mを超える牡蠣の大きな山が2か所にあり10人ほどの男女が牡蠣の殻の表面に付着したフジツボなどの付着物を落としクリーニングの作業をしていた。どの個体も殻高が15-20㎝,殻幅が7-10cmに達し、やや細長い厚い殻を持つ牡蠣であった。

支配人に研究のため貝殻標本を3-4個体譲ってほしいと言うと、どうぞ持ち帰ってくださいといわれた。閉殻筋痕は白色で薄く紫がかっており、殻の特徴からホンコンガキであることがわかった。支配人にノートとボールペンを渡し、産地情報を書いて下さいとお願いした。この牡蠣は、ここから北東に45㎞ほど離れた北部湾岸の高徳外沙の塩性湿地で地播きし、3年から4年で収穫したものであり、地播きのためフジツボや様々な貝などが殻に付着しているため、集荷に際し、殻に付着したフジツボや貝などを取り除いているのだと言う。支配人と従業員にお礼と別れを告げ、タクシーで5時半過ぎに休息所に戻った。運転手には、12時にチェックアウトし、予約したホテルに行くので、12時ころに迎えに来てほしいとお願いをした。

休息所で3時間ほど仮眠した後、9時過ぎに市場行くため外出した。仮眠所の門を出て海側(北方)に歩いて行くと東西に走る大きな道路があり道路を挟んで海側の路地の入口に人だかりのある露店が見えた。道路を横断しその路地に入ると長い路地の両側に牡蠣や魚を売る多くの露店が並んでいた。大きな露店は牡蠣を山積みし、殻を開け牡蠣の身を売る店で、露店の半数以上が牡蠣を売る店で占められ、この路地は正に牡蠣路地の体をなしていた。

小ぶりの牡蠣を売る初老の婦人(図8)に北海市の地図を見せこの牡蠣はどこで採れたかと尋ねる北部湾の海岸にある岭底(市場の北西約58㎞に位置する)を指差し、海岸の岩場に付いている天然の牡蠣を採集しいつもここで売っていると言う。形の整った5個体を買い、殻を開けてもらい、貝殻を新聞紙に包んでもらった。小型であるが厚い殻を持ち、閉殻筋痕が白色から淡紫色であり、成長した殻の先端部が淡緑色を呈することなど、香港新界の后海湾(Deep Bay)の岩場で以前、採集したホンコンガキと特徴が一致するのでホンコンガキであると判断した。路地の一番奥に、牡蠣を山積みし売っている露店があったので、殻の形が整った5個体を買い、殻を開けてもらい貝殻標本として持ち帰った。産地を聞くと岭底の岩場で採集した天然牡蠣であるという事であった。(図9)


図8.北海市の市場の路地で牡蠣を売っている老婦人(左)


図9.北海市の市場の路地で牡蠣を売っている婦人たち(右)

露天市の並ぶ路地から公営市場内に入ると、多種多様な生きた魚介類を売る多くの店が並び、多くの市民が店から店を巡りながら思い思いの魚介類を買い求めていた。貝類では、牡蠣も販売されているが、大きな塩ビ製の海水を満たした桶に3種の生きハマグリが大量に売られているのが印象的であった。

北部湾沿岸の浅海砂泥底はアジアにおけるハマグリ類の最大の生息地と生産地となっており。強力なエンジンを備えた中型漁船にドレッジャー(底質表層を浚渫する間口の広い鉄製枠に底引き網を取り付けた貝類採集具)を取り付け曳航することで大量のハマグリ類が採集されている。

市場を出た街角に海老シュウマイと豚のひき肉を包んだシューマイを蒸し器で蒸して客に供する食堂が在り賑わいを見せていたので、店内に入り2種類のシューマイと粥を注文し朝食を取った。
休憩所に戻って買い求めた牡蠣の標本をスーツケースに収納し、チェックアウトする準備が整った。チェックアウトの制限時間12時が近づいてきたのでチェックアウトを済まし、玄関で待っていると、予約していたタクシーが玄関前に停車した。スーツケースを積み込み、今晩の宿泊を予約してある珠海路にあるホテルに向かった。

ホテルでチェックインを済ませた後、待たせていたタクシーで、明日、8月3日北海18:00発 海口秀英港行きのフェリーの乗車券を購入するため北海港フェリーターミナルに向かった。フェリーの乗車券売り場で1等船室(2人間)280元を購入した。これで、明晩はフェリーのベッドに寝て海口に戻れると思うと気持ちが安らいだ。
ホテルに戻り、タクシー運転手に、明日午後4時30分にホテルに来てフェリーターミナルに行ってもらう約束を取り付けた後、明日また会いましょうと言葉を交わしドライバーと別かれた。

ホテルで午睡を採った後、多くの観光客が訪れる北海の老街を訪れ、日没前に老街を見学後、夕刻から開かれる老街の夜市で北海の夏の夕べを満喫しようと思った。
ホテルを出ると、道路の斜め向かいに牡蠣販売車が駐車していた(図.10)。


図10 北海市老街に駐車している牡蠣販売車

近くにいた数人の主婦に聞くと、北海市内では早朝、漁師から牡蠣や鮮魚を買い電動三輪車に積んで街角に駐車しながら市内を巡回しながら売り歩き生計を立てている人が多くいるという。ちなみに、中型の牡蠣1個が2元(訪問時約39円)である。 更にしばらく通りを歩いて行くと、また牡蠣販売車が停車していた。

北海老街は宿泊したホテルのある珠海路から同じ路地を歩いて5分ほどの近距離にある。19世紀末に古代ギリシヤ建築形式を導入し建造された街路で、アーチ型の4本の柱に支えられた商店と住居を兼ねた2、3階建ての建物が規則正しく連なっている(図11)。


図11.北海市老街の風景

1927年まで珠海路は北海の繁華街として多くの商店が立ち並び栄えてきた。現在では数軒の店を除き全てが民家になってしまったが、北海市の歴史文化遺産として大切に保全され、多くの観光客が訪れている。
老街で目に付いたものとして、ベトナムの物産・土産店、ベトナムコーヒーを出す喫茶店があることだった。北海市のある広西チワン族自治区はベトナムト国境で接しており、交易を通し両国人の往来があるからだと思われる。

夕闇が迫ると通りを挟んで多くの露店が並び、多くの人で通りは私大と混みあってきた。子供のおもちゃ、ゲーム機、ペット動物、身の回りの小物、衣類など様々な品物が夜店で売られていた。食べ物では、地域内で豊富に生産されるマンゴー、パインアップル、バナナなどの果物を並べ、種類を指定するとジューサーにかけ、そのジュースを冷凍機の冷却回転皿の上に流し金属のヘラでまぜ素早く混ぜながらジェラートを作って紙コップに盛り付けて渡してくれる店がいくつもあり繁盛していた。

食事が出来る店の中で最も人気のあるメニューの一つは、牡蠣料理で、左殻に収まった生牡蠣の上に好みによって刻んだニンニク、唐辛子・香味野菜を乗せ、味噌、場合によっては醤油を数滴落とすなどしてから、強火のコンロの上に金網を置きその上で焼き、牡蠣の身がボイルした後、素早く皿に移し、かぼすなどの柑橘類を手で絞りかけて食するスタイルが取られていた(図12)。


図12 北海市老街の夜市の屋台で売られている牡蠣

1人の客が5から10個体ほどの焼き牡蠣を食べ、15元から30元ほどを支払いテーブルの席を立って行った。
私は、焼き牡蠣5個、焼きツキヒガイ4個、野菜スープに白飯を注文し夕食とした。

午後9時半を過ぎるころから露店も店じまいを始めたので、ホテルに戻り、シャワーバスで汗を流し、就寝した。
8月3日 12時前にチェックアウトを済ませ、スーツケースをフロントに預かってもらった。帰国までに必要な中国元が足らなくなっていたので、タクシーで市政府などがある中心街の銀行に行き換金した。銀行の近くの食堂街の入り口に、牡蠣専門の食堂があり店員が開店の準備をしていた(図13)。


図13 北海市内でよく見られる牡蠣専門食堂

昨日訪れた市場に近い街角にも全く同じ看板の牡蠣レストランを見たので、この店は牡蠣レストランのチェーン店の一つと思われた。老街に戻り、古美術店を巡り明、清の時代に景徳鎮で作られた染付磁器、ベトナムの安南染付の磁器を鑑賞した。小さいながらとても良い明時代の染付磁器の皿があり、買おうかと何度も迷ったが、空港のチェックで没収されるかもしれないと思い諦めた。

ベトナムの物産店でお土産にベトナム産コーヒー豆のパックを買い求めた。隣にギターのライブ演奏が聴けるベトナムコーヒー店があったのでコーヒーを飲みながら時間を費やした。ホテルにタクシーが迎えに来る時間までまだ1時間余りあったので、老街から坂道を下り、再び外沙人口島を尋ねてみた。この島には高級・中級の海鮮料理レストランがあり、中でも水上生活者の名を冠した疍家棚は観光ガイドブックにも載っている有名店である。外沙島の内側の水路には多くの小型漁船が停泊しており、外海に面しては中・大型の漁船が停泊していた(図14)。


図14 北海市外沙島に停泊している漁船

ホテルに戻り、預けていたスーツケースを受け取り玄関で待っていると、予約していたタクシーがやってきたので、荷物を積み込み北海湾フェリーの乗り場に向かった。
北海18:00発 海口秀英港行きのフェリーは予定時間の18:00に出港、荷物を船室に運んだ後、デッキに出て北部湾に沈んでいく大きな太陽を眺めた。日没後暫くすると夕闇が迫ってきたので、船室に戻った。

船室のベッドで今回の北海市でのカキ類調査旅行を振り返った。今回の調査旅行の最大の成果は、この地域の住民が牡蠣を日常的に食し、牡蠣が地域の食文化に深く根ざしていることを市場で牡蠣を売る人、買う人のやりとり、夜店で幸せそうに牡蠣を食べる人たちの表情から理解できたことであった。

北海市の沿岸を含む北部湾には、先祖代々ずっと船の上で漁業を生業とする疍家(疍民)(たんか;たんみん)と呼ばれる水上生活者集団が存在していた。
疍民には、牡蠣漁を主な生業とする蚝疍(hao dan)、真珠採集を主な生業とする珠疍(zhū dan)、漁業を生業とする漁疍(yú dan)の三つの分業集団が存在し、その伝統文化は現在でも生き続いている。古来、蚝疍が陸の住民に牡蠣を売り生業を立ててきたことが沿岸住人にとって日常的に牡蠣を食する食文化を成立させたのだと思われる。
参考資料
Beihai:Travel Guide:City Map,Attractions, History in
http://www.travelchinaguide.com/cityguides/guangxi/beihai/


8月4日 船室横の通路から乗客のざわめく声と入港の汽笛で、目を覚ました。衣服を着替え、荷物を持って船室を出て階段を下りるとフェリーのロープが港のアンカーに繋がれており、やがて乗客が次々に下船していった。海口秀英港のフェリーターミナルの建物を出ると、タクシードライバーが行先を聞いてきたので、午後5時ころまで、過ごせるホテルがあったら連れて行ってくださいとお願いした。タクシードライバーは港の近くに昼間に休息できる良いホテルがあると言って案内してくれた。

そのホテルは道路に面した新築の高層ビルディングにあり、2階のフロントでチェックインを済ませると、ボーイがスーツケースを持ちエレベーターで12階にある部屋に案内した。部屋は綺麗でバスタブ付きの浴場があるなど設備がよく整っていた。バスタブに湯をはり、久々の入浴をした。旅の疲れがたまっていたので、目覚まし時計を12時にセットし、昼まで睡眠をとった。昼食後、タクシーで訪問を予定していた海口文化公園内にある海南省博物館および海南省図書館に向かった。途中の道路沿いには、省都海口市の新都市建設プランに沿って、市内は建設ラッシュ中にあり高いクレーンを使って高層のビルディングが次々と建設されていた。外国大学誘致地区という区域では、まだ建物の本格的建設は始まっていなかった。

海南省博物館は2008年に開館をした博物館で中央の高いエントランスホールのある建物とその両翼に現代的なデザインの美しい建物が連結された大きく、建築的にも見事な建物であった。展示内容は海南省の様々な文物、海南省の作家の作品、歴史、文化、民俗に関するものが中心で、自然史的内容の常設展示はしていなかった。本博物館には「水下考古研究室」があり、西沙諸島の環礁で発見された南宋時代の貿易船の水中遺物を数次にわたって発掘し、南宋の貿易船の復元、南宋の陶磁器を中心とした6000点に及ぶ文物の研究を行っている。2014年7月には本博物館が中心となって東京中国文化センターでこの沈船に関する特別展を開き、中国の陶磁器愛好家が多く訪れた。私も展示物を鑑賞したので、今回、是非訪れようと思っていた。博物館を後にして、徒歩で同じ海口文化公園内にある海南省図書館を訪ねた。

入り口の受付でパスポートを見せ、備え付けの用紙に目的を書き込むと、英語の分かる司書を呼ぶのでなんでも相談して目的を果たし下さいというありがたい配慮をしていただいた。受付に現われた若い女性司書に名刺を渡し自己紹介をし、図書館を訪れた目的は、日本の公立図書館では見ることが出来なかった海南省水産研究所編著(1992)海南島貝類原色図鑑とその改訂版を閲覧し必要なページをコピーすることであると告げた。司書によるとこの図書館は最近新築されたもので、旧図書館の蔵書を引き継ぎ海南省の関する図書・文献は完全に網羅していると言う。図書館はIT化されており、個人ID, 書名などの情報を打ち込むと、収蔵の有無、収蔵されている棚、書籍登録番号などの情報が印刷できる。

彼女の後につて、書棚にたどり着き、目的の図書を借り、コピーするページを書き、コピー代金を渡しコピーをしていただいた。司書にお礼を述べ図書館を後にした。
図書館の敷地の北を東西に走る海口市最大の国興大道でタクシーを拾い、ホテルに戻った。
時間は午後4時半を過ぎていたので、ホテルをチェックアウトしタクシーで高速鉄道の海口駅に向かった。海口駅で海口空港行きの高速鉄道に乗り18時過ぎに空港駅に着いた。

駅のビルと繋がっている空港ビルに入り、荷物のX線検査を済ませ、中国東方航空のカウンターで20:10分発上海(浦東国際空港)行きの搭乗手続きを済ませた。レストランでゆっくりと夕食を済ませ、食後のコーヒーを注文し時間を費やした。保安検査場で機内に持ち込む荷物の検査を受け搭乗口に向かった。 搭乗口近くの待合スペースには椅子に座れず立ったままで、機内乗り込みのアナウンスを待つ乗客でごった返していた。乗客の大部分は、東洋最大のマリンレジャー地である海南島産三亜で夏の休暇を過ごした後、上海に戻る人たちであると思われた。やがて機内乗り込みのアナウンスがあり、多くの乗客はエアバスA321 の大きな機内に乗り込んでいった。飛行機は出発時刻に離陸し、着陸時間の22時45分過ぎに上海空港に着陸した。飛行場の案内所で、飛行場に近いホテルを予約してもらい、タクシーでそのホテルに向かった。

8月5日 朝7時に予約していたタクシーに乗り、上海(浦東国際空港)に行き、中国東方航空MU529便(上海9時30発 名古屋着12時35分)の搭乗手続き、保安検査を済ませた。
9時30に上海空港を発ち 予定時刻の12時35分前に名古屋中部国際空港に着いた。
自宅に戻る名鉄高速バスの乗り場にエレベーターで降りていくと、そこには名古屋の夏を特徴付ける蒸し暑い空気が待っていた。

あとがき
新種のマガキ類を探す旅―中国沿岸のカキ類調査旅行記というタイトルで、第1回では中国における牡蠣養殖の開始、第2回では中国における牡蠣養殖法の発展という中国のカキ類養殖食文化史について書きました。
第3回以降6回まで北は福建省から南は海南省、広西チワン族自治区までの中国沿岸で行った新種を探すカキ類調査旅行記について書きました。
新種を探す旅のきっかけについては、今回のシリーズのプロローグまた第6回の調査の動機にも書きましたが、カキ類の研究の盟友キャサリン ラム(Katherine Lam)博士(当時、香港城市大学(City University of Hong Kong))からDNA塩基配列を決定するために送られた香港産の軟体組織標本20サンプルの内、9個体から得られたミトコンドリアDNA のシトクローム オキシダーゼサブユニットI (COI) 遺伝子領域の塩基配列が遺伝子バンク(GenBank)に未だ登録されておらず、分子系統樹形からも新種であることが明らかになった事からです。この種に関する最初の報告は、小澤智生 2006. 世界のマガキ属(Crassostrea )の分子系統学的研究. 615-616頁. In 分子系統学的および化石記録にもとづく日本の生物相の起源と形成プロセスの研究. 平成13年度~平成17年度科学研究費補助金 基盤研究(S)成果報告書. 平成18年3月. 代表者小澤智生(名古屋大学大学院環境学研究科)にあります。
調査旅行の結果として、福建省、広東省、海南省及び広西チワン自治区における海鮮市場の牡蠣類の調査では、新種のマガキは残念ながら発見できませんでした。
2015年8月の海南島および広西チワン族自治区の調査から帰って、久々にマガキ属に関する論文の検索をした結果、探していた新種は、広東にある中国科学院南シナ海・海洋研究所応用海洋生物学研究室の夏博士らによって,広東州南西部電白から得られた標本に基づき、 2014年末に新種Crassostrea dianbaiensisとして記載されていることが分かりました。(Jianjung Xia et al. Aquat. Living Resour. 27,41-48(2014))、また第6回の導入部で書きましたマガキ属未定種2(Crasosstrea sp.2)は同じ研究所の呉博士らによって広東州南西部湛江(チャンチアンZhanjiang)から得られた標本に基づき、 2013年に新種Crassostrea  zhanjiangensisとして記載されておりました。(Xiangyun Wu et al. Aquatic Living Resour. 26, 273-280(2013).
私はこの2種で西太平洋からのマガキ属のすべての種の記載が終了したものと考えています。