新種のマガキ類を探す旅

第5回 広東省珠江デルタにおけるカキ類調査旅行記

小澤智生

中国で最初に牡蠣養殖が始まった広東省珠江デルタ地帯の沙井集落(現, 深圳市宝安区沙井)の訪問ならびに珠江デルタ河口域の珠海市およびその南西部台山市の牡蠣類調査を行う目的で2013年7月19日から7月23日まで現地を訪れた。


図1.広東省珠江デルタおよびその南西部における調査地点(オレンジ色の点は第4回の香港における調査地点)

7月19日 9時45分中部国際空港を9時45分に発ち、午後1時に香港国際空港に着いた。本日の行き先はホテルを予約してある広東省珠海(Zhuhai)市であるので、香港空港から珠海への直通フェリーで珠海に到着後、入国審査を受けることになる。

香港での入国審査向かう手前にあるE2エリアのフェリー乗り継ぎカウンターCKS(珠江海運)で行き先「珠海」を告げて、パスポート、預け荷物表を提示し、クレジットカードでチケットを購入した。
E2エリアで待機する。乗船30分前になり専用シャトル乗り場へ移動、シャトルに乗りSky Pierで下車長いエスカレーターを上がると珠海行きのゲートがあり、しばらく待つと「珠海」行きフェリーの入場アナウンスがあったので切符を見せ、乗船した。

50分ほどして珠海・九洲港に入港、入国審査の後、名古屋で預けたスーツケースを受け取り取り、港の建物の外に出た。客待ちをしていたタクシーの運転手が行先を聞いてきたので、ホテル名を告げ、トランクにスーツケースを入れ、ホテルに向かった。ホテルでチェックインを済ませ、荷物を部屋に運び入れた。このホテルには旧館とその前に最近出来た新館があり、私の部屋は旧館にあり、部屋は古いものの、中国の伝統的な家具・調度品がしつらえてあり、中国に来ているという実感がした。まだ、午後4時前だったので、これから市内を散策し、牡蠣が売られているという湾仔(ワン チャイ)海鮮街を見学しそこで夕食をとりホテルに戻ることにした。ホテルで一両日中に使うお金を元に換金し外出した。

珠海市(Zhuhai)は珠江デルタ(Pearl River Delta)右岸にありマカオ特別行政区に隣接する経済特区である。ホテルが立ち並ぶ裏側に珠江デルタを望める広い遊歩道があると聞いたので行ってみた。遊歩道は多色のレンガで美しく舗装され欄干からは珠江デルタの広大な風景が展望できた。対岸には香港空港があるランタオ島の島影が見え、その前方の海に工事中の橋脚の列が見えた。歩道を歩いている人に尋ねると、香港空港から澳門(マカオ)・珠海市を結ぶ全長35㎞の世界最長級の海上橋が建設中であるとのこと。中国の建設ラッシュは留まることを知らないように思われた。

市街地に戻り、空タクシーを見つけ、運転手に行先は湾仔海鮮街というメモを渡し後部座席に乗り込んだ。日本人かと聞くので、そうですと答えると、市内にニコンのデジタルカメラなど日本の工場があるので、日本人にもよく会うと言う。湾仔海鮮街は水路を挟んで澳門(マカオ)の対岸にある。珠海の中心地からタクシーで片道15㎞以上もあり、市内はもう車両の渋滞が始まっているので、40分くらいはかかるだろうと運転手は言う。海鮮街の入り口でタクシーを降り、路地を進んでいくと海産物や魚介類を扱う店舗が並び道路脇に鮮度の良い種々の魚,イカ、貝類などを売る露店が並んでおり、鮮魚を買い求める人が行き交うにぎやかな通りに出た。

買い物客を観察していると、鮮魚を買い求め持ち帰る人もいるが、自分たちが食べたい魚介類を露店で買い、通りの対面に並んでいる食堂(レストラン)に運んで調理してもらいその食堂で食事をとる観光客、家族連れ、グループが多いことが分かった。この通りを進んで行くと鮮魚を売る露店が途切れるあたりに、男女が道路わきに積んだ牡蠣の山の前で牡蠣剥きをして販売しているコーナーがあった。山積みされている牡蠣と牡蠣の身が取り出された牡蠣殻を観察すると殻高が高く亜三角形で、靭帯面が狭く、筋痕には黒紫がかった成長線がみられるなどホンコンガキ(Crassostrea hongkongensis)の特徴を有していた(図 2)


図2 珠海市 湾仔海鮮街で売られていたホンコンガキ

どこで採集されたものか、養殖か、自然の牡蠣かとノートに筆談して聞くと“横琴島の蠔(蚝)自然生態園付近での棚式養殖で3年~4年養成されたものであるとの返事。そこでは潮間帯の中潮~潮下帯付近に竹で作られた棚が数多く置かれており、棚からロープに約20-30cm間隔に牡蠣殻を結びつけた採苗器を吊るし、稚貝が付着後そのまま3年~4年置いてから収穫したものだと言う”。

牡蠣を売るエリアの片隅で、持ってきたほとんどの牡蠣を売りつくし、剥いた牡蠣殻を集め後片付けをしている中年男性がいた。集められた殻を観察すると、殻の表面には付着物などがあまりついておらず、亜円型, 重厚で、殻表には粗い同心円状の成長輪が発達し、閉殻筋肉痕が暗褐色を呈しスミノエガキ(Crassostrea ariakensis)に似ているが、これまで中国で見たことのないマガキ属の種類であった(図 3)。


図3 珠海市 湾仔海鮮街で売られていたスミノエガキに似たマガキ属の一種

ひょっとすると、この種が、探している新種ではないかと言う考えが脳裏に浮かんだ。どこで採れたものかと筆談し聞くと、“横琴島深井の南端にある岩石海岸の水深7m前後の岩礫上に着いている天然牡蠣であると言う。私(姓は余さん)の牡蠣店がある横琴蚝荘の仲間がダイビングして採集したものだ”と言う。自分は日本から牡蛎の調査で珠海にきたもので、この牡蠣をぜひ入手したいので、そのダイバーの人にお礼をするので採集していただけないか頼んでくれないかと聞くと、明日、昼12時に横琴蚝荘に来れば、ダイバーが採集したこの牡蠣を店に置いておくので、取りに来てくださいというありがたい返事をいただいた。

自分の名刺に携帯電話番号を書いて渡し、ノートに余さんの携帯電話番号を書いてもらい、持ってきた地図上に横琴蚝荘の位置をプロットしてもらった。
牡蠣をよく食べるこの地域の人たちは、旬でない真夏の牡蠣を買って食堂に持ち込むが、私には、そのような決断はできなかった。
鮮魚貝類を売る露店にもどり、夕食の食材を選び、調理法を書き、賑わっている食堂に入りオーダーをした。冷茶を飲みながら10分ほど待つと、キジハタの煮付け;エビのピリ辛炒め;マテ貝の蒸し物+酢橘;青菜炒め;あさりのスープと白飯がテーブルに運ばれてきて, 珠海での初日の夕食が始まった。

7月20日(土) 今日の予定は、昼前に横琴島の横琴蠔庄を訪れ、昨日,余さんにお願いした横琴島南端の岩石海岸産の天然のマガキ属の牡蠣殻を研究用サンプルとして譲ってもらうことと、午後、蠔(蚝)自然生態園付近の養殖場を訪れ、牡蠣養殖の方法と養成されたホンコンガキの殻を研究材料として入手することである。
ホテルで遅い朝食を済ませ、ホテルから呼んでもらったタクシーに乗り、10時前にホテルを出発した。30分ほどして昨晩夕食した湾仔の道路に入ると道路に沿う水道を隔て澳門の高層ビル群が見えてきた。更にしばらく水道に沿って道路を進むと澳門特別行政区のタイパ島が沖合に見えてきた。澳門のタイパ島とその南のコタイ埋立地からLam 博士がかつて採集したサンプルのDNA分析を行い、マガキ属3種;ホンコンガキ、ポルトガルガキおよびシカメアガキ、およびオハグロガキ属のヒズメガキが生息していることを確認している。

横琴島方面の道路標識が見えてきたので左折して島に渡る橋を渡ると横琴島の新設道路、環島路に入った。横琴島は最近まで、大横琴島と小横琴島の独立した島よりなり、一面にバナナ畑や草原が広がり、牡蠣養殖が盛んにおこなわれていた田舎であったが、中国政府から教育・文化特別区横琴新区が承認され、その開発事業が2008年に始まるや両島間の水道が埋め立てられ1つの島となり、新区の開発が急ピッチで進行中であった。環島路を進むと、完成した高層住宅が林立し、建設中の高層住宅ではいくつものクレーンが稼働している姿が目に入ってきた。

道路の左脇に横琴島から澳門に入る新入国管理施設「横琴日岸」が見え、さらに進むと澳門特別行政区内にあるマカオ大学が移転してくる新キャンパスの建物が垣間見えてきた。道は工事中で通行止めになった。これまでのルートで横琴蠔庄がどこにあるか探せなかったので、ドライバーに、余さんの携帯電話番号を教え、横琴蠔庄がどこにあるかを尋ねてもらった。その場所は、来た道路と対向する反対側の道路の左側にあり、対向する道路側に「横琴日岸」が見えたら、車を内側のレーンに移して車速を落とし進んで行くと「横琴蠔庄」と書かれたゲートが見えるので左折してゲートの中に入ってきてくださいとのことでした。教えられたゲートを入ると、赤字で横琴 蚝家荘と書かれた大きな花崗岩の自然石が置かれていた。(図4)


図4 横琴 蚝家荘と書かれた大きな花崗岩の自然石

広い道の左右に牡蠣の食堂を備えた大小の数多くの牡蠣小屋が並んでいた。多くの牡蠣小屋は閉鎖され営業をやめていたが奥まった道路の水路側に4~5軒の牡蠣小屋が営業中であった。タクシーが駐車すると、1軒の大きな牡蠣小屋から余さんが出てきて出迎えてくれた。

 「横琴蠔庄」は6年前までは大横琴島の北の沿岸部にあり多くの来客で繁盛してきたが、小横琴島との間にあった水道が横琴新区の開発事業で埋め立てられ狭い水路を残すだけとなってしまったため、全面的な閉鎖に追い込まれているという。余さんが経営してきた広い牡蠣レストランの軒下には、牡蠣棚から持ち帰った牡蠣(中身は取り出されている。)がついた黒色の細いロープが纏められいくつもの山を作っていた。(図5)


図5. 横琴 蚝家荘の牡蠣小屋と牡蠣殻の山

レストランの玄関の左右の門柱には、以前、水道の泥底に直立していたという殻高が50cmを超す巨大なホンコンガキが立てかけてあり、往時の健全な自然環境を想起させてくれた。(図6)


図6 横琴島の泥底から採集された巨大なホンコンガキの野生個体

レストランの中に入ると、今朝、友人のダイバーが採集してきた亜円形の大型のマガキ属の牡蠣が水槽に入れられていた。言い値に謝金を加え6個体を研究材料として購入した。ついでに殻を剥いで中身を外し、牡蠣殻をビニール袋に入れてもらった。正午を過ぎていたので、タクシードライバーを呼んで、レストランで昼食を取った。食後、余さんにお礼と別れの挨拶を述べ、島の南端にある蠔(蚝)自然生態園の牡蠣養殖場に向かった。

島の西端の道を通り30分ほどして養殖場に着くと、閉じられた湾内に竹で作られた棚が数多く置かれているのが目に入った。牡蠣小屋の周辺には牡蠣殻が散乱している。牡蠣の収穫のため行き来する船着き場を覗くとエンジン付きの表面が板張りの小さな台船が繋がれていた。近くの牡蠣小屋に中年の日焼けした漁師がいたので、“牡蠣の調査に来ました。牡蠣棚の牡蠣を見学したいので、棚まで行って牡蠣を見せて欲しい。”とメモ紙に書いて渡すと、これから案内すると言う。

漁師が台船を乗り場に近付けて、私の手を引いて台船に乗せてくれたので難なく乗船できた。エンジンをかけ、台船を動かし棚に着けロープで固定した後、漁師は竹で格子状に組んだ棚の上を渡り、棚に吊り下げているロープを外した後、ロープを引き上げ、大きく成長した牡蠣を見せてくれた。牡蠣縄に20~30㎝間隔で結びつけた牡蠣殻の採苗器を牡蠣棚から吊るし、稚貝が付着後そのまま3年~4年置いたものだと言う。殻長はどれも15cm程に達する大きなホンコンガキで、昨夜、湾仔海鮮街で見たものと同じものであった。吊り上げたロープに着いた牡蛎を台船に乗せ船着き場に戻った。

牡蠣をロープから外してもらい、その中から形状の良い4個体を選び付着物を取り除き、殻を壊さないように開けて、貝殻を持ち帰った。
牡蠣のべストシーズンは11月から3月で、その頃は多くの人が牡蠣を食べに牡蠣小屋を訪れてくるが、今はシーズンオフで来客も少ないので、高台にある牡蠣を看板メニューとする観光レストランからの注文で牡蠣を届けに行くことはあるものの暇を持て余しているとのことだった。島の大規模な開発事業で養殖地を失うとともに、自然環境が失われていく横琴島の牡蠣養殖の未来が案じられた。牡蠣漁師に別れの挨拶をして、タクシーでホテルに向かった。

21日(日曜日)この日は珠江デルタの南西部に位置する台山(タイ シャン)市の南海岸の牡蠣類調査と牡蠣養殖を見学することを予定していた。目的地の台山市南海岸に行くには、澳門(マカオ)に入国する珠海拱北(コンペイ)出入境ゲート近くにある拱北バスセンター(北通大汽車站)より「山咀(シャンジュ)上下川」行きの快速バスを利用するのが唯一の手段となる。バスは1日に5便があり、始発の8時45分発の切符と復路の最終切符(16時45分発)を購入した。

満員の乗客を乗せたバスは予定時刻にバスセンターを出発し、終点の「山咀」を目指した。バスの内部は補助席も含め満室状態で、人いきれで蒸し暑く、忍耐のいるバス旅となった。乗客によると終点までの予定時間は2時間30分となっているが、乗客の求めに応じ、バス停のない地点でも停車するうえ、途中乗車もあるので、12時近くになるのではないかという。途中でトイレ休憩もあったので、実際に終点に着いたのは12時20分を過ぎていた。終点で降りた乗客の多くは川山群島の上川島、下川島に渡る乗船客で港の船会社のビルの中に入っていった。今日は日曜日なので、島に渡り名物の海鮮料理を楽しみ最終のバスで珠海に戻る人が多いのだと言う。上川島、下川島はカキ養殖が盛んなところとしても知られている。

バス停の広場を見てもタクシーは一台も見られず、バスの切符売り場の人にタクシーを呼んでもらえないかと相談すると難しいと言う。ここからバスが来た道路を30mほど戻った左側に大きな駐車場のある食堂があり、食堂の店主に頼めば、自家用車で送り迎えをしてくれる人を紹介してくれると思うと言われたので、食堂を訪ねた。店主に個人でタクシーをやってくれる人を頼めるかと言うと、頼んでみると携帯電話で連絡を取ってくれた。30分後くらいに食堂に行くので待っていてほしいとのこと。

これで今日の午後の行動が出来ると一安心した。昼食を取っていなかったので、焼き飯を注文し遅い昼食を取った。店のメニューに 牡蠣の炙り焼き、チーズ焼きが載っていたので、牡蠣を店に置いているかと尋ねると、今はシーズンでないので置いてないと言う。牡蠣はどこから入手しているかと尋ねると、店の前の道路を隔てた海岸で牡蠣養殖がなされているので漁民から、いつでも入手できると言う。店主に、牡蠣養殖の様子を見てすぐ戻ると伝え食堂を出た。駐車場の前の道路を横断すると、沖合に向かって何列もの白い浮き球で支えられているロープが強風でアーチを描いている姿が見えた。

はえ縄式の牡蠣養殖である。円礫で覆い尽された狭い海岸に降りていくと白い牡蠣殻があちこちに散在していた。牡蠣殻を観察すると、内面が白色で美しいホンコンガキであった。急ぎ店に戻ると、駐車場に古いトヨタ車が駐車してあり、店内に入るとまだ20代と思われる青年が店主と話していた。店主に食事代と紹介料を渡し、テーブルの上に、地図を広げ行き先の深井鎮(シェンジンツェン)汶村(ウェンクン)の鎮海湾(ツェンハイワン)沿岸を示し、最終バスの時間を伝え、料金について交渉した結果、150元で話がまとまった。 早速タクシーに乗り現地に向かった。

鎮海湾に架かる鎮海湾大橋から外海側と湾奥側を望むと沢山の牡蠣養殖筏が見えた。
鎮海湾は湾口部から湾奥部まで25㎞を超す狭長な内湾で、静かな湾内には豊富なプランクトンを含む安定した汽水域が発達するためカキ養殖の最適地となっている。鎮海湾大橋を渡り、右折し湾に沿って湾奥部までタクシーを走らせたが湾奥部まで牡蠣筏がびっしり置かれていた。来た道を引き返し、鎮海湾大橋を渡り汶村(ウェンクン)のバス停付近から、鎮海湾で最も多くの牡蠣筏が置かれている汶村の沿岸にむけて坂道を下りて行った。

牡蠣の作業船の船着き場から沖合に広大にひろがる牡蠣養殖筏が見えた。筏の構造は白色の大きな箱型の浮きの上に竹製の格子状の棚が組まれ、棚より牡蠣縄が吊り下げられている。漁民に牡蠣棚まで船で渡してもらうことが出来るかと聞くと、現在は牡蠣の養成中であり、収穫期でないので渡すことが出来ないと言われた。牡蠣の作業小屋に立ち寄り、養殖牡蠣のサンプルをいただいた。牡蠣漁民の話では、プランクトンが豊富で環境汚染がない鎮海湾で養殖される白牡蠣は身が太り美味であり、生産量も多いので、南中国で生産される牡蠣の中でも最も高品質の牡蠣の一つであると評価され、市場では深井蚝というブランドで扱われているとのことでした。汶村を後にして珠海への復路のバスの始発駅「山咀」に向かった。

タクシーが「山咀」に着いたのは最終バスが出る時間より、1時間ほど前であったので、
運転手に頼み、次のバス停がある広海まで送ってもらうことにした。その理由は、旧暦5月頃(新暦6月)、広海や広海の南部の赤渓の海岸で地元民が旬を迎える野生の「黄蛎」を採集し食べると言う情報を得ていたので、運良ければサンプルが入手できるのではと考えたからであった。広海のマングローブのある内湾の船着き場にタクシーを待たせ、マングローの干潟で貝を採集している漁師にここで「黄蛎」が採集できるかと聞くと、「黄蛎」なら広海の南部の赤渓の砂質の干潟で干潮時に採集できると教えられた。その地域まで行って帰ってくる時間も無いうえ、今日は潮の状態も悪いので「黄蛎」の採集を断念した。

野外調査に持ち歩いている牡蠣のカラー写真ファイルを見せ、この中に「黄蛎」と思われる牡蠣があるかと尋ねると、フィリピンで養殖されているミナミマガキに似ていると言う。香港の砂質干潟で確認したミナミマガキがこの地域にも分布していておかしくないと考えた。
バスの時間も近づいてきたので広海のバス乗り場までタクシーで送ってもらった。

珠海拱北汽車站行き最終バスが近づいてきたので、手を挙げて乗車した。帰りのバスもいくつかの空席があるものの満席状態であった。バスは午後7時半過ぎ、夕暮れ迫る珠海拱北汽車站に到着した。バスを降りタクシー乗り場に歩いて行くと、珠海拱北出入境ゲート前の広場に澳門への入境を待つ多くの中国人や外国人旅行者が並んでいた。客待ちをしていたタクシー運転手の話では、この行列は週末に見られる光景で、金持ちの中国人が澳門でブランド品などの買い物をするため、またカジノゲームに興ずる目的で並んでいるのだと言う。同様な光景は香港でもよく知られている。広場に面する中華レストランで夕食をとり、タクシーでホテルに戻った。明日の調査に向けて、荷物の整理を行ない、早めに就寝した。

22日(月曜日) ホテルで朝食を済ませた後、予約していたタクシーに乗って珠海九洲港に行き、9時発、深圳蛇口港行きフェリーに乗船した。今日は、明日の帰国の前に、以前から一度は訪ねてみたかった中国で最初に牡蠣養殖が開始された珠江デルタの沙井(現、深圳市宝安区沙井)を訪れ、珠江デルタの地勢を見ながら、北宋の詩人が記述した当時の牡蠣養殖に思いを巡らし、集落内に残されている牡蠣文化の遺跡を見学し、沙井蚝文化博物館を見学することで1日をのんびり過ごす予定を立てていた。

 フェリーの食堂でコーヒーを飲んだり、デッキに出て穏やかな珠江デルタの景色を眺めたりしているうちに、蛇口港が見えてきた。
 下船後、初めて訪れた深圳の街を見学しながら南山区にあるバス乗り場まで歩いたが、沿道の手の行き届いた木々の緑とその間に建つ洗練された豪華な住居に思わずここは中国ではないと言う錯覚にとらわれた。中国最大の経済特区として発展を遂げ巨大な富を蓄積してきた深圳市の富裕層は私たちの想像を超える豊かな生活を営んでいることが想像できた。

北方に向かうバスが停車するバス停で、停車しているバスの運転手に沙井に行くにはどのバスに乗ったらよいかと尋ねると、バス路線の107号線を北上する各駅停車の緑色のバスが来たらそのバスに乗り、運転手に下車するバス停を尋ねなさいと言われた。緑色のバスに乗り、運転手に沙井にもっと近いバス停で下車するので、知らせて欲しいと告げ、運転手の後の席に座った。

1時間ほどして、運転手が沙井に行くには次のバス停で降りなさいと言うので、停車したバス停で降りるとそこは何系統かのバス停・発車するモール前の広場であった。12時を過ぎていたので、モールの中の食堂で昼食をとり、広場にでると、タクシー乗り場にタクシーが入ってきたので、運転手に沙井の牡蠣養殖場があった近くの珠江の堤防まで連れて行ってほしいと言うメモを渡してお願いした。

運転手はその場所をよく知らない様子で、何度も同僚のタクシー運転手と連絡を取りながらやっと珠江の見える堤防にたどり着いた。堤防からは沖合に珠江デルタの砂洲が遠望され、その手前には冠水して干潟が現れていないが、干潮時には広大な干潟が出現すると思われる地形が広がっていた。堤防の壁や堤防の近くの木の杭にホンコンガキと思われる牡蠣の左殻が付着しいていた。タクシー運転手に、次は江氏大宗祠の牡蠣殻の塀のある建物に連れて行ってほしいとお願いした。この建物は有名な牡蠣文化の遺産であるのでドライバーも迷うことなく車を運ぶことが出来た。

車を降りて、明代に建てられたこの建物の大きな牡蠣殻塀を見学した。塀は当時養殖されていたホンコンガキの牡蠣殻が隙間なく積み重ねられて出来ていて現在まで当時の姿をとどめていた。最後に、沙井牡蠣文化博物館を訪れた。博物館の建物の入り口には鍵が懸けられ、ノックしても人の気配がなかった。しばらくすると私の訪問に気が付き1人の温厚な紳士が挨拶をしながら近づいてきた。

名刺を差し出しながら自己紹介をした。深圳市宝安沙井水産公司の庶務部長の陳景輝氏であった。この水産会社は珠江デルタの沙井蠔生産沙組合を引き継いで設立された会社で登録商標の「沙井蠔」のもとで、干し牡蠣「沙井蠔鼓」、牡蠣缶詰「沙井蠔罐」オイスターソース「沙井蠔油」などを製造し、中国国内のみならず外国にも輸出しているとのことだった。

私は日本の牡蠣研究者で、アジアで最初に牡蠣養殖がなされた珠江デルタの沙井の蠔養殖地、蠔文化遺産を見学した後、これから沙井蠔文化博物館を見学しようと訪れたところですと言うと、私としてもとても嬉しいことで多いに歓迎しますと握手を求めてきた。沙井蠔文化博物館は 宝安沙井蠔民族文化研究会と当社が共同で設立した博物館で、現在、私(陳氏)が管理責任者を務めている由。遠来、博物館の見学に来ていただいたのに、現在展示替えのため休館中で内部を案内することが出来ないことをご了解下さいと言われた。会社の製品展示室にて同社で製造している商品を説明していただいた後、事務所に案内され、会社が経営する牡蠣養殖場についての説明を受けた。

珠江デルタにおける牡蠣養殖の中心地でブランド牡蠣「沙井牡蠣」を長年生産し続けてきた沙井牡蠣生産組合(深圳市;しんせんし; 沙井)は、深圳の工業団地からの工業廃水に含まれる重金属などによって養殖牡蠣が汚染され集荷が出来なくなった為、2006年にデルタ地帯での牡蠣養殖を断念した。その代替え地として自然環境がよく保全され海水が汚染されていない広西壮族自治区と接する広東省湛江市北潭(北海湾奥部)を選び、最新の筏式養殖を導入した広大な牡蠣養殖場を新設し生産がすでに始まっていると言う。生産地は異なるが新規の「沙井蠔」の生産が開始されたので、1000年の伝統を持つブランド牡蠣「沙井蠔」は今後も存続すると未来に向けた抱負を語られた。

帰り際に、化粧箱入りの「沙井蠔油」と沙井蠔に関する書物2冊(1000年を超す珠江デルタにおける沙井蠔の養殖が終わるにあたり、2名の専門家が執筆した記念出版物「千年傅奇沙井蚝」と沙井蠔生産者による沙井蠔に関する寄稿文をまとめた出版物)を、当地訪問の記念としてお持ち帰りくださいと言って贈呈していただいた。突然の訪問にもかかわらず、心からのもてなしをいただいた陳景輝さんに深謝し、再会を約束して沙井を後にした。
バスで深圳に戻ると午後5時を回っていた。

バス停から今朝歩いてきた道を戻り深圳蛇口港をめざした。蛇口港で久々の西洋スタイルの夕食をとり、午後7時30分発のフェリーに乗り、午後8時30分過ぎに珠海九洲港で下船、タクシーでホテルに戻った。シャワーバスで1日の汗を洗い落とし小休止した後、明朝の珠海九洲港でのチェックインに備え、預けるスーツケースに入れる品物を整理し入れた後、スーツケースバンドをつけ固定した。 疲れていたので、10時過ぎに就寝した。

23日(火曜日)朝、ホテルで朝食後、6時半にホテルをチェックアウト、頼んでいたタクシーで珠海九洲港に7時過ぎに着き、九洲港の空港行き専用のチケット販売窓口で「7月23日 午前9時30分 香港国際空港」と書いたメモと出発便のE チケットのコピーを渡した。窓口から乗船名簿に名前と電話番号を書いてくださいと言われ、書き込むと、270元(フェリー料金180元+航空税)を支払うように言われ、支払うとチケットと一緒に香港空港で空港税が120香港ドル返ってくるという説明書が渡された。

チェックインカウンターに向かい 機内に預けるスーツケースを預け、手続きを終え待機した。出港時間15分前になり、九洲港の イミグレーションで中国の出国審査を受け、フェリーに乗り込んだ。曇り空であったが海は穏やかで、大して揺れることもなく順調にフェリーは香港へ向けて進行し午前10時半前に、香港国際空港のフェリーターミナルに到着した。

上陸後、飛行機のボーディングチケットを受け取るためANAのチケットカウンターに行き、Eチケットを差しだし、ボーディングチケットを手に入れた。「空港使用税の還付があるので、あちらのカウンターに行ってください」といわれ、カウンターで空港税の引換券を差し出し120香港ドルを受け取った。最後に手荷物検査があり、待合室に抜けると空港内に運んでくれるバスが待機していたので乗車した。とても煩わしい手続きを経て出発便のカウンターの座席にたどり着いた。夕刻には自宅に帰り着くと思うと、旅の疲れが抜けていくように感じられた。