新種のマガキ類を探す旅

第3回 福建省におけるカキ類調査旅行記

小澤智生

琉球列島のポルトガルガキの研究から始まったDNAの塩基配列データに基づくポルトガルガキの集団間の関係を明らかにする研究は、ポルトガル、スペインの集団、台湾の集団、香港の集団の分析が終わり、中国沿岸のポルトガルガキの分布がどうなっているのかが気になった。

中国で出版されている数冊の貝類図鑑にあたってみても、それらしき種は載っていない。近年、中国、フランス、ポルトガルなどの研究者により、DNA塩基配列に基づく中国のマガキ属の種の同定にかんする研究成果が公表されている。GenBankに南中国産のポルトガルガキと同定されたDNA塩基配列が登録されているものの産地に関しては記述がない。

一方、北中国、渤海湾にのみ分布する大連湾牡蠣(Crassostrea talienwhanensis)(=マガキの1型)のDNA塩基配列にポルトガルガキの配列が認められたため、ポルトガルガキが中国北部まで分布すると言う論文が公表されている。後者に関しては、牡蠣養殖のため南部で採苗されたポルトガルガキの稚貝が渤海湾に持ち込まれた可能性も否定できない。いずれにせよ、中国のマガキ属の分類や分布には解決すべき問題が多く残されている。

そこで、台湾の対岸にあり、ポルトガルガキの分布が期待される福建省のマガキ属を調査する目的で2010年3月に5日間の日程で現地を訪れた。以下はその調査記録である。


図1.調査旅行で訪れた主要な地域

3月21日(日曜日)中部国際空港を午前10時30分に発ち、上海空港で乗り換えて、夕刻に厦門高崎国際空港に着陸した。厦門は中国語発音でXiamenであり公式文書や、航空チケットにはXiamenと書かれているが、日本では福建省で使われる閔南語読みのアモイAmoiがよく使われる。

チェックアウトを済ませ空港からタクシーで厦門島南部の市街地にあるホテルに向かった。しばらくするとタクシーの窓から市街地の高層ビルの光が薄暮の中に見えてきた。ホテルにチェックインし小休止した後、夕食に出かけた。フロントで手ごろな値段で海鮮料理が食べられるレストランを教えてほしいと尋ねると、日本人がよく利用する店が近くにあると言って、用意してある簡略地図にその場所をプロットし行き方を説明してくれた。

店に入ると、あちこちに食事をしている日本人、日本人家族の姿があった。店員が来て、ライスと味噌汁に活魚水槽中の魚介類を希望する調理法に調理しますのでよかったらどうですかと勧めたので、フクトコブシおよびタイワンハマグリ各2個を酒蒸しに、クルマエビ3匹を天ぷらに、手ごろなサイズのキジハタを刺身にお願いをした。調理され運ばれてきた注文した魚介類はどれもが美味で満足な初日の夕食となった。

となりの机で食事をしていた日本企業の駐在員の話では、 厦門市は人口200万人を超える中国沿岸の中堅都市で、中国の沿岸5大経済特区の1つに指定され、沿岸沿いにある工業団地には中国と外国企業の合弁会社が次々と建設され、この中には日本企業との合弁会社も多く進出しているので、多くの日本人が滞在しているとのことであった。

ホテルに戻り、明日の行動予定のメモを確認し、この日は長旅の疲れもあり早めに就寝した。

翌朝(2010年3月22日;月曜日)9時、厦門海洋生物研究所の受付に電話し、牡蠣類の分布調査のため福建省内の牡蠣養殖場、海鮮市場を訪れるため厦門にきましたので、責任ある担当者に面会し情報と支援をいただきたいので、これから伺いたい旨を伝えたところ、研究所が開く10時ころには担当者が来ていると思うので、10時過ぎにこの電話番号に再度電話するようにとの返事。

10時過ぎ電話。厦門海洋学・水産学会の常務理事長が対応するので研究所に来てくださいとの連絡があり、タクシーで研究所に向かった。研究所は島の南部にあるアモイ大学の東方の大学通リから曲がりくねった急な坂道を北上した山の南斜面にある。受付に名刺を渡し訪問目的を伝えると、しばらくして電話対応をした学会の秘書が建物から出てきて私を理事長室に案内してくれた。

待機していた学会の常務理事長(Chairman)の呉瑞源先生と副常務理事長呉定虎先生に初対面の挨拶をし、持参したお土産と論文数編を渡す。呉瑞源先生日本語の読み書きが出来る親日的な老紳士である。女性秘書が中国式作法で入れてくれた美味しーウーロン茶を飲みながら、これまでのポルトガルガキの研究成果を図表で説明し、今回、福建省でのポルトガルガキの分布調査の意義を説明した。

「ポルトガルガキの原産地は中国中南部、大航海時代のポルトガル船の停泊地で船体に、ポルトガルガキの浮遊幼生が着底、固着、牡蠣を付けた船が母港のリスボンに帰還し、船体を掃除するため付着生物を掻き落とした際に付着していた牡蠣を湾内に落とし湾内に定着し、後日フランスの有名な動物学者のラマルクがヨーロッパで未発見のポルトガルガキとして発表した」というシナリオを説明すると、老先生はスケールの大きなとても興味深い研究だと言って次々と質問がかえってきた。

私たちは、ポルトガルガキという名前のカキは初耳であると言って、中国経済水産品原色図集の牡蠣類の図版を開けてポルトガルガキにあたるか種があるかと質問してきた。おそらく図版で褶牡蠣(“Ostrea plicatula”)とされている種と思われると答えると、この牡蠣は厦門を含め福建省沿岸で最もなじみ深い養殖牡蠣だと言う。話は進んで中国の牡蠣養殖についての話題に移った。

中国の牡蠣養殖について書かれた分かり易い本はありますかとたずねると、「牡蠣養殖技術」という中国の牡蠣事情がよく分かる本があるので送給しますと学会の書庫から本を持参し中表紙に学会名を書き学会印を押し、さきほどの中国経済水産品原色図集と供にプレゼントしてくれた。

今回の短期日程での牡蠣の分布調査計画を、両先生のご意見を聞きながら相談し次のように決定した。
今日これから海岸通りに行き昼食を一緒し、食後、市場を案内していただきそこで厦門産の養殖褶牡蠣を見学、サンプルとして持ち帰る牡蠣殻を入手、明日は厦門の南方の龍海の牡蠣漁村を訪ね褶牡蠣と近江牡蠣を調査しそれぞれの種の牡蠣殻を入手、明後日は北方の泉州に行き牡蠣漁村で養殖褶牡蠣を調査し岩礁海岸で天然牡蠣がどの種であるかを調査した後、現地で一泊し厦門に戻ってくるという計画である。

呉瑞源先生の案内で研究所から坂道を下り大学通リに近い街路にある中華飯店で昼食後、近くの市場に立ち寄った。市場の入り口に近い通路わきに牡蠣を山積みにしてその前に座ってカキの殻を剥きながら取り出した生牡蠣を秤売りしている主婦が数人いた。

この牡蠣はどこで採集されたものかを聞くと、島の北東部の泥勝ちの干潟での挿竹養殖でまた水深の浅い海に設置した棚式養殖で養成された牡蠣を漁民から買って販売しているとのこと。貝殻を見るとまぎれもなくポルトガルガキであった。(図2)産地も明確なので研究用に殻形が整った個体を選び、牡蠣殻を壊さないように剥いて、牡蠣殻を持ち帰ることにした。

呉先生が褶牡蠣と呼んでいる牡蠣はこの牡蠣であると言われたので、褶牡蠣と呼ばれる牡蠣はポルトガルガキであることが判明した。この近くでは厦門周辺と近くの金門島(台湾領土)で挿竹養殖や棚式養殖で盛んに褶牡蠣(=ポルトガルガキ)が養殖されていて生産量も大きいとのことでした。


図2.福建省で得られたポルトガルガキ(左から龍海産(殻高80㎜)、中央2個体は
厦門産(中左67㎜、中右56mm、右は恵安浮山産(殻高48㎜):福建省のポルトガルガキは殻の色彩及び模様が変異に富んでいる)

呉先生は、これから私は研究所に戻りますと言われたので、感謝の気持ちを伝え別れの挨拶をすると、別れ際に、採集旅行の無事と成功を願っています。何かありましたら、私の名刺を見せて便宜を図ってもらうか、私に電話を下さいと言って去って行かれた。
この日はホテルで夕食を済ませて、いただいた本をよんでいるうちに眠くなり就寝した。

23日(火曜日) 午前9時、ホテル前に待機しているタクシーの運転手に漳州市経由で龍海市の水産市場まで行くという漢字のメモを渡し出発した。厦門郊外の幹線道路沿いには延々と工業団地が続いている。やがて沿道沿いに次々とバナナの緑が目立つ農村が見られ、この地域が亜熱帯であることを実感した。

1時間ほどして漳州市の市内に入る。漳州市は福建省南西端にある人口450万人を超す大きな市で国家歴史文化市に指定されている。市内には明や清時代の有名な古刹があり、市の北部には世界文化遺産の福建土楼群があり土楼観光の拠点にもなっている。運転手が市内で停車しているタクシーの運転手に龍海市に行くにはどの道路が良いかを尋ね、教えられた道を南下した。30分ほどで龍海市内に入った。市街地を外れ南下する道路沿いには種々の生活用品を商う古ぼけた商店が並び、広い歩道を行き交う人もまばらで、中国の典型的な田舎町の佇まいを示していた。

しばらく走ると広い交差点の手前にスーパーマーケットがあり交差点の角の広いスペースで牡蠣を山積みしカキの殻を剥き売っている数人の男女の姿が目に入ってきた。
ドライバーに牡蠣を見たいので近くで駐車できるところがあったら駐車して欲しいとお願いした。タクシーを食堂の駐車スペースに入れ、私は牡蠣の売り場に戻った。

殻が10㎝を超す中国で近江牡蠣と呼ばれる大きな牡蠣が積まれている。その前では中年の日焼けした男が殻を剥き丁寧に殻から身を外しプラスチックの桶に入れていく。2人の中年女性が殻剥きをしている5-6cmほどの小ぶりの牡蠣はまぎれもなく昨日厦門で見たポルトガルガキである。客が来るとビニール袋に生ガキを入れ量り売りをする。客の多くは10元紙幣を渡し1㎏程の生牡蠣を買って行く。

筆談でこれらの牡蠣はどこで採れたかと聞くと彼女らは九龍江河口で牡蠣養殖を行っている漁民で、小さい牡蠣は、家の前後にある川の入り江で挿竹養殖や棚式養殖で1-2年間養成したものであるという。地図を見せ彼女らの集落の位置を記入してもらった。大きい牡蠣は河口でなく外海で、はえ縄養殖で養成されたもので、詳しくは牡蠣剥きをしている夫に聞けば分かると言うので、筆談で詳細を尋ねた。

浮子球(浮き球)を使ったはえ縄式筏が沖合の外海に数多く設置してあり規模の大きな牡蠣養殖がなされているとのことである。地図を見せ、養殖筏のある地点をマークしてもらった。その地点は漳州港の南方、双魚島付近の外海であった。漁船で筏を見に行くことが出来るかと尋ねると、現地に行くには往復で2時間近く時間がかかるうえ、今日はあいにく外洋が波高いので漁船は出せないと言われた。

そこで、この牡蠣漁師から昨日外洋の筏から採集されたホンコンガキと思われる大型の牡蠣5個体を買い求め、殻を剥いて貰い牡蠣殻をビニール袋に入れてもらった、河口の集落を訪ねても得られない可能性を考慮し、その漁師の妻からポルトガルガキ10個体を研究のために買い、殻を剥き、牡蠣殻を新聞紙に包んでもらった。

駐車場に戻ると、タクシー運転手が待ちくたびれたのか横になって休んでいた。運転手に声をかけ、食堂で遅い昼食を取った。食後、九龍江南港近くの牡蠣養殖を行っている漁村を訪ねた。家の周りの空き地には牡蠣剥きでつくられた牡蠣殻の山が見られる。家の裏や軒下には20cm程の間隔に牡蠣殻が結び付けられた黒色のロープの塊が積まれている。殻の内面の黒色の筋痕からこれらの殻はポルトガルガキであることが分かった。

漁民に聞くと夏に河口に設置してある養殖棚に吊り下げ採苗に使われるとのことであった。漁民に案内され牡蠣が養殖されているクリークに行って水面を見たがあいにく潮位がまだ高く、竹竿の上部が点々と見えるものの牡蠣が竹竿に固着している様子は残念ながら確認できなかった。牡蠣漁村を見学後、厦門への帰りのバスの出発時間が気になったので、急ぎタクシーで漳州市内の高速バスセンターを目指した。

バスセンターで厦門行の発車時間を調べると、2時間近く待たなければならないことが分かったので、ホテルまで送ってもらうようタクシードライバーにお願いをした。ホテルに戻り、得られた牡蠣殻のサンプルを洗浄し、新聞紙の上に殻を並べ乾燥させた。夕食するには早かったので、コロンス島に渡り散策後に夕食を取ることとした。コロンス島はかって公共租界地に定められアヘン戦争で勝利したイギリスをはじめ多くの国の領事館、商社、学校などがあったところで歴史的な建造物が多く残されている。厦門島南西端のフェリー乗り場から24時間フェリーが出ている。乗り場に着くと多くの観光客がフェリーに乗り込んで出船を待っていた。

切符を買い乗船すると間もなく出港し短時間で島のフェリーターミナルに着いた。下船してしばらく歩くと多くの人でごった返す街路があり路傍で新鮮な魚介類や果物、さまざまな食品、土産物、骨とう品などを売る店が出店している。夕刻であるので島の多くの住民が食品の買い物に来ているほか、観光客も加わって通りは人で埋め尽くされていた。様々な新鮮な魚介類が売られておりそれらを見るだけでも楽しかった。

もちろん新鮮な牡蠣を売る店も数店あった。夕暮れの旧租界地を散策しフェリー乗り場に戻る途中で厦門料理のレストランを見つけたので、店に入り夕食を取った。厦門の牡蠣料理を食べたかったので、牡蠣煎、牡蠣のガーリック焼き、ゆばで包んだ春巻き、青梗菜のスープ、白飯を注文。

牡蠣煎は新鮮なポルトガルガキ(10個ほど)を卵で煎じたもので日本のカキほどでは無いものの美味であった。ガーリック焼きは、大型の近江牡蠣の身の上に細かく刻んだニンニクを乗せ、塩コショウや赤唐辛子などをふりかけ、貝殻を直火にかけて焼き上げたもので、まずまずの味だった。

9時過ぎにホテルに戻り、シャワーバスの後、あすからの1泊2日の泉州での採集旅行に必要な衣類などをリュックに詰め、残りの品物はスーツケースに入れホテルに預けることとした。

24日(水曜日)
朝食後、身支度をしてホテルのフロントでチェックアウトをする。に1泊し明日昼ころホテルに立ち寄るのでスーツケースの保管をお願いし、保管証を受け取る。

湖浜高速バスターミナルで泉州行き往復切符を購入し、10時半過ぎに泉州に向けて出発。正午前に泉州バスセンター着。昼食後、晋江が泉州湾に流入する左岸にある有名な漁村、蟳埔(じんぽ;ガザミが採れる河口の意)村を訪ねた。この小村には元の時代に海のシルクロードを通して渡来し住み着いた古代アラブ人の末裔が住んでおり、元時代の生活文化を残すことで中国の歴史文化村に指定されている。

この村の漁民は挿竹法での養殖牡蠣漁、小型船で泉州湾内や沿岸の底引き網漁で採れる魚やガザミなどを市場に卸し生活を営んでいる。村を訪ねると、家々の前で、老女から若年の女性までが晋江の河口域の養殖場から採集してきた牡蠣(ポルトガルガキであった)の殻剥きをして、身を取り出しているところだった。牡蠣の調査のため日本から来たというメモを渡すと牡蠣村の住人として興味を持ったらしく、どんな調査するのかとメモ紙に書いて訪ねてきた。一人の中年の婦人がお茶を入れると言って、自宅に戻りマホービンに入ったお茶を、次にピーナッツと茶碗を盆に入れでてくると、一同集まってのティーブレークとなった。

皆さんが殻剥きをしている牡蠣の分布を調べるために来たと言うと、好きなだけ持っていきなさいとの返事。お礼を述べて、成長した10個体を超す牡蠣を選び、殻を剥いて貰い、持ち帰ることとした。この近くで、この種の牡蠣が岩に付いている場所を知らないかと尋ねると、ここから車で30分くらい東に行った恵安県(县)の南海岸の浮山海岸で採集できると言う。これから行くのなら、タクシー会社の事務所に連絡しここにタクシーが来てもらうように連絡するというのでお願いをした。現れたタクシーに乗り、浮山を目指した。浮山(別名 獺窟島)に着き獺窟島から西沙島までの岩礁海岸を歩き岩石に固着している牡蠣を調べ、大部分がポルトガルガキでオハグロガキ属の種が共存していた。

タクシーで待っていた運転手に、これから泉州市内の宿泊するホテルまで送っていただきたいとお願いした。ホテルに着き、小休止した後、泉州海外交通史博物館を見学した。ここを訪れた目的は泉州港が宋から元の時代(10-14世紀)の「海のシルクロード」の起点となり中国とアラブ圏・インドの間で物品の輸出入のみならず、人と文化の大きな交流の場を与えその後の東西文化に大きく貢献したこと、また、その後の大航海時代にはポルトガル船の寄港地となり、中国の絹を買い付け、平戸。長崎に運び、日本に輸出し代金として受けとった銀(石見銀山産)を本国に送る“シルバーロード”の起点となったことを展示物・展示資料を通して学ぼうと思ったからです。特に、大航海時代の泉州港はポルトガル船が、“ポルトガルガキ”をリスボン湾に運ぶ起点の1つとなったとも考えているからです。

博物館の見学を終えた後、午後5時までにはまだ1時間を超す時間があったので、開元寺を訪れた。門前にはお土産品店が並んで参拝する人を呼び寄せている。急ぎ、いくつかの店に入り、どんなお土産が売られているかを確認した。その中に、沖縄の土産物で人気のある「シーサー」、「石敢當」、2つが一緒になったお土産がたいていの店で売られていることに気が付いた。そう言えば、琉球国王の招きで1350年(察度1年)中国から琉球に帰化した閩人三十六姓の出身地は福州、泉州から厦門に至る地域である。今回の調査中に、亀甲墓も見ている。これで納得、「シーサー」と「石敢當」が一緒になった小さな石彫りをお土産に買った。(図3)


図3.福建省の泉州から福州で見られるシーサーと石敢當(土産店で購入)

寺に入り、受付に行き、入山料を支払うと寺についての解説書を渡され、あと1時間で閉門するので、本堂でお祈りをしてから、はやめに境内を見学し鎮国塔(5重の塔)の入り口が閉まる前に塔に昇って下さいと言われた。本堂の入り口で賽銭を入れお祈りをした後、靴を脱いで広い本堂に入ると2,3人がお祈りを終えて本堂から出るところだった。1人で本尊に向かってお祈りしていると、夕べの読経を終えた中年の僧侶が出てきて日本人ですかと尋ねてきた。

そうですと答えると、泉州の開元寺は空海が遣唐使船に乗って入唐する際、風雨にあって船が福州の港に入港した後、長安に行く前に修行した福州の開元寺と深い関わりを持つ古刹で日本の仏教ともつながりがあると説明され、2冊の経典、多くの経典の読経が収録されているCDを本堂の奥から持ってこられ記念にと贈呈してくれた。これから鎮国塔の入り口を閉めに行くので、ついでに塔内を案内しますと申されたので、お言葉に甘え同行した。階段を上りながら壁に書かれた仏教画を見ながら5楼に上がり、窓から泉州の夕日を眺めた。 大変お世話になった僧侶に心からのお礼を述べ、寺を後にした。
ホテルに帰り、入浴、夕食を済ませ、今日得た牡蠣殻をよく洗い、部屋で乾燥させ包装して、就寝した。


25日(木曜日)
朝9時にホテルをチェックアウトし、タクシーで泉州高速バスセンターに行き、厦門の湖浜高速バスセンター行きのバスに乗り込んだ。疲れていたせいか、いつの間にか寝入ってしまった。周囲のざわめきで目を覚ますとバスは厦門の市内に入っていた。バスを降りたその足でホテルに立ち寄り、預けていたスーツケースを受け取り、タクシーで厦門高崎国際飛行場に向かった。国際線の出発カウンターでスーツケースを預け、航空チケットを受け取り、チェックイン、出国審査を済ませ、 出発ゲートの見えるシートに座り搭乗案内を待った。やがて、搭乗案内があり、左の窓側の座席に座った。飛行機が離陸し上昇を続ける窓から、昨日まで調査で訪れた福建省の海岸と山々が望まれた。今回の調査も福建省の研究者、漁民、また旅行中に出会った人たちの援助で無事終えることが出来たことを感謝した。