オランダ領東インド陸軍病院の医師
- 1822年にドイツ人医師、植物学者であるフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)はオランダ領東インド会社(別名V.O.C.)陸軍病院で働き始めた。1823年には長崎の出島(1639 年から1854年の鎖国時代の唯一の厳しい管理下に置かれた西洋包領)のオランダ商館医に任命された。
日本における西洋学者
- シーボルトが日本に到着した19世紀には、規制が若干緩和されていた。オランダ人のふりをしたドイツ人学者は、外国人として初めて幕府によって厳選された少人数の学者や学生グループに初めて西洋医学と薬理学を教えた。同時にシーボルトは熱心に日本文化や伝統を研究した。1826年にはオランダ商館の江戸参府に随行した。この道中でシーボルトは多くの日本学者と会い、独自の植物コレクションを増やした。収集された植物の種類は一万二千種となり、世界最多の日本植物コレクションとなった。この道中にシーボルトは室津港に宿泊した。
- 中国人、日本人、欧州人の学者達が科学研究の発見について議論している様子
- (18世紀後半の司馬江漢による絵)
- 長崎港へ入港するオランダ船を望遠鏡で見る欧州人は、日本人妻お滝と娘を連れたドイツ人学者シーボルトかと思われる(19世紀初めの川原慶賀による絵)